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「遠野物語」を読んだのは30数年前の学生時代で、吉本隆明の「共同幻想論」から導かれた。古文の如き格調高い日本語にたじろいだものの、意を決して読みだしてみれば、それは昔話でも童話でもない、奥山の里に語り継がれた山人里人の記憶であり、民衆史の一つであった。楽しいものでも笑えるものでもない。今風の想像力を刺激するようなアドベンチャーでもない。オシラサマ、座敷わらし、河童伝説、神隠し、オオカミ…誰もが知っている言葉だけれど、遠野物語の原型の中で、「本当は」どのように語られているか知っている人は少ないと思う。何より明治を作った一人である柳田国男の美しい日本語のことは…
古代文学専門家の三浦さんと、「東北学」の赤坂憲雄さんが書かれた「遠野物語へようこそ」はそのうち有名な10話(の一部)を引用し、「遠野物語」の世界と民俗学の始祖柳田国男について簡潔にまとめながら、この歴史的作品を解説している。これを読めば「遠野物語」が100年生き延びている意味がわかる…そう「遠野物語」100周年だったのである。ちくまプリマー新書は若者向けの新書なのだが、はたして売れるかな?むしろ、私のような世代の、かつて「遠野物語」を読んだ人向けの本だと思うのだけれど。
「komadoriさんと歩く春の早池峰(仮称)」(ヤマレコ東北企画)のことを考えていた。早池峰は宮沢賢治が鉱石を採取に歩いた山でもあるし、種山が原と早池峰界隈は、賢治の童話の大切な舞台である。「遠野物語」にも早池峰が出てくる。というか早池峰を最高峰とする北上山地こそ「遠野物語」が生まれた場所である。
「四方の山々の中にもっとも秀で.たるを早池峰という・・・大昔に女神あり、三人の娘を伴ひて此高原に来り、今の来内村の伊豆権現の社ある処に宿りし夜、今夜よき夢を見たらん娘によき山を与ふべしと母の神の語りて寝たりしに、夜深く天より霊華降りて姉の姫の胸の上に止りしを、末の姫眼覚めて窃に之を取り、我胸の上に載せたりしかば、終に最も美しき早地峰の山を得、姉たちは六角牛と石神とを得たり。若き三人の女神各三の山に住し今も之を領したまふ故に、遠野の女どもは其妬を畏れて今も此山には遊ばずと云へり。」(遠野物語第二話より)
「妬みを恐れて女はこの山に遊ばない」とあるけど、komadoriさんは大丈夫かな、なんてね^^
kiyoshiさんこんにちは
ホー、こういう故事来歴を知ると登りたくなりますね。ただの百名山じゃなくてネ。登った後にまた読書も楽しめるというもの。
共同幻想論→遠野物語とはどのようなつながりなのでしょう。どちらも課題図書で、ウチの書棚にて、読まれるのを待ってゐますけれども。
私は早池峰の後の米山語録が読みたいな。冬の利尻あたりで「この壁を登らないと家には帰れない」って呟いてましたよね。あれ級の読みたいです(笑)yoneyamaさんとcitrusさんの登りを、ひと足早く登って上から見てヤマレコでレポートします。ただしお二人はどんな天気でも来るでしょうが、私は従軍記者じゃないので無理です^^
「共同幻想論」は「古事記」と「遠野物語」を下敷きに、吉本独特の共同幻想の誕生が考察されている本ですよ。「遠野物語」の全く新しい読み方ですから、あとでちょこっと共同幻想論も眺めてください。但し、難解でしたし、本当かどうかも誰もわかりません^^;
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