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あらためてググってみたら、なんと「権兵衛峠」というタイトルで「まんが日本昔ばなし」にまでなってたんですね。
「力持ち権兵衛」という木こりが自分の粗暴な行いや失敗を反省して、人のために役立つことをしようと一大決意。
米の入手が困難だった木曽に、伊那から米を安全に運べる道を作ろうと奮闘開始。
権兵衛が一人で頑張る姿を見た人々も工事を手伝って、何年もかかって苦労の末、ようやく人馬が安全に通れる峠道が完成した。
こうした内容が、「日本昔ばなし」独特の物語り口調で語られてたんだ〜。
権兵衛トンネルがまだ開通する前、旧道の権兵衛街道を車で走りました。
伊那側からは細い道がウネウネと延々と続く道で、緊張の連続。
やっと権兵衛峠に着いて車の外に出たら、アブの猛烈な襲撃を受けて景色を楽しむ間もなく退散。
この峠道の有り難みを感じることもなく、二度目は無いなと思ったものでした。
現在この旧道の峠越えは、残念ですが車では抜けられない道路状態が続いています。
でもいつか歩けるものなら歩いて、この峠道の有り難味をちゃんと感じてみたいものだと思いました。
権兵衛さんも、ここが登山口として賑わう日が来るなんて思って無かったろうな〜♪
地図を見るとたしかに木曽谷は平地が少ないですね。対する伊那谷は豊富。伊那のほうが便利そうだけど、明治時代に中央西線が通ったのは木曽谷なんですね。時代は下って伊那谷には中央道が通ったので、いま首都圏に行くには木曽谷よりも伊那谷のほうな便利そうです。
木曽のR19沿いは水田をあまり見かけない、本当に谷間のエリアですね。
伊那谷は平地や穏やかな丘陵も多くて陽当たり良好、雪も少ない・・観光要素は大差ないと思いますが、暮らすに当たっては伊那谷の方がかなり快適だと思います。
昔の権兵衛峠、近年の権兵衛トンネル。開通の喜びは木曽谷の人の方が大きいかもしれませんね♪
権兵衛峠、私も学生時代にドライブのつもりで出掛けて隘路に辟易し、木曽福島で蕎麦を食べ、帰路は塩尻から善知鳥峠回りでした。
その後、岡谷JCTからの長野道、権兵衛トンネル、最近では小黒川SIまででき、木曽駒を木曽側から日帰りできるなど伊那谷も便利になったなと思います。
権兵衛さんに申し訳ないですが、私もあの峠を再度越える気が起きず、帰りは塩尻回りでした。
生活的にも観光的にも劇的なトンネル開通で、権兵衛峠の意義は薄れてしまったのですが、日本昔ばなしになるくらい当時としてはやはり大事業だったのだろうと思います。
その峠が登山口として愛されるようになって、今後は権兵衛峠はハイカーの記憶に残っていくんだろうなと思いました。
権兵衛峠は、10年ほど前でしょうか、所用で近くを通りました。確か、新しいトンネル?バイパス?ができていて、峠道を使わなくても南信州へ早く行けた、ような記憶が・・・ちがったかなぁ。
ところで、日本昔話といえば!atovさんが先日秋に歩かれた、乗鞍岳の千町尾根も語られています。ご存じかも知れませんが一応リンク貼っておきます!あの場所は尋常な場所ではない、霊たちが通る場所、とか。奥千町避難小屋では不思議体験されている方もいらっしゃるようです。来年あたり泊で行きたいのですが・・・うーむ(;'∀')
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=725
youtubeにもあった
https://www.youtube.com/watch?v=Ihz3qnaNufE
千町尾根での不思議体験のお話
http://hidanoyama.jugem.jp/?eid=727
昔ばなしの説明にある地名と、今の地図にある地名を結び付けてみました。
奥千町避難小屋の西側から枝分かれする「九蔵尾根」の北側の谷に流れる「青屋川」。
その辺りが「朝日町青屋」という地名。
「平金」という地名は、その北側の丹生川町岩井谷に「平金大滝」があるので、その辺りかと。
この2か所をつなぐ山塊に「平金乗越」という峠があり。
「桜が岡」は分かりませんが、平金乗越の東側の五色ヶ原に「桜ヶ根滝」がありますね。
「岡」は「根」の上の方と考えると、平金乗越あたりが「桜が岡」かも。
昔ばなしに出てきた「亡者道」は、丹生川町岩井谷→平金乗越→朝日町青屋町という感じで、平十郎が恐怖体験をしたのは「平金乗越」あたりかも。
平金乗越から南東に丸黒尾根を進むと奥千町避難小屋がありますが、小屋のあたりは湿地帯で小さな池沼のある場所です。これが清霊田(せいれいでん)?
でも「平十郎は必死に山を下りるも、途中で足を滑らせ清霊田に落ちてしまう」。
平金乗越から下山なら、上にある奥千町避難小屋ではなく、下の「五色ヶ原」かもしれません。
そして、五色ヶ原にも小さな池がいくつもありますね・・・。ここも清霊田かも。
ふふふ・・・。楽しませてもらいました♪
千町尾根が修験道や宗教的な歴史のある道なのも、霊的な言い伝えと関係あるかもしれませんね。
私は霊感ゼロなので、奥千町避難小屋に止まることがあっても大丈夫・・だと思います♪
さて権兵衛峠の昔ばなしは、怖い話ではなく。
中央アルプスの下を貫いた長いトンネルのおかげで意義は薄れましたが、今は通行止めの旧道を車で走った記憶を思い返すと、よく権兵衛さんはこの峠道を拓いたなと感心します。
現在は伊那谷と木曽谷の往来は30分ですから、便利になったもんです♪
うおお!すごい考察と調査です(*‘∀‘)これは是非保存させていただきます(*‘∀‘)
てっきり朝日町青屋あたりだけが関係場所と思っていましたが、五色ヶ原ガイドツアーコースもすごく関係しているようですね!昨年、池や湿地帯を見て歩いてきましたよ。桜ヶ根の滝も!そのシラビソコースから見上げると、丸黒山の丸黒尾根と千町尾根が見えました。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2643095.html
平金という地名は、昔鉱山があって栄えた地域の地名で、今でも鉱山跡がわずかですが残っています。今は藪に埋もれていますが、昔は何と映画館や学校、警察署もあった大きな町だったそうです。現地に行くと信じられないですが(;'∀')
そして、平金乗越は、やはり昨年、私が登山した丸黒山登山道の途中にあります!おお、あそこが恐怖体験の場所なのかもしれないのですね(;'∀')
平金鉱山からの鉱毒の煙で木々が枯れたことから、丸黒山登山道には「枯松平」という場所もあります。丸黒山の登山レコ↓
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2615495.html
ちなみに「精霊田(しょうれいだ)」と読むようです。私も霊感はないので大丈夫かなぁとは思っているのですが、私のよくお世話になる山岳ガイドさんが、やはり奥千町避難小屋で不思議な体験をされている(ガイドしたお客様も)と聞きまして・・・( ゚Д゚)
平金乗越のお話など、大変興味深いです!地元なので、色々調べてみたいと思います!ありがとうございました!
ところで、メインの権兵衛峠のお話、こちらもyoutubeに動画あったので見てみました!飛騨にも、先人たちが切り開いた峠道がたくさんあるのですが、やはり新しい道の開通やトンネル普及などで藪に埋もれつつあるようです。権兵衛さんのただならぬ努力の話、楽しませていただきました!
※parsleycandyさん、Shindai1987さん、個人的な興味の話しになってるので、このコメはスルーして下さい!
昔ばなしでは、「ツグミのカスミ網猟」が行われた場所は、亡者道にある「桜が岡」という所。
現在では禁止されているカスミ網猟は、昔どういう場所で行われていたか。http://webneo.org/archives/26243
の中の『鳥の道を越えて』という記録映像には、渡り鳥であるツグミの群れには通り道があって、そこにカスミ網を仕掛けることが説明されています。
その通り道の地形は「山の稜線上の、くぼんで少し狭くなってる所」→鞍部や乗越に近い地形と思われます。平十郎がカスミ網を仕掛けたのもこうした地形の場所・・・平金「乗越」・・・?
カスミ網猟に好適な地形が亡者道の途中にあったことが、霊たちを刺激したのかもしれません。
あとは現地のkuraganeさん、お任せしました♪
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