※登山とは関係ありません
久々に近くの公園をジョギングしてみた。3月9日に走って以来なので、実に3箇月ぶりのジョギングである。
走るまでは億劫だが、実際に走ってみると身体も心もスッキリして、とっても気持ちがよい。そして、走って良かった〜と口から漏れるのである。
この間、走ることに対するモチベーションは落ち続け、6月4日にエントリーしていた仙台国際ハーフマラソンすらもスタートラインに立たずに、那須連峰を歩いていた。
私は、2017年にスロージョギングを始め、それを継続した。
最初は、早歩きの人にも抜かれるほどのペースでのスロージョギングだったものの、
ただ走れることが嬉しく、充実した気持ちにもなり、特別なメニューもこなしていないのに、走れる距離も長くなり、ペースも自然と速くなっていった。
このこと自体が、新たな発見であり、喜びであり、あらゆることに前向きになり、新たな人生を見つけた思いもしてきた。
当時は山には殆ど登っておらず、週末は最低20km程度は走れるようになった。
ペースもキロ6分以内で走れるようになってくると、大会の制限時間をクリアできることが判明し、大会に出て走りたいという欲望が出てきた。
初めての大会。かなり遅いタイムでハーフを完走したに過ぎなかったが、沿道の応援、楽しかったという思い、充実した達成感、自分の成長を感じることができる満足感に酔いしれた。
この喜びを知ると、どんどん大会にエントリーするようになる。
ハーフの大会はもちろん、フルの大会も。
完走目標の初めてのフルで、SUB4を達成し、今度はSUB3.5だ、などと目標を持つようになってくる。
以前は、走れるだけで満足だったランニングがいつのまにか、自分に記録向上を課すようになる。
そして、目標を達成することで、さらなる高みを目指す喜びに酔いしれた。
そのうち、ランニング本などに手を出す。ダニエルズさんやリディアードさんはもちろん、「卒ケン」「峠走」でおなじみの非常識メソッドなど自分の記録向上のために様々なノウハウを得ようとした。それにつれて、普段の走りも、LSDだ、閾値走だ、インターバルだ、坂道だ、30km走だ・・・と従来のスロージョギングとうってかわってストイックになっていった。
そのうち、これまで私に「運動の蓄積」がないせいなのか、もともとのキャパ不足なのか、走ることが足への大きな負担となっていく。
はじめのころの大会では、怪我や故障などは全くなかったのに、練習が進み、負荷をあげていき、走らない日を設けているのに、だいたい大会数箇月前に、腸脛靱帯炎をはじめ、肉離れ、シンスプリントその他原因不明の膝痛などを発症する。
スロージョギングを始めた頃は、仕事の同僚から「最近痩せました?」などと言われニンマリしていたものだが、故障により足を引きずる場面が多くなるにつれ「ランニングって健康に良いかと思ってたけど、身体に悪いんですね!」などと言われる始末。
結局、エントリーする大会のほとんどが万全な状態ではなく、大会で無理して怪我をより悪化させるパターンやDNSやDNFも目立ってきた。
それでも、完走すれば概ね自己ベストを更新していったし、記録向上は私にとっての目標であり、50代のうちに、sub3も夢見ていた。
ランニングは、まさに「自分との闘い」であり、それを否定することもしなかった。
そして、コロナ禍へ突入することとなった・・・
何を目的にか、そこが見えてないのではと思ってます。
本来の目的が何かあったはずであり、果たして今がどうなのかなって考えるわけです。
私の場合は山は糖尿病の運動療法として高いメッツを得て、体重コントロールをすることです。
ランニングは膝の筋肉が発達していないので、炎症を起こした経緯があり、山にシフトしました。だから標高の高さは論外で、行って楽しむというスタイルなので、予想に反して続いています。
追い込むのではなく、プロセスを含めて楽しむ。
山用品の煩悩(物欲)とともに、かな?
そうですね〜初期の頃は、ダイエット、それをある程度達成したら、記録の追求でした。
なので、記録の追求(実際には具体的にタイムも含め決めてました)と目的が明確だったので、モチベーションも高かったといえます。
でも、その記録の追求から訣別したため、目的がなくなったのは確かです。
だからこそ、「走ることそのもの」を楽しむことへシフトしたいと考え、日記にしたためてみました。
happyさん仰るとおり、追い込むのではなく、プロセスを含めて楽しむ、ですね
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