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ただ、富士山の「閉山」中の遭難事故の報道が相次いでいたり、某一流登山家に躍らされていることもあり、世の中全体が冷静さを欠いているように思います。
余談ですが、自己負担が「無謀な登山の抑止」のため、というのは疑問です。なぜなら、遭難者は、遭難する(費用負担する)ことを想定して入山しているわけではないし、「無謀」の自覚がないからです。
脇道にそれましたが、自己負担の問題点として登山以外の事故や遭難との平等原則の問題なども指摘されているところですが、私から1つ問題点をあげれば、仮に自己負担にしたとして、その救助費用の「回収」はどうするのか、という問題です。
保険が適用になれば、事実上保険金から回収されるでしょう。しかし、保険未加入や不適用の場合や死亡事故の場合における相続放棄、行方不明の場合の法律関係の複雑化など厄介です。その結果、ある程度の割合で自治体の不良債権になりかねません。
みんなが非難に熱中する外国人旅行者の遭難についても、その外国人が帰国した場合の回収はどうするのでしょうか。「登山者に請求しろ」と外野から言うのは簡単ですが、請求することを強制される行政側(実際に請求するのはそこで働く自治体職員である)としてはたまったものではないでしょう。単に請求書を出して救助費用を回収ができれば問題はないですが、事実上回収にまつわる費用や人的なコスト(請求・催告・裁判費用・弁護士費用、海外とのやりとりなど、物理費用のみならず行政作業の煩雑化)も出てきます。
また、救助予算にも悪影響が出ることが予想されます。受益者負担ともなれば、ある程度の収入は受益者から回収することが見込まれる結果、救助予算は事実上減少は免れないでしょう。要するに、請求すべき債権は、資産としては存在するので見た目上の収入見込みはあるとしても、実際には不良債権なので、単なる収入の枠という実態がないものになりかねません。そうなると、人的資源や物的資源の裏付けが減る結果、従前と同様の救助を受けられない可能性も出てくるでしょう(公共サービスの低下)。
そうなると十分な捜索活動サービスを得るためには、みんなが大好きな「自己責任」の名のもとに、自分でリスクを背負い、一次捜索の段階から登山者各自が自分で準備しろ(実質的には保険)、という方向になっていくでしょう。それも一つの考え方ですが、現状、保険金は一次捜索も二次捜索も填補されるものの、基本的には自治体捜索の場合は自己負担がほぼないので、それを前提に保険金額が設定がされています。
しかし、自己負担ともなれば、遭難1件あたりの保険金の支出が大幅に増加するため、保険金額(掛金)の増額は避けられないでしょうし、保険の価格による格差差別化がより一層行われるようになるでしょう。
結果的に「費用負担しない」無謀登山者のツケは、お金が潤沢にはない真面目な大勢の登山者にしわ寄せが来ることになると思われます。
もちろん、そうならない可能性もあるでしょうが、今の捜索費用の自己負担の議論は、共助ではなく、「自己責任」論を背景としているので、冷静な議論なき捜索費用の自己負担化は、かなり危険な方向にシフトするように思えてなりません。
ところで、埼玉県では、全額ではないがヘリ出動を有料化しています。また、海外の事例もあるでしょう。こういう先例の分析結果を踏まえて、もう少し慎重かつ冷静な議論をすべきではないか、と思います。
私が思うに、救助費用の自己負担をするのであれば、例えば、山岳保険の法律上の認定制度を作り、一定の山岳に入山する場合には、認定保険の加入を義務化すると同時に、捜索実行者による保険金の直接請求権を認める。認定保険の加入に違反して入山した場合のペナルティをどうするか、という問題もあるけど、少なくとも自動車の運転が自賠責保険制度が確立しているので、これをを参考に構築していくのはどうでしょう。
ただ、受益者負担の方向に一旦舵を切る以上、救助予算の減少と山岳保険の保険金額の高額化は避けられないと思われます。
そもそも登山自体がまだまだ認識が統一されていないよう思うので、議論の前提条件も人それぞれかもしれません。ボクはバックカントリースキーもやりますし、登山道がないところも歩きますが、そういうやつが遭難しても助ける必要はないという人もいるでしょう。閉山中の富士山ばかり取り上げられますが、それがダメとなれば、許可がない限り雪山登山はどこでも出来ないですし。
要素が散乱していて、まずは骨格を整えるところからですね
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