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写真2:1982年当時の東俣林道
写真3:沼津カモシカメンバー(左)と白旗史朗(右)
先日、約40年前の1982年制作のNHK特集「日本南アルプス」の再放送を見た。当時の私はまだ学校に通っていた頃なので山登りはやっていなかったし、南アルプスという言葉も聞いたことはなかったはずで、この番組を見た記憶もない。
内容としては主に自然についての話であり、登山についての話はほとんど無かった。ネットで調べた限りではこの当時は既に椹島「小屋」や二軒「小屋」までの林道は開通して送迎バスも運行を開始していたようだが、入山者はおそらく今よりずいぶんと少なかったと思う。
映像を見ると林道は今とは比較にならないほど悪路であったが、これくらい昔だと二軒小屋から先の東俣/西俣沿いの林道はまだ生きていたのではないかと思う。
映像の中では聖沢を遡上する「沼津カモシカ」のメンバーや、壮年の白旗史朗が登場する。北岳や間ノ岳の標高は今より1m低い当時のもので、これも時代を感じさせるものだ。
本題はここから。番組最後、エンドロールの背景に空撮映像が流れた。当然ながらここには解説等は一切無く、どの山をどの方向から撮影したのかは不明であるが、こういう画像こそ私の「山岳同定魂」を呼び起こす絵である。
同じNHK制作の「ジオジャパン」では北アルプスの放送なのに南アルプスの空撮映像を使ったという「前科」があるので、今回も南アルプス以外の映像ではないか?との疑念を抱き、画面を静止して同定にチャレンジ。「ジオジャパン」では同定にかなり苦労したが、今回は一転して一目見た時の直感が正しく、その検証に地形図を確認するのに多少の時間がかかっただけだった。
画像を見て気付いた点をいくつか。これが今回の山岳同定のベースになっている。これをヒントに皆さんも頭の体操に考えてみては? 回答はこの日記の後ほど。長大なスペースだけの行の後に書いてある。
(1) 3000m峰が一つもない。撮影当時は今と違って画質はアナログSDで画像が不鮮明だが、森林限界を越えたピークは無いように見える。少なくとも最も手前のピークは稜線まで樹林帯が続いている。ちなみに南アルプスの森林限界は標高2700m弱である。
(2) 画面中央に小さいながら顕著な双耳峰がある。
(3) 画面奥に右に延びる平らで長い尾根がある。
(4) 画面の最も手前のピークには顕著なガレがある。
画像とこの4つのヒントで分かる人は南アルプスの玄人と言っていいだろう。
回答編
(1)は3000m峰が連なる主稜線以外ということしか分からないので大きなヒントとはならないが、標高2700m以下でそれなりに長い稜線という点はヒントになる。
(2)に該当する山で最初に思い浮かんだのは笊ヶ岳。本峰のすぐ東側に「小笊」と呼ばれる小ピークがあり、南北から見ると双耳峰に見える。ピークの大きさや距離からして笊ヶ岳だとしても矛盾は生じない。ちなみに私は小笊に登った時を含めて笊ヶ岳に2回登った。
(3)は別当代山の可能性が大。ここは登山道は無いが実際に登った経験があるし、周囲の山から見て異様なほど水平の長い山頂部は印象に強く残っている。しかし、白根南嶺の伝付峠〜笹山間は歩く人は非常に少なく、別当代山は主稜線から張り出した枝尾根に位置するので、別当代山を知っている人自体がほとんどいないだろう。
(4)はどこでもありそうなガレであるが、双耳峰が笊ヶ岳だとすると、その南側のピークである布引山のガレが該当する。この段階で双耳峰が笊ヶ岳だとほぼ確定した。しかし、これは先に笊ヶ岳と分かっているから辿れるロジックであり、逆方向の思考でガレから布引山を割り出すのは至難の業だろう。
というわけで、正解は布引山から北側の白根南嶺。ガレたピークが布引山で手前の双耳峰は笊ヶ岳、その奥の双耳峰は右側が這松尾で左は黒桂岳。さらに奥の平らで長い尾根は別当代山。おそらく稲又山の東側上空から撮影したのだろう。当然ながら当時はドローンは存在していないのでヘリコプターで撮影したに違いない。
下から二行目、黒桂岳とは生木割山のことでしょうか?
『山と高原地図』を広げて回答(1)〜(4)を拝読しました。
別当代山の奥に雲が掛かってなさそうな、ほぼ平らで櫛形の稜線が見えますが、大唐松尾根の2346m付近でしょうか?
おっしゃる通り黒桂岳=生木割山です。そういえば昔のエアリアマップではそんな表記だったかもしれません。今のエアリアマップではどうなっているのか分かりませんが。と書きつつ手持ちの1992年発行のエアリアマップを見たら黒桂岳(生木割)と表記されていました。
脱線しますがこのエアリアマップには今では廃道化した道があったり、逆に鳥倉林道がまだ無かったりと時代を感じます。もう今では寸又峡温泉奥の寸又川沿いの林道はほぼ全滅状態ですが、この当時は光岳への登山ルートとして林道から柴沢吊橋経由のコースが赤線で書かれていました。林道から大無間山のコースも赤線でした。
雲が絡んでいて気付きませんでしたが、地形図を見る限りは別当代山の奥の横長の稜線は確かに大唐松尾根だと思われます。急激に高度が落ち始める肩の左の小ピークが2346mの可能性が高いと思います。
おそらく1982年当時は水力発電所の導水管から雨池山経由で大唐松山への尾根は猛烈な笹に覆われていたでしょうね。
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