丹沢には根雪が無く、たとえ遅い降雪を見ても消えるのが早い。
雪が消えれば直ぐに沢水も緩み、草鞋を履いての沢登りの季節になる。
西丹沢には小さいが技量的に面白い沢が無数にあり、昔 相棒とよく通った。
谷川岳に残雪が多く草鞋履きの遡行ができない時期でも、丹沢の雪はすっかり消えているから水床歩きやシャワークライムの寒冷も我慢できる程に緩む。
例年のように年初の沢登りは丹沢だった。
写真は草鞋を履いた若き日の相棒の足回りである。
1957〜58年頃の西丹沢でのスナップ撮影の一部分だが、素草鞋派の相棒の出で立ちはと言えば山シャツにニッカーボッカー、野球用のストッキングを履いた素足に草鞋である。
大陸満州のハルビンで子供時代を過した相棒は寒冷には強かった。
私は寒さはある程度我慢できるが水の冷たさには弱いので、素草鞋派ならぬ足袋草鞋派であった。
通常の和装の足袋も試したが、強度が足らず短いので砂や砂利が入りやすく思考錯誤の結果、薄いアメゴム底でコハゼを多用した布で脹脛までカバーする鳶職用の地下足袋に草鞋の重ね履きに決めていた。
当時は沢靴やクレッターシューズの類は市場に無く、無雪期の沢登りには草鞋を履くのが極く普通で誰でも皆ジャブジャブと沢床を歩きスルスルと滝を登った。
そう言えば素草鞋派には洒落者が多く、取り付き迄は電車の中も粋がって下駄履きで来る仲間も居たが(わざわざ派手な女下駄を履いた)相棒は洒落者ではなく運動靴を履いていた。
勿論私は足袋草鞋派だから運動靴だった。
草鞋履きの足回りは丹沢のみならず梅雨明け後の夏秋の谷川岳の一ノ倉沢などの登攀にもそのまま使われた。
アルプスなどと異なり、逆層ばかりでスタンスもホールドも細かい一ノ倉沢をナーゲル靴で登るのは不可能に近いからだ。
冬季には雪渓でも岩場でも、ナーゲル靴には必ずアイゼンを装着するから話は別である。
当時、沢登り、岩登り専用の靴は市場に無く一般的ではなかったのである。
沢筋の彼方此方に不用になって脱ぎ捨てられた草鞋が見られ、60年代は稲藁や麦藁製であったが70年代になるとポリプロピレンなどの合成樹脂の紐で編まれた新素材草鞋が多くなった。
新素材の草鞋は丈夫で性能も良く、岳会を辞してフリーソロ時代の私も暫く使っていたが、いつまでも自然に還らない欠点があり、濡れた状態での持帰りも面倒なので、山中で自然に土に還る藁製に戻した。
写真を見てもう一つ思い出したことがある。
ザイルを切って自作する腰縄に代えて試作の安全バンドを使い始め、それが写真にも写っている。
高所電気工事用などの安全バンドを登山用にアレンジした今で言うハーネス相当の製品を秋葉原の某ジャンク屋が試作し、岳会に評価を依頼したのである。
当時、岳会仲間たちはジャンク屋で進駐軍放出の中古山道具(ハーケン、カラビナ、水筒、テント、寝袋など)を購入していた。
試作の安全バンドは、厚い布帯に堅牢な2穴牛革ベルトを縫合し金属バックルの2本のピンで留める型式で手製の腰縄より使い易かった。
写真のカラビナも、たぶん軍放出のO型で安全リング無しの品だと思う。
進駐軍放出の山道具にはいろいろと問題や怖いエピソードがあったが、兎に角べらぼうに値段が安く随分と重宝した。
安全バンドを造った某ジャンク屋は半世紀後の現在、大きな山道具山用品店に成長している。ainakaren
草履ですか懐かしいですね、今みたいに靴は重い皮靴で何処でも登っていましたね、尾根は当然、沢も岩もそうでしたが、たまに西丹沢の沢には草履をザックの隅に入れていました草履の威力は凄いですね、今は無くなっているか解りませんが玄倉のバス停の側にはお婆さんのお店などがありました、今みたいに車で西丹沢とはいかず、最終電車で夜通し歩いて取り付きました、
谷川は標高が低いために草付きが多くやはり草履はザックに入れていましたね、先輩は脚絆に地下足袋を履いている時もありました、
安全バルトの先駆けですか、まだ私たちはザイルで自分用の腰縄を作って確か端はロウソクで固めていましたし解れないようにその上からビニールテープをまいてました、
今は重い皮靴は敬遠されているようですね、この靴は足に合わせて作れば一生物でしたから、逆に安く付くようですが、
naiden46さん、こんにちは。
コメント深謝です。
草鞋のフリクション性能〜いいですねぇ〜。
縦横に堅く編み上げてあるから摩擦が多く、水を吸い切るから水で滑らず、水を吸っているから乾いた岩上でも滑らず、草付きにも逆層にも強いですね。
感触としてはフェルト底の沢靴に似てますが、比較性能は遥かに高いでしょうね。
予備を1足持てば耐久性も心配ありません。
夏の沢にこれ以上の履物はありません。
保温性と足指の保護能力はありませんから、粋がらずに足袋か地下足袋併用がいいですね。
残念ながら冬山には使えませんね。ainakaren
ainakaren さん、こんにちは。
丹沢はヒルが怖くてほとんど入らなくなってしまいましたが、いまだに足元は、軍足+地下足袋+ワラジで入渓しています。
渓流釣靴や沢靴をいろいろ試してみましたが、いずれも1〜2回で止めています。
それだけワラジは優れものなのだと思います。
でも、ワラジは考えようによっては贅沢品です。ワラジを10〜20回購入することを考えれば余裕で沢靴を購入できますので。
ヘッドランプの予備と同じで「ポリプロピレンなどの合成樹脂の紐で編まれた新素材草鞋」は、今でも予備として常にザックに入れていきます。沢靴が常識になっているのに奥多摩の軍刀利沢で、これを履いて居られる方が居て、何か嬉しかったですね。
atosukoshiさん、こんにちは。
コメント深謝です。
丹沢は最近、急に蛭が大繁殖だそうですね。
昔は蛭もダニも蚋も全く気にしたことがありませんでした。
草鞋より耐スリップ性に優れたオールマイティの履物はありませんね。
昔は安価でしたが今ではちょっと高いですね。
それでも未だに細々と草鞋ファンが居られるとの事、とても嬉しいですね。ainakaren
沢登りは全くしませんが、記事を拝見して・・・
熊野古道など、苔の石畳が続くところも、草履やフェルトが良いのかもしれませんね。
ゴム底では、よく滑りますから。
fuararunpuさん、こんにちは。
コメント深謝です。
草鞋は沢の遡行や岩登りには、最適なフリクション性能を具えますが、底が柔らかいので足裏が足場で変形し縦走などの長距離の歩行には不適です。
重い荷も辛いですから、熊野古道にはお薦めしません。
草鞋は苔などの植生へのインパクトが少ない利点はありますが、熊野古道には足の保護の観点から少なくとも土木作業用の、堅牢な地下足袋をお薦めします。
濡れ場で滑らないために、草鞋の併用も可能です。ainakaren
ainakarenさん おはようございます。そしてはじめまして!
いつも楽しく拝見しております。
又、私のレコにいつも拍手ありがとうございます。
草鞋懐かしいですね。私はじかに履いた事は無いのですが大工さんが履く底がゴム引きの爪が確か10爪位ある地下足袋に草鞋を履いていました。
今から40年ほど前の高校生の時地下足袋を履き、草鞋を2足ザックに入れ小田急線に月3回は乗っていました。懐かしいです。
今東丹沢はヒル巣になっていますが、当時はヒルも居なくよく沢床でビバ−クしました。
今は沢靴を履いていますが草鞋本当に懐かしいです
ten-no-kiさん、こんにちは。
コメント深謝です。
単独行で夏秋の沢に入っていた60年代後半頃、商品化されたクレッターや沢靴を色々試しましたが、いずれも草鞋ほどの快適性、安定性がなく定着しませんでした。
最近の沢靴やクレッターは知りませんが、もう履いて確かめるチャンスもありません。
草鞋のよさは濡れた足場の水を吸って足下に滑る水膜を残さず、乾いた足場を湿らせて足の滑りを止める点です。
足下の水膜は滑りの原因だし、乾いた岩では本のページを捲るとき指を舐めて湿らせ滑りを止めるのと同じですね。
草鞋と地下足袋を履くことももうありませんが新品のままの残品が屋根裏に保管して有ります。ainakaren
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