ちょうど1年前に、「深田久弥の『日本百名山』という妖怪とのたたかい」という日記を何回かに渡ってここに書いた。ちょうど一周年ということもあって、現時点での私の「百名山」への思いについてコメントしようと思う。
1年前に書いた日記は「百名山」(深田百名山のこと、以下同じ)を踏破するお金も時間もないことから生ずる自分の嫉妬心のようなものをきっかけに、なぜ「百名山」がイヤなのかについて自分なりに随想したものである。
しかし、この1年、少しずつ自分の山歩きスタイルが確立していくにつれて、「百名山」はどうでもいい存在になってきた。私は東北地方にある「百名山」のうち、飯豊連峰のみが北飯豊の一部を除いて全くの「未踏」であり、かつ、かなり登りたい気持ちが強い山塊の1つでもある(といっても広大な飯豊連峰のどこに登ると「百名山」の“スタンプ”がもらえるのかは知らない)。
でも、登りたいのは、東北にある「百名山」のうち、唯一飯豊連峰が未踏だからではなく、山塊としての「飯豊連峰(山地)」に魅力を感じているからであり、飯豊連峰が「百名山」であることとは何らの関連性もない。そして、いつか体力と時間ができたらじっくり時間をかけて、しかも何度も楽しもうと思っている。要するに自分の心の中には「百名山」であることは意識の中からほぼ存在しなくなった。
この1年自分なりの判断基準で山歩きをして、毎回、山から様々なものを自分自身感じることで、「百名山」が心の中から消えていったというのが正直なところである。言わずもがなであろうが、どの山に登ろうと、その山々にそれぞれ秘めた魅力があり、今はその魅力を感じるのがとにかく楽しいのである。そして、同じ山でも、秋はどんな景色をみせてくれるのか?2週間後にはどんな花を咲かせてくれるのか?・・・特に私の場合、初めて登る山はほとんどアクセスや駐車場などの最低限のことだけを確認して登る。そして登った後に、歴史や見所などを復習をするため、大事なスポットなどを見逃していたなんてことも多いなど、より山を楽しむなら2度目以降なんだろうな、とも思ったりもしている。
話が脇道にそれたが、「百名山」に話を戻すと、最近では、この「百名山」についてコメントすること自体がエネルギーと時間の浪費で馬鹿らしいと思っている。むしろ、アンチにせよ賞賛にせよ「百名山」に対してコメントすることで、結局「百名山」の権威を高める結果となる。権威としての「百名山」(深田百名山そのもののことではない)を忌み嫌ってきた立場としては、意識しなくなったというのは自分としては喜ばしいし、我ながら少しは成長したのだと思う。題名に「あえて」と書いたのは、そのような理由からである。
最後に随筆としての「日本百名山」については、私の読解力や想像力が乏しいのか、随筆自体が好みではないせいか、それほどワクワクする気持ちにならない。読んでいると眠くなる。そのせいか未踏の山の部分を読んで、是非登ってみたい、なんて気持ちにはならない。ただ、登った山について読み直すことで、その山に関する新たな発見もある。簡単にいうとそんな存在である。
山に登るには、様々な価値観がありますからね。「百名山」も出発点にはなるのだと思います。
あとは、自分がどれだけ自分なりのスタイルを見つけられるのかだと思います
理由は有名な分、道の整備や状況などがよく分かり、どこから登れば自分のレベルに合っているのか?が判断しやすいためと、これも有名な分他の人と話をしやすいからです。
ただ、単純に山の楽しみ、歩くことに対する楽しみというのも得たいと思っており、その点、飯豊山山塊を楽しみ尽くしたいというtektektek2003さんの考えは共感というか、目指したいところだなと感じました。
日記に記載されている通り、アンチにせよ賞賛にせよコメントした分だけ人が執着している証拠となり、ますます有名になってしまうというのはその通りだと思います。(炎上商法がこの理屈です)
自分の本来の楽しみというところからすると百名山自体は意識するところではない、と気づかれた点、成長というより達観と言ってもいいのではないかと思います。
偉そうに書いてしまいましたが、日記を読んで何かに捉われすぎないよう考えを変えていくというのは大事だなと、思いましたのでコメントしました。
私も山登りをはじめたころは、目指してはいないものの、百名山に相当拘っていたのだと思いますし、今思えば誰しも通る道のような気がします。
今現在、地図やどこかの山で山座同定をしながら、登りたい山が次から次へと湧いてくる自分は恵まれているのだと思ってます。
結局、様々な山を自分なりに歩くことで、自分の過去の拘りや執着を笑えるようになるんだなと感じてます。1年前はそんな自分の過渡期だったんだと思ってます。
こちらこそ返信ありがとうございます。
梅雨の時期なのでせっかく行って眺望が微妙だと残念だから行くのやめようか…と思っていましたが、百名山に拘らず雨天の山林散策でも良いかな…と思えてきました。
登りたい山が次から次へと湧いてくるというのは素晴らしいですね。私も色々山を知ってそんな境地に立ちたいと思います。
私は、やはり稜線歩きや縦走が何よりも大好きなのですが、雨天の場合はそういう山歩きはしません。
むしろ、靄で包まれたブナ林の幻想的な光景、濡れて活き活きしたお花たち、そして、やはり苔むす森が大好きです。関東だと奥多摩あたりにそんな山々がたくさんありそうで本当に羨ましいです。また雨の中の神社仏閣もなかなかいい雰囲気なんですよね〜
いろいろと歩いてみると楽しいですよ
自分は、そういうスタイルですが、tektektekさんも似たような感じかなと思ってます
ご経験豊かなNYAAさんの領域には到底まだまだであると思ってます。
今後、多くの山を歩くことで、「日本百名山」の深田久弥氏の山行の味わいを知るのかもしれません。そういう気持ちが共有できるような領域にいければよいと思ってます。
もちろん、スタンプラリー百名山やNYAAさんのおっしゃる「百名山バカ現象」とのお付き合いは御免被りたいです。
百名山、地元の山も知らずにそれは無いなと思い、遅ればせながら山形百名山を、やっと意識したりしてます。
百名山で最後の飯豊を達成した方をたまに拝見していると、とても幸せそうです。目標って、いいなぁとも思います。でも多分、私は山形百名山も終えずに打ち止めだろな…
ちなみに今年の山の日行事は、蔵王です。
山形はいい山が多いですよね。山形百名山に選ばれている山は魅力いっぱいですね。特に飯豊は、ほとんど歩いたことがないにもかかわらず、あらゆるルートに魅力を感じます。今は、泊まり登山ができないので、しばらく飯豊に踏み入れることはできませんが、いつか時間をかけてたっぷり味わいたいと思ってます。
私の場合は、目標というものがありません。歩きたい山を歩けることそのものに幸せを感じます。スタイルは人それぞれでいいのではないかと思います。
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