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さらに検索したところ、中でも有名なのは北アルプスと中央アルプスにある小屋で、1つはかつて泊まった事のある小屋でした。
遭難者の遺体を小屋に安置したとか、小屋の前で荼毘に付したから怪奇現象が起きるみたいな話でしたが、昔からある山小屋では遭難者を収容した所は結構あるはずで、その全てにそういう話があるわけでもなく、どういう経緯で伝わったのでしょうね。
基本的に目に見えないものは信じない(信じたくない)タチで、山で不可解な現象に出会ったことも1、2度はあるけど、物事には物理的な要因があり、それ見落としているか幻覚や幻聴によるものだろうと思っています。
たとえ科学や物理では説明できない現象があるとしても、今は原因が特定できないだけで、やがて解明できると考えており、安易に亡霊とか霊魂だとかに話を持って行くのは否定的なのです。
そうは言っても根は臆病者で、認知できないものや暗闇に対する本能的な恐怖心もあり、その手の話を聞いたことがある小屋に一人で泊まるのは何となく気持ち悪いものです。
だから、この手の話を得意気にする人は、他人が怖がっているのを見て喜ぶという性格の悪い人なのか、自分はそういうものが見える、あるいは見ても動じないほど肝が据わっているという自慢がしたいだけの人なのか、なんて思う訳ですね。
まあ、その手の話をする人は余興として楽しませているという意識なのかも知れませんが、根底にある悪意というか、意地の悪さのようなものを感じたりするのです。
今昔物語や遠野物語に出てくるようなモノノケや妖怪の類の話は嫌いではなく、むしろ好きな方です。未知なるものが多かった時代に、不可解な現象や物事に恐ろし気な形を与え物語る。そこには自然界に対する畏敬や禁忌があるように思え、それは人のいない山に一人で居る時に感じるものと同じような気がします。
guchiさん、こんにちは!
その小屋、私も知ってます。あそこと、あそこですよね。三年ほど前に中央アルプスの小屋は前を通りましたけど、平日で誰もいないのでパスしちゃいました。
この手の話は私も基本的には信じないんですが、同じく臆病なもので、この歳になっても、そういう話のある避難小屋に一人で泊まる根性はないですね。
テレビでよくやってる心霊写真とかUFOなんか、なんで別の可能性を吟味せずに、最初から心霊現象になるのよ、「アホかって」言いながら見ています。
現役時代は写真感光材料メーカーの研究職もやってたもんで、心霊写真は特に信じてません。
イーグルさん、こんにちは。
私もそうですが、信じないとは言っても、どこかに理性では割り切れないものがあって、そういうのを自分の中で増幅してしまう所があるから、どうしても避ける方向になってしまいますよね。
まあ、必要ならばそんな事は言ってられないから使うのですけどね。
テレビの番組なんかは少し考えれば、胡散臭い話であるのは見え見えなんだけど、それを真に受ける人もいるのが困ったものです。心霊写真もそうですが、画像の加工なんていくらでもできるし、光被りやハロやフレアなどの偶然も多いですからね。
しかし、エンターテイメントにそういうイチャモンを付けるのは無粋だ、てのも分からんではないですけど
こんにちは!
霊感などいっさい無いのですが、やはり臆病なもので、この手↓の本の「車中泊すると出る駐車場」の話を駐車場で読んでビクビクしたりしています。
○Amazon:山怪 山人が語る不思議な話(田中康弘)
http://j.mp/2LE8uKn
またちょっと方向性が違いますが、小学生の頃、2時のワイドショー系番組で、多分鈴鹿辺りの山でしょうか? 登山者が怪しい老婆に出会うんです。不審に思いながらも歩き続けると、また老婆がいて同じ場所に居る!さらに歩いてもまた…😱
今ならリングワンダリング現象だろうとか、疲労からくる幻聴・幻覚だろう思うのですが、当時はとても怖かった記憶があります。
まぁTV番組の是非は別にして…やはり人は(特に小さい頃から)畏怖するものがないと生命としてダメな気がしています。
toshimizu7566さん、こんにちは。
怪談とか奇譚を読んだりすると自分の中でイメージを広げてしまい、余計に怖くなりますよね。だったら読まなければ良いのだけど何故か読んでしまう、どうしてなんでしょうかね。
山の中で同じ所を回ってしまう系の話は、仰る通りリングワンダリングの恐怖を象徴しているのでしょうね。逆に、一度行ったのだけど後から行くと見つからない山の中の不思議な一軒家「山家」の話もありますね。
「山怪」や「マタギ奇譚」、それに「遠野物語」などは、リングワンダリングや道迷い、山中での不安感や疲労による幻覚や幻聴、そうした山で起こりがちな現象を語っているように思います。道の薄い山中で霧が濃かったりすると、異次元に迷い込んだような不安感があったりするけど、それも同じですね。そういえば、夢枕獏もそういう話を書いてました。
いずれにせよ、人は自然に対して何らかの畏怖を持っているのではないでしょうか。
guchi さん、こんにちは。こういった話し、あると思います。
三つ峠でテン泊した時ですが、登山靴で歩く足音がして、誰か来たのかなと思ってみると誰もいない。そんなことが、数回ありました。あそこは亡くなっている人が多いからでしょうね。
また、北八ツに行った時、三ツ岳のところで道に迷ってしまったのですが、なぜか、登山道ではないところに人がいて、「こっちは違うから戻れ」と向こうの方から言われたのです。どう考えても、夕刻に人がいる場所ではないのです。三ッ岳付近って溶岩台地なので、穴に落ちて行方不明になっている登山者がいるとのことですので、そんな人に助けられたのだと思っています。不思議です。
因みに、私には、霊感なんてものは、全くありません。
misuzuさん、こんにちは
その手の話はよく聞くけど、私自身はほとんどないのです。
唯一あるのは、丹沢の加入道の避難小屋で寝ていたら、夜中に扉が開いて誰かが入ってくる気配はあったものの足音はせず暫くしたら扉が閉る音がしたというのがありました。
翌朝、同宿していた4人の人に話したら、同じように聞いた人もいて、その人は一番出口に近い所で寝ていた私がトイレに行ったと思っていたそうです。
周囲に幕営した痕跡もなく、当時は夜歩く人はほとんどいなかったから怪訝に思ったけど、今考えれば、やはり誰かが歩いていたのだと思っています。
まあ、この辺りは人によって、捉え方が違うでしょうね。
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