![]() |
![]() |
![]() |
伯母夫婦は、伯母が何年か前に認知症になり、かつての我が家のように老老介護状態だったのだが、伯父は昨年夏に風呂場で倒れて入院し、ほとんど意識がない状態になってしまっていたのだと、伯母の通夜のときに従姉から初めて聞いた。それ以来伯母は、家政婦が住み込みで24時間世話をしていたものの、急速に弱っていったようだ。一昨々年末に父と訪問した際には、二人とも元気そうだったのだが...。伯母は父と同じ88歳、伯父は95歳だったから、十分長生きしたとも言えるのだろうが。
従姉とそのご主人も医者(伯父も医者)で、同じ札幌市内に住んでいるのだが、こういうときはどうにもならないものだな、父も私が一緒に住んでいなければとっくに...と痛感し、父のときは、私独りで葬儀をしなければならないのだ、それも遠くない将来に、などと改めて思って、何だか暗澹たる気持ちになってしまった。
それはさておき、この伯母や伯父とは昔、よく一緒に山に登った思い出がある。母と伯母は、互いに認知症になってからは、些細なことで仲違いして疎遠になってしまったが、それまでは仲の良い姉妹で、年に何回かは家族ぐるみでお互いの家を行き来していた。私が小学生の頃は、夏休みともなると、伯母一家とよく泊まりがけで、海水浴に行ったり、山に登りに行ったりしていた。大雪山(旭岳・黒岳)も羊蹄山も夕張岳も恵庭岳も八剣山も、母とともに、伯母・伯父・従姉と一緒に初めて登った山だ。それに、2,3歳の頃、ヘルベチア・ヒュッテに初めて行ったときも、どうやら、当時はまだ珍しかった伯父のマイカーに乗って行ったらしい。伯母には、1970年の大阪万博に連れて行ってもらった思い出もある。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-52215.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-42636.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-43280.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-42646.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-43073.html
ケンさま
ぼくも前半は妻の叔父の葬儀、後半は山仲間の後輩の家族と八ヶ岳山麓にてヒュッテンレーベンでした。
いろんな世代と、会い話し、人の人生について、その最後についてなど思いめぐらしました。天気よく、山に行かない初夏休みでしたが、そういうときもありましょう。
ケンさんの小学三年の大雪山日記が、うちの小三チビと同じ文体だったので驚きました。うちも日記をせっせと書いています。お父様の世代はもろに日米戦真っ盛りの青春世代で、さぞ根性が据わって山登りなどされていたことでしょう。
山には、幾多の家族の思い出が宿っているのだなあ。
今日も朝から雨ふりですが、札幌の今年のG・W期間中の日照時間は平年のわずか8%だそうですね。
雨降りの様子を眺めながらkennさんの日記をしんみりした気持ちで読みました。
順送り、といいますが、まずは親世代を送り、その次は兄弟姉妹や友人など自分と同世代を送ることになります。
私はもうその世代ですから、寂しくなることも増えましたが、まだ山歩きが出来る幸せも強く感じるようになりました。
yoneyamaさん
それは光栄です、というのも何だか変ですね。お恥ずかしい。これは(羊蹄山も)、小学校の夏休みの作文か何かです。
父は、仕事のためか、これらの登山にはあまり参加していません。それに高所恐怖症だと自ら常々言っており、たしか恵庭岳へは行ったのですが、頂上岩塔の手前で、「こんなところに登るのはオッチョコチョイだ」とか言って、独りでそこで待ってました。
umetomosanさん
本当に今年のGWは、冬同様に未体験の異常気象でしたね。
私は独り者で兄弟もなく、親戚もあまりおらず、仕事も辞めてしまったので、父を看取るというか送ったら、どうなるだろうと思ってしまいます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する