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権利関係の叱責は受けてもかまいませんが、私利のためではありません。組織に所属する事無く、単独もしくは同好の士で最近山を始められて、旧き文化に触れる機会が少ない方のためにすこしでも貢献できたらと思い、僭越ではありますが徐々に加筆させていただきます。
蛇足ではありますが、私はこの歌を唱う度に涙が滲みます。
「北岳の歌」と共に、青春の情熱を賭けた熱き想いが蘇るからです。
ご存知の岳人諸姉兄も多数いらっしゃると思いますが、まだ聴いた事無く、興味をお持ちの方はYoutubeに多数出ていますので、そちらでメロディをお聴き下さい。
作詩/芳野満彦 作曲/古関裕而 編曲/青木 望
穂高よさらば また来る日まで 奥穂に映ゆる 茜雲
返り見すれば 遠ざかる 瞼に残る ジャンダルム
滝谷さらば また来る日まで 北穂へ続く 雪の道
返り見すれば 遠ざかる 瞼に残る 槍ヶ岳
涸沢さらば また来る日まで 横尾へ続く 雪の道
返り見すれば 遠ざかる 瞼に残る 屏風岩
岳沢さらば また来る日まで 前穂を後に 河童橋
返り見すれば 遠ざかる 瞼に残る 畳岩
Photo1:河童橋と奥穂 2012.08,17 Photo2:小梨平より紀美子平〜西穂への稜線 同日 Photo3:西穂高〜ピラミッドピーク 2012.04.08
sekitoriさん
ありがとうございます。
この歌を覚えたり先輩方と歌った時は、楽しい未来しか思い描いていませんでした。
これからは、この歌を歌うたびに大先輩を思い出し、悲しみと切なさとそして、優しさを思い出すでしょう。
私も涙がこぼれます。
大先輩が多くの山の歌を歌って下さった時に、「この歌は歌いとうないんよのぉ」と言われた歌がありました。
山仲間の遭難を歌った内容だったと思います。
遭難された友人を思い出されるからだそうです。でも、この時は「いや、歌おう。歌わして」と、しんみり歌われました。
私は穂高にはまだ行ったことがありません。
私の中で穂高はただの山ではなくなりました。
大先輩の登った山。
もう、自慢話を聞かせてもらえないのですね・・・。
mantenmomoさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
ひとの死は、悲しいですね。しかし、それは人間の宿命であり、摂理だと思います。
どうか、今の悲しみを忘れる事無く、でも前向きに先輩の分まで登って下さい。
私も、数年前に一番仲の良かった年の近い山岳部の先輩/後輩を続けて亡くしました。声もでない程悲しみに打ちひしがれましたが、今はあの世で、私が来るのを拒んで笑って見守ってくれていると思います。
今年、穂高や劔の雄大さに触れ、おおらかな気分になり少し病魔が逃げて行ったと思います。
ももさんの大先輩も、今は安らかに、大好きな山を自由に駆け巡られている事でしょう。重ねてご冥福をお祈りします。
私も40年以上前に、山でこの歌を良く歌いました。
どちらかと言えば、テントで酒を飲み高揚した時に
歌った歌です。
その反対に悲しい歌「いつかある日」は、山で歌う事に
なってはいけないと念じていましたが、
穂高で友を亡くし歌った事など蘇って来ました。
遠い昔の色々あった山登りを回想が出来き、ありがとうございました。
kazuhi49さん、こんばんは。コメントありがとうございます。
山の歌は良いですよね。オリジナル/替え歌にかかわらず、先輩から後輩へ歌い継がれる、立派な文化だと思います。
「いつかある日」、確かに悲しい歌なのですが、私はその詩の内容に、「山で遭難するなかれ」とのメッセージを感じます。
決して美化してはいけない山の遭難を、このような歌を唱う事により危険を再認識したいものです。
これからも、折をみて山の歌を投稿したいと思います。
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