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2021年05月25日 20:53山話し全体に公開

「登山は何処が面白いか」登山への想い

私は今、日本近代登山史を振り返る旅に出ようかと思います。できれば先人が歩いた道を辿れたら、どれほ面白かろうかとも思い描く。
この日記にも先日取り上げた、三田尾松太郎という人の本を三冊、いままだ「奥羽の名山」という本が手元に来ていないが、この人の「山をあいして二十年」という本から、前回「合目」について取り上げましたが、今日は彼が書いた「登山感」を取り上げます。お読みいただければ幸いです。省は十四年前後の日本人の<登山「観」>です。
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「登 山 感」            三田尾松太郎
        (一)
 登山は何処が面白いかとは常に訊ねられる言葉であるが、それは山に対して理解を有たない人の言葉である。登山は他のスポーツと違い、勝敗を争い、銃猟や釣魚の如き獲物を目標とするものではたい。飽くまで土に親しみ、大自然に抱擁せられる人間本来の性情に根ざすもので、之を科学的に解釈、解答することは一寸困難である。
 山は静者であり、不動不変者であり、仁愛の表徴であり、崇厳の表現である。登山は此幽遠広大の妙境に投じ、山の霊気に俗し、其処に自ら人生最高の目標たる精神生活の妙所に触れて来るのである。之が登山の深味、深奥の存する所で、此山の霊妙が會得出来れば、それは人生無上の喜悦であらうと思う。要するに、登山ぱ直接大自然の懐に抱かれて高遠の理想を辿る崇高な人生行である。
 登山もスポーツ的、娯楽的考のみを以てすれば 何時しか無味に陥り、到底山の霊妙さは解し得られたいのである。例ぺば、単にスポーツ的に考へれば、前人未踏の巌峯攀登に成功した場合は快哉を叫び、感謝感激に浸るであらうが、二度目はもう賞初程山に對する興味は起らないであらう。三回、四回となれば、最早や登山の意味さへも失ふであらう。山の妙味、深奥はそんな浅狭なものでたい。踏めば踏む程奥の知れぬ妙境が存するので此の深妙の味を体得せんとするにぱ、単にスポーツ的の考のみを以ては不可能といふべきでる。
        (二)                          登山は如何たる大智者大権力者と雖も、労せすしては出来たい。堅実に大地に足を踏みしめて、一歩一歩目的に向って登るより外すべないものである。
(*この言い方には茶道に通じるものがあります。貧富の差権力の差を越えた関係が登山にはあると言うことです。真の交わりが成立する可能性がありますね。いかが思いますか。)
 畏くも竹の園生の宮殿下も、御登山に際しては、流汗淋漓、貴い御徒歩の困苦を御体験遊ばされてをられるのである。そしてそれは単なる御趣味でなく、深く人生行路の正道を歩ませ給よ御修練の一端と拝察され、洵に恐催感激に耐へたい次第である。
 登山は質実剛健の気風を練るが根本でなければならぬ。近時登山者の中には、山を征服云々の頗る不遜な言葉を耳にするが、まことに以て不謹慎と云はねばならぬ。
 山は決して征服すベきものではない。霊山に入峯すると云ふ清浄な気持ちで登嶺すべきである。吾國の山は神が鎮座せる浄地であって、高千穂の聖峯を始め、山嶺に山霊の祀祠を見るものが多い。山を何か暴虐的なものゝ如く考へて、征服するなどとは以ての外で、山を冒涜するも甚だしいとはいはねばならぬ。山を敬し、山の霊気に抱擁せられる真摯な
態度に因って、登嶺して貰ひたいのである。
(*「山は決して征服すベきものではない。」という思想に日本人の自然観があります。無事登山できたときは、山の神に受け入れられたと想います。ともにある存在としての自然と言うのが日本人的発想です。)

        (三)
 都市の雑踏危険に比すると、山は実に安穏楽地である。然し一朝濃霧の襲来、風雨雪遭遇すれば、都市の如く一寸容易に避難する所がない。登山は夫處に周到なる注意を要するのである。自分は山を愛して廿年、其間敷度の危難苦痛にも際會したが、一度も自信を失ったことは無い。山中に数日を過ごすには、その地理的実情を究め、其間の天候の変化
を慮り、常に萬般の準備を整へてゐるからである。畢竟単なる娯楽や遊戯気分のみを以て、漫然と登嶺したことがないからである。
 然し拾数年前、一度自分は失敗したことがある。山友ニ三と元箱根より旧道を踏み、十國峠に立った際急に濃霧の襲来に因って見透しを失ひ、湯ヶ原へ途を取るべきを三嶋の方向に踏み迷ったが、是一件の如きは、箱根山位と軽々しく考へたのがそもそもの誤で、最初から少し注意したなら、斯かる失敗は招かたかったのである。故に低山高嶽を論せず、登山に際しては常に萬全の注意が肝要である。殊に未知の高獄に臨むには、其山の地理に通暁せる案内者を帯同すべきが特に必要である。要するに山を敬して恐れず。山を愛して畏れず、常に敬虔遜虚の心掛を以て山に對すべきである。
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みなさんいかがでしょうか。旧仮名遣いや古い漢字は手を加えてあります。近代的スポーツ感を否定するものではありませんが、日本的な登山観として私たちは引き継いでいくべき登山への感情、完成ではないかと思うのです。
私は日ごろ思い描いていた「山への思い」が三田尾氏によって語られていることを知りました。
このかたが、大正から昭和にかけて山を歩き、紹介してきました。深田久弥の百名山は、この人らの先駆的登山活動の上に書かれたものだと知るのです。装備も今とは比較にならないもので、地下足袋が登山の履物でした。
そうう時代の登山の物語は、便利になりすぎた現代の登山とべれば、まったくの浪漫であり、冒険物語に思えるのです。
これは自分も歳をとった上でのことだとは思うけれど、昭和十年と言うのは1935年であり、昭和元年は1921年なんです。つまり、今2021年は1世紀を迎える時だと言うことです。大正生まれの人は100年前に生まれた人となり、歴史化される対象になってきたのです。近代日本の夜明けとともに「登山」も生まれてきました。スポーツの一部で張るけれど、剣道や柔道と同様に日本の「登山“道”」もあっていいかもしれませんね。どう思われますか。
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