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下山メシが苦手、と書いたあとで思い出した光景があります。
子どものころ、家族で久住山に登ったことがありました。
一番上は小学校高学年。末っ子は赤ちゃんで、借りてきた背負子で父と母が交替におぶっていました。
朝、九重の牧ノ戸峠に到着した時からあたりはガスで真っ白でした。
夏でしたが肌寒く、牧ノ戸峠の食堂は開店前でしたがストーブがついていました。
母は結婚前に父と来た時以来だと嬉しそうでしたが、子どもらは、ややどんよりしていました。運動や山登りが好きな子は一人もいなかったし、寒くて雨が降りそうで景色も見えない中、これから何時間も山を登るということで、後ろ向きだったように思います。
沓掛山の岩場を父の手助けでなんとかクリアすると、ガスの晴れ間に星生山方面が見えました。
私は自分が案外上手に難所をクリアできたことで楽しい気持ちになってきて、運動は苦手だけど、もしかしてこういうのは得意かも、なんて考えたりしました。
「星が生まれる山」というロマンチックな山名を知り、高原に伸びるトレイルの先へ行ってみたくなりましたが、遠いから今日はダメと言われ、後ろ髪を引かれるようにお花畑を後にしたのを覚えています。
久住別れを過ぎた頃、雷鳴が聞こえました。
あっという間に、さっきまで見えていた久住山頂はおろか、数メートル先も見えない土砂降りになりました。
久住別れには石造りの簡素な避難小屋があって、付近にいた登山者はみんな避難小屋へ駈け込んで、小屋内はただまっすぐ立っているしかないほどの混みようでした。
雷の通り過ぎるのをだいぶ待って、登山者がぽつぽつと出立していき、ほとんど最後に私たち家族も小屋を出ました。雨も止んだと思います。
そのあと山頂へ登ったのだったか、どうだったかは思い出せません。
久住別れから山頂までは子どもの足でもほんのひと登りだったはずなのですが、時間がだいぶ押していたし、避難小屋での待機で疲れてしまっていたので、登らなかったかもしれません。
来た道を戻ると、牧ノ戸峠では朝は閉まっていた売店と食堂が営業していました。
けれどそこへは寄らずに、車で帰る途中の国道沿いのロイヤルホストでご飯を食べていくことになりました。
その時、私は盛大にゴネたのでした。
雨に打たれて、服もリュックも生乾き。あちこち汚れて泥もついています。
こんな格好で、素敵なレストランになんか入りたくない。
その頃の私にとってロイヤルホストといえば、おすまししてご馳走を食べる、特別な場所だったんです。
ちょっといい服を来て、大人ぶってナイフとフォークを使ってハンバーグを食べる場所。
ドロドロな恰好で、ドロドロに疲れ果ててる“今”入る場所じゃない。
お腹はすいてるけど。もうペコペコを通り越して倒れそうだけど。
結局なだめすかされて、しぶしぶロイヤルホストへ入ったのでした。
なに食べたっけなあ・・・ロイヤルホストはいつも、何を食べても、おいしかったなあ・・・。
これが思い出せる最初の下山メシです。
下山後の身なりを気にしてしまう謎の自意識の萌芽は、どうやら子どもの頃にあったようです。
三つ子の魂百までってやつでしょうか。
たぶんねえ、気にしすぎなんですけどね。
それと、下界に戻る前に一度リセットしたいんですよね。お店に入る前に、顔を洗って着替えて、疲れ切ってる自分をピシッと下界モードに切り替えたい気持ちもあります。
両親は子育てが終わった頃からしばらくの間夫婦で山歩きを楽しんでいましたが、子どもたちのうち、山を趣味にしたのは私一人でした。
背負子で背負われていた赤ん坊は立派に腹の出た中年となり、ずっとインドア趣味だったのですが、先日からかい半分に木曽駒ヶ岳に誘ったら「行く」と答えてきてびっくりです。ほんとかなあ。
思い出したついでに、あのとき久住山頂に登ったかどうかを母にたずねてみたところ、「ロイヤルホストやったかいね・・・風月やなかったろうか」との返事が返ってきました。そこか。
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