過去の日記で以下の写真のサイトを紹介した。
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東京都水道歴史館の写真を自宅で確認
https://www.yamareco.com/modules/diary/238211-detail-247052
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ここではいろんな課題を、過去の写真を通して確認できたのでメモっておくことにした。
例えば過去の山仕事、特に流域の森林作業と木材の生産に興味を持っていたが、具体的に確認できた。
上流部から確認していく。
【水源林】無立木地状態の笠取山付近
【制作年月日】大正11年(1922)11月
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/REKI-004-018_02
(当時山の中の作業などに多くの馬が利用されていることを実感した。山道の馬頭観音にも想いを馳せられる)
【水源林】丹波山村片倉谷間伐丸太材修羅出し
【制作年月日】大正14年(1925)10月4日
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/REKI-066-034_02
(間伐丸太材を出荷する様子のようだが、大規模な作業に多くの人々が関わっていたことを実感した)
【水源林】小河内村女の湯に於ける後山天然材伐採木の流送設備(鉄砲堰)
【制作年月日】昭和20年(1945)12月
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/REKI-084-030_02
(鉄砲堰の作られる地形を実感した)
【水源林】古里附河原
【制作年月日】明治後期〜昭和前期
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/REKI-088-012_02
(間伐材として集積加工された木材も整えられている)
【水源林】多摩川古里村付近
【制作年月日】明治後期〜昭和前期
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/P0007_009_02
(水面に組まれた筏が確認できる)
【水源林】奥多摩町古里地区(古里附橋)付近丸太搬出状況
【制作年月日】昭和10年代(1935〜1945)
https://www.ro-da.jp/suidorekishida/content/detail/P0007_015_02
(古里附地域多摩川を利用した木材移送の拠点に多くの筏)
現在の奥多摩湖からさらに奥の丹波などからの木材が河川などを通して古里辺りまで輸送したのだろう。適宜筏の規模などを組み替えがてら青梅などで疲れを癒したのかもしれない。
機会をみて、古里附橋周辺を散策してみたいと思っている。
かつての山仕事への共感を以下の日記に記載したが、さらに実感が深まった。
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かつて檜原村には新宿地域より多くの人々が生計を立てており、山から切り出した木を、鉄砲堰の利用・管流し・筏などで運搬していた」などの話題が印象的であった。またYouTubeで昭和37年頃の山仕事を確認した。
森林と共にあった暮らし:「ポツンと一軒家」奥多摩を見て
https://www.yamareco.com/modules/diary/238211-detail-203089
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