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地層の分割については、スマホで現地の地質図が確認できることを知ったことが具体例であった。
写真は、秩父・武甲山山頂付近の地質図、以下の奥多摩・茅倉尾根登口、武川岳・天狗岩コース周辺の地質図である。
鶴脚山_茅倉尾根の確認:2020年10月27日(火) [日帰り]
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2681258.html
武川岳_名郷から正丸:2020年09月17日(木) [日帰り]
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2571869.html
それぞれ鉱山・鉱山跡周辺を通過していたことは、地質図にも対応していた。
地質学には興味があったものの、最近になって初めて付加体という言葉を知った。具体的には2019年6月18日に初めて武蔵五日市南沢の鳥の巣石灰岩産地を確認し、出会った方から「同じような成因の岩石は高知県にも見られ、付加体というのですが、話すと長くなります」と言われたことが最初だった。その後自分なりに調べ、2020年12月2日に向かった皆野アルプスでは、華厳の滝の説明書きには付加体としての説明があり一般的な捉え方なのだと改めて理解した。
南沢山・瀬音の湯_武蔵五日市駅から:2019年06月18日(火) [日帰り]
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1897442.html
皆野アルプス_破風山・天狗山:2020年12月01日(日帰り)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2774828.html
付加体をウィキペディアで確認すると、以下のように記載されていた。
日本では1976年(昭和51年)に九州大学の勘米良亀齢が南九州の四万十層を調査して、その構造を付加体と名付けた。欧米でもほとんど同時期にオックスフォード大学の W. Stuart McKerrow らがスコットランド地方の複雑な地質を調査して1977年に付加体構造に関する論文を発表した。この概念によって日本列島を形成する海洋起源の堆積岩や変成岩について、系統的な説明ができるようになった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/付加体
一方【南沢の鳥ノ巣石灰岩産地】は、東京都文化財情報データベースでは、都指定・天然記念物、所在区市町村:あきる野市、指定年月日:昭和42年3月31日と記載されている。
https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=836
したがって【南沢の鳥ノ巣石灰岩産地】が天然記念物に指定された昭和42年(1967年)当時、その成因は現在のように説明されていたわけではないのであろう。
大学時代には理学部に所属していたためもあり、以下の【海洋底拡大説・プレートテクトニクス】には馴染みがあった。
【海洋底拡大説(かいようていかくだいせつ、英: Seafloor spreading)】とは、中央海嶺で地球内部から物質が上昇し、新しく海底の岩盤を作るため、海底が中央海嶺の両側へ拡大するという仮説。拡大する一方、海溝でその岩盤が沈みこみ、ハリー・ハモンド・ヘスとロバート・シンクレア・ディーツによって1960年代のはじめに提案された。その後、1967年頃に登場する【プレートテクトニクス】へと発展していった。
付加体の概念ができたのは1976年(昭和51年)、1967年(昭和42年)のプレートテクトニクスの概念が根付いてからのことであろう。大学に入ってからであろうか【プレートテクトニクス】は理解していたものの、僕の中学・高校時代の知識が【付加体】という概念で更新されてしまっていたとは想定していなかった。
ジオパーク秩父のページを確認すると、研究史の紹介のページがあった。すなわち、「明治時代、日本の近代地質学の夜明けから、秩父ではその先駆けとなる様々な研究が行われてきました。」と記載されている。
https://www.chichibu-geo.com/story/birthplace/
具体的には僕の高校時代から大きく研究が進展してきたことが確認できた。以下は上記のwebページから抽出した。
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1970 年代までは、高校地学の教科書に「秩父古生層」「秩父地向斜」が太字で載せられていました。
1970年以降になると、岩石をフッ酸で溶かして、放散虫を取り出す技法が導入されて、それまで化石が出ないとされていた泥岩やチャートから多くの放散虫化石が発見されました。その結果、「秩父古生層」の大部分が中生代ジュラ紀だったということが分かり、以来、「秩父中・古生層」、「秩父層群」、「秩父帯の地層」などと呼ばれるようになりました。1970年代末から1980年代初頭の数年間に、今まで古生代と思われていた地層が中生代のものであると判明した地球科学史の一大転機を「放散虫革命」といいます。
これにより、「プレートテクトニクス」という、地球の表面を覆っているプレートの動きによって大陸が移動し、造山運動、火山、断層、地震などの地殻変動によってさまざまな地質現象が起こり、現在の大地が成り立っているという学説が主流となりました。
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このような研究を踏まえ、初めて日本の石灰岩の質がいいことなどを以下で理解しました。
石灰岩工業協会
http://www.limestone.gr.jp/introduction/
具体的には、以下のように記載されていました。
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このような形成史から、日本の石灰岩の特徴としては「広い海洋の海山上に堆積したため大陸から土砂の流入が無く、炭酸カルシウムの純度(品位)が高い」という特徴があります。石灰岩は世界中に広く分布している岩石ですが、世界の石灰岩の多くは大陸プレート上の浅い海に堆積したものであり、陸から土砂の流入を受けているため一般的に日本の石灰岩と比較すると品位が低く、また層準ごとの品位変動が大きいことが特徴であると言えます。
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常に知識を更新していかなければならないことを実感している。
武甲山は火山島が大陸性プレートに付加されたもので、同様な起源の小規模な島々がミクロネシアを構成している。そこでミクロネシアの環境と固有の文化を確認した。
ミクロネシアの島には、火山島起源の火山島と珊瑚礁起源の珊瑚島があり、ほとんどの火山島は現在噴火活動をしておらず人間にとって住みやすい環境が提供されている。火山島はその基盤が大陸性地殻上にあるのか太平洋プレート上にあるのかでさらに陸島と洋島に区分される。
陸島は安山岩起源の豊かな土壌を持ち、特にヤップ島は大陸性地質構造の緑色片岩が主要な構成岩石で石灰岩が見られない。一方近くのパラオも陸島であるが石灰岩があり、切り出された石灰岩をヤップ島に筏で運び石貨として利用した。大きな石貨は場所に固定されその所有権が移動するもので、通常の交換に利用するものではない。19世紀後半(1870年代)より、欧米人がこれに目を付け、ヤップ人に代わって石貨製造に関わるようになった。中でもアイルランド系アメリカ人のデービッド・ディーン・オキーフは、1872年から1901年まで、最新式の機材をパラオに持ち込んで石貨を製造、それをヤップ島に持って行き、コプラと交換して莫大な財を成したという。オキーフ作の石貨は数千個あるといわれ、あまり「苦労」することなく製造されたことから、値打ちは従来のものよりも下がるとされている。 ヤップ島での石貨は、最終的には、1931年まで造られた。
自分で持ち運ぶことのできないが記憶の中に社会集団的価値が刻まれている、経緯が石に刻まれている場合もあることで、仮想通貨を思い出した。経緯に社会集団的共通理解があるが共通点であろうか?検索すると以下が確認できた。
この石の通貨が、実は何人かの非常に優れた経済学者たちの注目を集めました。1人はジョン・ メイナード・ケインズであり、もう1人がそのミルトン・フリードマンであります。彼らはこれが 世界の信用通貨のある意味で原点なのだ、というようなことを言ったわけであります。石貨に関する歴史の記憶、それに加えて取引記録、これが実は人々の頭の中に共有されているというのがヤッ プの通貨の仕組み
「石貨・仮想通貨・ブロックチェーン」
https://waseda.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=40771&item_no=1&attribute_id=101&file_no=1
ヤップ島の石貨が日比谷公園に置かれていることを知った。ぜひ一見したいものだ。
日比谷公園にある石貨にまつわる話
https://www.kurakurakurarin.com/entry/hibiyaparkstonemoney
参考資料
ミクロネシアを知るための60章・印東道子・2015年
石貨 (ヤップ島)
https://ja.wikipedia.org/wiki/石貨_(ヤップ島)
以下については、1982年ごろ知識を得た。これがその後の60歳ごろまでの最後の更新であろうか?巨大隕石衝突説の登場
アメリカワイオミング州で採取されたK-Pg境界を含む岩石。中央の白い粘土層は上下の白亜紀・新生代第三紀に比べて千倍のイリジウムを含んでいる
1980年、アメリカカリフォルニア大学の地質学者ウォルター・アルバレス(アルヴァレズ)とその父でノーベル賞受賞者でもある物理学者ルイス・アルバレスおよび同大学放射線研究所核科学研究室の研究員2名が、K-Pg境界における大量絶滅の主原因を「隕石」とする論文を発表した
K-Pg境界における生物大量絶滅の要因は、メキシコのユカタン半島に直径約10 kmの巨大隕石が衝突したことです。巨大な隕石衝突による天変地異が生物大量絶滅の引き金となったという仮説は、1970年代から提唱されてきましたが、確かな証拠がなかったため研究者たちの間で本気で議論されていませんでした。ところが、1980年に発表された物理学者のルイ・アルバレツとその息子であり地質学者のウォルター・アルバレツの発見をきっかけに、研究が精力的に進められるようになったのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/K-Pg境界
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