さらに小さな収蔵室の中に入り、当時の吉備がどのような交易活動、対外交渉を行っていたのかが、少しわかるような土器を見せていただいた。それは主として九州系の土器―讃岐の土器もある。どちらかというと北部九州ではなく、東部から南部九州が多いという。大分や鹿児島方面の土器だという。海を越えた瀬戸内海航路を使った通行があったこと示している。ーーということは大陸との交渉、博多湾貿易もいったん大分の港を通して行われていたことが多いということ?河川や陸路でいったん大分に物資を出して瀬戸内海航路で四国や吉備まで運んだ?博多湾からの直接の交易は少なかったのか?新たな疑問が出てくる。これは、さらに土器の動きを詳しく調べる必要がありそうだ。職員の方にお礼を言って網浜中学校バス停に向かう。バスが遅れていて16時11分のさくらに間に合わないかと心配したが、かろうじて滑り込みセーフ、ロッカーから荷物を出してさくら新幹線に乗り込むことができて、忙しい一日も終わりに近づく。
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日記
古代吉備文化財センターから岡山駅に戻ったが、博多行きの次のさくら号がまで小一時間ある。そこで岡山市埋蔵文化財センターを訪ねてみた。ここは年間数回展示替えをする方針と書かれていた。千足古墳の復元ジオラマは、昨年岡山市シティミュージアムで見たものと同じだ。常設展示見学はほどほどにして、センターの職員の方に、庄内式期の吉備の土器の製作法に浮いて、教えを乞う。する遠くから年配の考古学者と思しき方が出てきて、特別に展示室以外の土器を見せてくださった。その中のいくつかを持ち上げて、土器内部を観察、中にあるケズリの痕跡について、粘土中の砂が動いた跡と思われる筋が見えるという。また指を使って内部を押さえた後も生々しい。一方、口縁部の外側は、横に撫でた跡がある。とりわけ布留式期以降、次第に回転する轆轤台を使うようになると、横に撫でる傾向が強まるという。そのほか、内面ケズリや底面のタタキ、ナデやハケの調整について、教えてくださった。こうした古式土師器の形成過程を知る上のごくごく基本的なことも、本には書いてあるのであるが、素人は実地に教わったことがなく、ようやくその第一歩を進むことができた。
さらに小さな収蔵室の中に入り、当時の吉備がどのような交易活動、対外交渉を行っていたのかが、少しわかるような土器を見せていただいた。それは主として九州系の土器―讃岐の土器もある。どちらかというと北部九州ではなく、東部から南部九州が多いという。大分や鹿児島方面の土器だという。海を越えた瀬戸内海航路を使った通行があったこと示している。ーーということは大陸との交渉、博多湾貿易もいったん大分の港を通して行われていたことが多いということ?河川や陸路でいったん大分に物資を出して瀬戸内海航路で四国や吉備まで運んだ?博多湾からの直接の交易は少なかったのか?新たな疑問が出てくる。これは、さらに土器の動きを詳しく調べる必要がありそうだ。職員の方にお礼を言って網浜中学校バス停に向かう。バスが遅れていて16時11分のさくらに間に合わないかと心配したが、かろうじて滑り込みセーフ、ロッカーから荷物を出してさくら新幹線に乗り込むことができて、忙しい一日も終わりに近づく。
3月5日(火)岡山市埋蔵文化財センターで邪馬台国時代の土器を訪ねる
さらに小さな収蔵室の中に入り、当時の吉備がどのような交易活動、対外交渉を行っていたのかが、少しわかるような土器を見せていただいた。それは主として九州系の土器―讃岐の土器もある。どちらかというと北部九州ではなく、東部から南部九州が多いという。大分や鹿児島方面の土器だという。海を越えた瀬戸内海航路を使った通行があったこと示している。ーーということは大陸との交渉、博多湾貿易もいったん大分の港を通して行われていたことが多いということ?河川や陸路でいったん大分に物資を出して瀬戸内海航路で四国や吉備まで運んだ?博多湾からの直接の交易は少なかったのか?新たな疑問が出てくる。これは、さらに土器の動きを詳しく調べる必要がありそうだ。職員の方にお礼を言って網浜中学校バス停に向かう。バスが遅れていて16時11分のさくらに間に合わないかと心配したが、かろうじて滑り込みセーフ、ロッカーから荷物を出してさくら新幹線に乗り込むことができて、忙しい一日も終わりに近づく。
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