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ページを読み進めていくに従い宮田さんの超人的なレスキュー記事に感動して気持ちが上がります。でも、最初のほうだけです。最後までそうなりません。宮田さんのレスキューの師であった篠原秋彦さんの事故死から何かが変わります。
saitama-nの日記:救助ヘリコプターの墜落事故(PDFで読めます)
https://www.yamareco.com/modules/diary/148886-detail-166665
「平成14年に長野県で4人を救助中に救助隊員1人が墜落した死亡事故。ロープ・ネット(モッコ網)に要救助者4人を乗せて、それに救助隊員が2人しがみつくという救出内容。救助隊員はロープ・ネットを降ろした時の行動をやりやすくする為か、体をカラビナ等で固定していませんでした。」
この墜落死亡した救助隊員が篠原秋彦さんです。宮田さんもモッコからのセルフビレイを何故とらなかったのか?と疑問をもたれています。
その後も救助を続けていた東邦航空のヘリコプターは荷揚げ中の自然現象による失速で宮田さんの目の前で墜落(パイロットは宮田さんが航空燃料を浴びながら救出)。東邦航空はエアレスキューから撤退します。機動性を生かした荷揚げと同じシステムで救助をするスタイルはここで失われます。パイロットと救助隊員の技量と経験と度胸に頼った非常に危険な救助システムなので失われるのは時間の問題だったと思います。
山岳ヘリコプター救助の歴史を知るうえで興味深い本だと思います。でも、お亡くなりになった篠原明彦さん達が身の安全を振り返らずにヘリコプターで要救助者を救助してきた事によって山岳ヘリコプター救助が確立されて、登山者は山で何かあったらヘリコプターが助けてくれると安易に考えるようになってしまったとすれば何だかなあと思うのは自分だけかしら?
宮田さんのレスキューにかける思いを知りたい方はご一読を。
自分はひねくれものなのか不出来なのか宮田さんの思いに素直に共感できません。うまく言えませんが、報われない姿を見ているような気がして。宮田さんが救助すればするほど説明のつかない違和感が自分の中でゴリゴリと音を立てます。
そう思うのは作者の宮田さんが既にお亡くなりになっているのが関係しているのかもしれません。
穂高連峰の景色と共に宮田さんの笑顔を思い浮かぶ方はそうではないのでしょうけど。
Amazon:穂高小屋番レスキュー日記
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ぼちぼちいこか 標高3000mの稜線 穂高からの便り
http://bochiiko8.blog14.fc2.com/
穂高岳山荘:稜線の山小屋
https://www.hotakadakesanso.com/
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