紅葉の 天狗池〜涸沢
- GPS
- 56:00
- 距離
- 32.5km
- 登り
- 3,230m
- 下り
- 2,817m
コースタイム
7日 殺生ヒュッテ6:20 天狗原分岐7:35 天狗池8:10 南岳小屋10:36 北穂高岳13:40-15:00 涸沢テン場16:00
8日 涸沢5:40 中畠新道分岐7:50 上高地10:42
天候 | 6日 曇り 夕方から雪 7日 曇り 8日 快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
弘前(つがる53号 17:33-18:01) 新青森(はやぶさ6号18:14-21:24) 東京(徒歩) 大手町駅(地下鉄丸ノ内線中野行き 21:48-21:54) 竹橋駅 毎日新聞社ビル(深夜バスアルペン号22:40-翌朝5:30) 6日 新穂高着 8日 上高地(アルピコバス12:40-14:34) 松本(篠ノ井線15:26-16:41) 長野(あさま540号 16:50-18:06) 大宮(はやぶさ19:01-21:46) 新青森(22:32-23:07) 弘前 東北新幹線の電気系統故障のため、これより20分ほど到着遅れる。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
新穂高温泉バスターミナルは工事中。 みなさん、トイレで身支度してました。 登山口:新穂高ロープウエーを通り過ぎ、林道を行く。 白出沢出合まで林道あり。白出沢出合には仮設トイレあり。 日帰り入浴:上高地アルペンホテル7時〜10時30分 12時〜14時30分 |
予約できる山小屋 |
槍平小屋
|
写真
感想
昨年の秋、涸沢へ初めてテント泊をした。お天気はよかったものの、紅葉は期待はずれだった。涸沢の紅葉は、こんなもんじゃないはず・・・と思い、一年が過ぎた。涸沢の紅葉の絶頂期に合わせて行けるのは、退職してからかな・・・なんて、思っていた。
今年の三連休は、仕事が忙しく、山行計画に気持ちが全然のらない。とりあえず、正月に槍にいってみよう(たぶん行ける可能性は1パーセントくらいしかないけど)と思っていたので、下見のコースを歩くことにした。当初は日数も少ないし、新穂高からのピストンで十分と思っていたが、目前にして「涸沢の紅葉が今年は素晴らしい色づき」と聞き、昨年のリベンジも目的に入れる。一緒に行く予定だったOさんは、風邪のためキャンセル。そんなこんなで、出発2日前に深夜バスやJRのチケットを手配。こんな行き当たりばったりの山行で大丈夫だろうか。行ってしまえば、なんとかなるだろうという甘い考えで、「つがる」に飛び乗る。やっぱり、「はやぶさ」は静かで速くて、乗り心地がいい。
昨年は新宿発「さわやか信州号」だったが、今年は竹橋駅毎日新聞社ビル発「アルペン号」に乗った。この旅で一番ドキドキしたのは、東京駅から地下鉄東西線大手町駅まで歩いていくことだった。テレビでは、新しくなった東京駅を紹介しているが、そんな外観を眺める余裕もなく、迷わず一刻も早く地下鉄の駅まで移動できるか、心配でたまらなかった。改札出口で地下鉄への行き方を聞いたが、そこが出口だと思って自動改札でチケットを取らなかったため、最終出口をチェックしている駅員さんにあきれられた。でも、名古屋から来ていた私の前の人もそうだったから、きっとわかりにくいんでしょう。私が特別、世間知らずという訳でもないだろう。
思っていたよりスムーズに地下鉄に乗ることができ、毎日新聞社ビルに到着。新穂高の他にもたくさんの目的地毎に、人が集まっていた。やっぱり上高地が多い。
22:30発だったが、激混みのため、10分ほど遅れた。隣の席になった女性と出発まで会話を交わし、情報交換。女性一人で乗り込む人も結構いた。きっと男性一人よりも多かったはず。なんか心強い。
バスに弱い自分は、今回、酔い止めを飲んでぐっすり睡眠しようと企んだが、結局、足の置き場が狭く、なんか眠れなかった。これが翌日の山行に大きく影響してくる。
10月6日(土)
新穂高についたのは、5時30分前。まだ真っ暗。トイレで顔を洗い、目を覚ましてから出発。新穂高から登るのは初めてなので、登山口を探すのに手間取った。蒲田川左俣は双六岳へと続いている。槍へ行くのは右俣。ロープウエー乗り場を通り過ぎ、くねくねの林道を歩いた。途中、ショートカットする登山道を歩く。
白出沢出合で林道も終わり。沢を横切り本格的な登山道へ。樹林帯で、上高地から岳沢への登山道に似ている。熊よけの鈴がお守り。よく熊が出るらしい。
滝谷避難小屋はブロックでできた小屋。冬にお世話になるかもしれない。沢を横切ると、滝谷ドームが見えた。これかあ。すごいキノコみたいな形。
槍平小屋まで予定より1時間ほど早く着いた。冬季小屋を確認。水も豊富にでていたが、冬は凍ってしまうだろう。テン場も広い。でも、2008年の正月にここにテントを張っていた方たちは、雪崩れにあって亡くなっている。こんな広くて安全そうに見えても、雪崩れが押し寄せてくるのだなあと、周りの地形を確認。
槍平小屋に着く前から、少しずつ足の痙攣が始まっていた。最近、あんまり山行ってなかったからなあと、反省。それに深夜バスでの狭い姿勢も疲れに影響していると思う。
いよいよ奥丸山尾根に取り付いたとき、痙攣が強くなってきて、しゃがむことも歩くこともできず、痛くて痛くて、そのままの姿勢でいるしかできなくなった。自分の足でないような感覚。小さな祠の前で涙ぐむ。「お願いだから登らせてください。」と必死に神頼みする。やっとこさ、しゃがんでしばらく休み、大丈夫だろうといざ出発しようとするが、自分の意志に逆らい、また痙攣が始まる。どうしたらいいの? 戻るしかないの? 足以外は元気だし、行く気も満々なのだが、足が言うことをきいてくれない。そういうことを繰り返し、1時間の貯金をここで使い果たしてしまう。よっぽど今日は槍平小屋に泊まって、明日は空身で槍をピストンしようかと悩んだが、まだ時間はたっぷりあるし、もったいない。行けるところまで行こう、テントもあるし、ビバークも可能、涸沢の紅葉が待っていると自分を励まし、ゆっくりと休みながら急登を進む。痙攣を沈めるために水をたくさん飲んだ。ザックが膝にずっしりとのしかかり、足がふらつく。こうやって滑落するんだろうなと、客観的に自分を見ている自分がいる。
奥丸山尾根は急だが、稜線に出てしまえば、軽いアップダウンで歩きやすい。樹林帯だが、下は笹藪が刈り払いされていて、ありがたかった。何よりも飛騨沢コースよりも眺めがよい。槍から西穂までの稜線をずっと見渡しながら、歩くことができた。槍の形もどんどん変化して行く。ナナカマドが赤く色づいて、雰囲気がいい。冬もこの景色が見れるだろうか。
景色に気が紛れたからか、痙攣は少しずつ治まってきた。やっと先行者が一人見えた。ほっとする。千丈沢乗越への最後の登りは急だった。
千丈沢乗越はに出ると、風が強く、冬への入り口だった。ここを冬に歩けるのだろうか。槍ヶ岳山荘から下りてきたスタッフのような方に、「随分、疲れてますね。」と、声をかけられる。「そうです。痙攣押して、来たんです・・・」とは、言わなかったが、よっぽど疲れた顔をしていたんだろう。あと少しなのに、槍は遠かった。本当にくたくただった。
山荘に着いたら、「今日のテント場は満員です。」の看板が玄関に置いてあった。30張りしかないので、予想通りだった。冬季小屋を確認しようとうろちょろしたが、見つけられなかった。中のスタッフに聞きに行く元気もない。寒風が雪を連れてきていた。今日は、晴れだったのに・・・。アルプスは、やっぱり天気が違うんだなあ。 明日は、天狗池へ紅葉を見に行くので、予定通り、殺生ヒュッテへ下りる。名前だけきくと怖いイメージだったので、一度も泊まったことはなかったが、広くていいテン場だった。
雪が止まないので、テントを急いで張り終える。ヒュッテに設営料を払いにいくと、おじさんが、「あれ?雪降ってる?初雪だ。」と、言った。そうか、初雪か。今年もアルプスで初雪だ。ラッキーだな。でも・・・、出かけるときの天気予報は3日間、晴れか曇りだったので、アイゼンを置いてきたことに、とてもテンションが下がった。今年は残暑が長引いたので、雪も遅いだろうと決めつけていた。明日、キレットを渡れるのか、心配になってきた。
10時間近く歩いた体は、もう疲れ切っていた。さっさと夕飯のカレーを調理し、19時には眠りについた。時折、サーッと雪がテントを流れていく。寒くはないが、けっこう降っているみたいだ。それでも、ぐっすりと眠った。
10月7日(日)
テントを開けようとすると、下の方に雪が積もっていて、重い。顔を出すと、予想以上に積もっていた。3、4センチは降ったみたいだ。ガスっていて、槍の姿も見えない。稜線の山荘に泊まるより、ヒュッテに泊まって正解だったかな。アイゼンを持ってこないことに、また後悔。
とりあえず、朝食を摂り、テントをしまい、ヒュッテを後にする。小屋前の温度計は0度をさしていた。
10分も下ると、雪もなくなり、ナナカマドの紅葉の絨毯が広がっていた。ああ、下ってきてよかった。南岳の稜線を歩くと、この景色には出会わなかったのだから。
初めての天狗原。稜線の山は白く、目を落とすとナナカマドの赤。少しだけれど朝日も差して、気持ちがいい。わくわくしながら天狗池へ向かう。でも、あれ?これなの?というほどの小さい池だった。ツエルトにくるまり、槍待ちのカメラマン達。雪が降って、期待が高まっているが、槍は姿を見せてくれない。
雪も融けていそうだし、南岳へ登り返すことにする。前穂が見えてきた。気持ちが高ぶる。最後は梯子や鎖があったが、大変ではなかった。
南岳にいく稜線には、けっこう雪が残っていた。南岳小屋で休んでいたら、キレットを渡ってきたペアがいた。彼女はハーネスをつけている。ガイドさんといっしょだったのだろうか。雪もほとんど融けているようだし、いけるんだなと思い、突入する。夏山と変わらない。追い越したペアも、追い越されたペアも、みんなテント泊のザック。涸沢へと向かう。槍から穂高に行くには、やっぱりキレットが手っ取り早い。槍側から行くのは、8年ぶりくらいじゃないかな。
北穂高小屋は賑やかだった。キレットを渡ってきた自分に、声をかけてくれる。がんばりをほめられると、やっぱりうれしい。
涸沢への登山道は激混みで、梯子があるところでは怖がる女性や子供のおかげで渋滞していた。連休なので家族連れが多い。涸沢は目の前なのに、ガスも湧いてきていて、なんか気が焦る。鎖を使わず、横を通過して下りて時間短縮。
涸沢小屋についたら、とってもおなかがすいて、おでんとビールを食べてしまった。昼も食べずに歩き続けていたから。冬山行では、アルファ米とカレーだけでは体がもたないなあと感じた。
目の前に前穂、奥穂、涸沢のテントが鮮やかに紅葉している。穂高の、涸沢の最も美しい瞬間に、こうして自分がいると思うとなんて幸せなのだろう。山にぐるりと囲まれているこの心地よさは、涸沢ならではだと思う。若いときは、稜線から見下ろした方が景色がいい感じがして、涸沢のよさがわからなかったが、だんだんとこの懐に抱かれた心地よさがわかってきた。テントを張ってロングステイする人が羨ましく思える。一日中歩いていると日の暮れかかった紅葉しか見れないが、ゆっくり過ごす人達は、太陽の傾きや日ごとにいろいろな表情に変化する山と紅葉を楽しんでいるのだ。贅沢な時間の過ごし方だ。
カールのため、朝日が当たるのも遅い時間となる。明日も鮮やかな紅葉は見れないで出発してしまうけれど、それでも大満足した。今年来て、本当によかった。Oさんにも見せてあげたかったな。
テン場は満杯。それを覚悟してきているので、文句はない。この紅葉に出会えたから、それでいい。
奥穂では、朝に積もった雪のため、山岳警備隊がキレット通過をする人にアイゼンを持参しているかチェックをしていたらしい。雪が融けてからの通過で、ラッキーだったと思った。
涸沢は、夜が更けても賑やかだった。
10月8日(月)
5時半には、涸沢を発った。まだ、薄暗い。歩いたことのないパノラマコースを行く。山をやり始めた頃、上高地の宿に戻ってきたおばさんが、「パノラマコースを帰ってきたら、大変な目に遭った。死ぬかと思った。」と言っていたことがあり、危険なところなんだろうなあと記憶していた。それに、岳沢経由のほうが直に奥穂に行けるのでそちらのコースばかりを歩いて、涸沢をカットすることがほとんどだった。今回はいい機会なので行ってみる。
しばらく行って振り返ると、涸沢と穂高の全貌がきれいに見渡せた。空は青空で、3日間で一番いい天気だ。ヘリコプターがザイテングラート途中でホバリングしている。きっと救助者がでているのだろう。夜にザイテングラートを登っている人のヘッテンが数個光っていたもの。レスキューの方が向かっていたのだろう。
パノラマコースは、左側はキレ落ちているが、慎重に歩けば大丈夫な道。ザイルや木の根、枝を掴みながら、アップダウンを繰り返す。槍も見えてきた。昨日歩いたキレットも。すごいパノラマだあ。なんでこのコースを今まで歩かなかったのだろうと後悔した。
下る途中、中畠新道分岐にさしかかると、沢道を下山してくるパーティと会う。話を聞くと、その先に奥又白池というとても美しいところがあり、岩登りのベースにもなっているのだそうだ。親切にも写真を見せてくださった。池に映る前穂は、外国のような景色だった。いつか行ってみたい。人との出会いでまた自分の世界が広がる。50代半ばのパーティだったが、岩登りで前穂に行った達成感あふれる顔が印象的だった。年は関係ないんだなあと思った。足取りも軽く、すぐに見えなくなってしまった。
反対に私の足取りは重く、上高地に着くまでにいったい何人に追い越されただろうか。徳澤でご褒美のソフトクリームを食べても回復せず、ゆっくりと上高地へ向かった。修行がたりないな。それでも、予定より1時間ほど早く着いたので、お昼ご飯を食べ、お風呂に入り、きれいになって、穂高とさよならした。
12時40分のバスに乗り込み、弘前に着いたのは23時30分だった。東北新幹線に電気系統の接触トラブルがあり、20分ほど新幹線も遅れ、乗り継ぎ電車も遅くなってしまった。
でも、車中泊を含め3日で行けてしまったことに、穂高って案外近いかも・・・と、変な感覚が生まれつつある。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する