震災から3カ月ほどたった初夏の深夜、石巻駅周辺で真冬のコートを着た30代ぐらいの女性が乗車してきた。目的地をたずねると「南浜まで」と答えたので、「あそこはほとんど更地ですけど、かまいませんか」と聞くと、「私は死んだのですか」と震える声で話した。驚いて後部座席を見ると、誰も座っていなかった。
他にも、8月なのに厚手のコートを着た20代ぐらいの男性客が、目的地に着いたときには姿がなかった話。8月の深夜にコートにマフラーをした小学生の女の子が手を挙げて乗車、運転手は迷子だと思い、女の子が答えた家の場所まで送りとどけると、「ありがとう」と言って降りたとたんに姿を消した話。そんな体験談が記されている。
こうした体験談には「思い込み」や「勘違い」とは言いきれない面がある。タクシーは人を乗せて走り出した時点でメーターを「実車」や「割増」に切りかえるため、乗せた「幽霊」は無賃乗車扱いになって運転手自ら肩代わりしており、記録が残っているという。
東北大震災からもう12年目になる、今年の夏山もたくさんの登山者が次々と生き急いで亡くなっていく「どうしてかなぁ」といつも思う、「天災は忘れた頃にやってくる」といったのは物理学者の「寺田寅彦」だがこの「忘れたころ」というのは何年くらいをいうのか調べたことがある。
これについての論文や諸説はなく、どうも「忘れないようにするために、祖父から父へ、父から子へ、子から孫へと技術を伝承する、神社の式年遷宮が1番解答に近いようである」つまり20年、30年というのが「忘れた頃」となるようだ。
阪神大震災や東北大震災、水害、御嶽山火山災害、コロナなど次々と発生するし、毎年山でも300名近い方が命を落としている、もうすぐお盆がくる、忘れないように、亡くなった方たちへの思いを馳せるのが1番の供養だろう。今年初盆になる登山者の方々のご冥福をお祈りするばかりです。
他記事に書いたように昨年入院した。
若い男性看護師が山小屋で働くうちに「命を救う仕事がしたいと看護師に転身したという」「穂高の小屋番で海のカヤックで亡くなった漫画のモデルになった小屋番の話をしていた、小屋明けの時の除雪作業でスコップを誤って積み上げた雪山の向こうの谷側に飛ばしてしまった、2本目も飛ばしてしまった、3本目も飛ばした「これはなにかあると、積み上げた雪山に登ると3本が同じところに刺さっていた」そこを掘ると冬期に遭難した登山者の躯がでてきたという。
同じ小屋であるお客様の少ない暴風雨の夜に仲間の女性スタッフが山小屋の窓をじっと見つめている、「どうかしたのか」と尋ねると小屋にくるまで看護師をしていたが仲よくしていた患者さんが外に座っているんだという、後日やはりその晩に患者さんが亡くなったということだったと話をしていた、不思議なことで説明のつかないことは山ではたまにある。山には畏怖心が必要だ。最近「スポーツクライミング」的な雰囲気が主流だ。
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