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写真2:光岳、不動岳の範囲
写真3:大無間山周辺
別件で古いエアリアマップを開く機会があり、しげしげと眺めて懐かしんだ話である。
そのエアリアマップは南アルプス南部の「塩見・赤石・聖岳」で、その名の通り塩見岳以南から南アルプス深南部をカバーしている。発行は1992年で、これは私が南アルプス南部に初めて登った時に購入したものである。おそらく光岳が最初だったように記憶している。
メジャーな山域と言えども30年も前では今と変わった点がいくつもある。変化は主に廃道化であるが。
まず、当時の塩見岳へのルートは今は廃道化した塩川が起点であった。当時はバスが通っていて私もこのバスに乗って入山(下山)した記憶がある。このエアリアマップでは鳥倉林道は建設中との記述であり、おそらくまだ登山道は無くて昔からの作業道程度の道があっただけだったようだ。
塩見新道は当時から赤点線だったが今は林道がマイカー通行止めになったのでほぼ廃道化。一時は塩見登山道登山口までバスを通す話があったのだが。
赤石岳への最短ルートである小渋川沿いには当時はまだ登山道があり、赤線で描かれていた。今は廃道化して完全に河原歩きで渡渉も必要である。尾根取り付きの広河原小屋にはまだ管理人が入っていたようで有人マークで「素泊まりのみ」と書かれている。
大沢岳へ登る場合、昔はシラビソ峠から林道と大沢渡経由で直接山頂へ通じる登山道があったが、今は林道が崩壊して登山道も廃道化。昔は大沢渡には渡し籠があったが今でもあるだろうか。大沢小屋は大きく立派な建物だが、私が初めて訪問した時は既に廃道化後だったので巨大な廃墟であった。
深南部では寸又峡温泉から寸又川沿いに延びる林道が軒並み崩壊して、車は当然ながら徒歩ですら通行困難になったため、林道を起点とする登山道は軒並み廃道化してしまった。当時の地図では光岳、千頭山、不動岳、大無間山への登山道が赤線で表記されている。私がこの林道を光岳登山口の柴沢吊橋まで歩いたのは20年くらい前だと記憶しているが、当時はまだ林道の崩壊はほぼ無くて結構奥までまだ車で入れたこともあり、一部の造林小屋はまだ現役だったり放棄されて間もない頃だったので、テントを張らずに造林小屋で計2泊した。
廃業した山小屋は塩川小屋、三伏小屋(谷筋にあった小屋。今ある小屋は三伏「峠」小屋)くらいかな。塩見小屋は当時は幕営可能であったが、1990年代半ばに幕営禁止になったように記憶しており、私が初めて登った時には既にそうなっていた。
実感としては登山人口は1992年よりも今の方がおそらく増えていると思うが(特に若年層は)、地球温暖化に伴う集中豪雨の増加で林道や沢沿いの登山道の崩壊が激しく、登山道は逆に選別化(廃道化)が進んでいると思う。国立公園内なので登山道の新設は難しいだろう。
写真、懐かしく拝見しました。時の流れを感じます。
塩川小屋のばあちゃん、優しかったなあ。
三伏沢小屋のトイレは「水洗」だったような記憶です。
私が塩見岳に登った当時は既に三伏沢小屋は廃業後で、登山道にはとうせんぼのロープが張られていた記憶があります。
塩川小屋はバスを利用して2回ほど通ったはずなのですが、残念ながら既に記憶がありません。当時はまだデジカメ普及前で「写ルンです」に代表されるレンズ付きフィルムを使っていた時代で、写真が残っているかも怪しいです。ネガは捨てていないはずなので、撮影していれば残っているはずですが、どこにあるのやら・・・。デジタルだったら簡単に検索できるのですが。
覚えているのはまだマイカーを所有していない若い頃、梅雨明け後の7月下旬にバスで畑薙ダムから入って茶臼岳、聖岳(たぶん初日は聖平で幕営だが雨に降られて酷い目に遭った)、赤石岳、荒川岳、塩見岳(2泊目は山伏峠小屋で登山靴は浸水でビショビショ)と2泊3日で縦走して塩川から下山した時は、下界では天気が良かったのですが稜線では3日間ともずっとガスの中で何も見えなかったことです
私が南アルプスに通っていた数年の間に塩川から鳥倉林道にメインルートが変わって、バスの運行が停止されて小屋も廃業してしまいました。
近年はゲリラ豪雨で特にあちこちの林道が崩壊しており、その巻き添えで登山道も廃道化を辿るかもしれません。
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