写真2.墨書土器「子」など
写真3.「ふじみ野に馬がいた?ーまぼろしの牧を探る」展
ふじみ野に牧が本当にあったのかは定かでない。近くに入間郡家(役所)や東山道武蔵路や河川、堀や大井戸、馬の骨や歯などの状況証拠から牧があっても不思議ではないが、駅路,駅家の運営上、馬を飼う小さな施設があるだけかもしれない。駅路があるから馬がいたことは確実だが古代の文献ではふじみ野市域の牧の記載はなさそうだ。墨書土器などから、その可能性を探る努力を重ねているということのようだ。古代の交通路に関しては様々な人々の研究からかなりのことがわかってきている。各郡ごとに牧をつくるのは財政的にも大変だろう。まだまだわからないことが多そうだ。
令制下では兵部省の元、国司が軍団用馬を育てるために各国の牧を運営、延喜式によれば武蔵国では「檜前馬牧」「神埼牛牧」があり、8世紀末の勅旨牧では武蔵国では「石川・小川・由比、立野」の4か所、933年ころの承平年間では阿久原、小野牧が増設されたという。これらの牧の場所の比定には諸説あり、不明点が多い。ふじみ野の出土品の墨書土器「片」や「子」がそうした牧の付属施設なのかどうか、今後の研究の進展に期待するしかないようだ。
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