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さらに「ドキュメント気象遭難」羽根田治著 読みました。
すべての例がパーティ登山でしたが、それが却って遭難の壮絶さを教えてくれました。
この「遭難シリーズ」の中で一番、衝撃的に感じた一冊です。
生き残った方の生々しい証言。仲間が寒さに震えて死んでいくのを目の当たりにするのは、どんな気持ちだろう。嘆いている余裕もなく、自分の命も危ういのである。
極限状態にあってなお、仲間を気遣う人。気遣う余裕がないほど、消耗している人。
自身もとっくに親なのに、死の寸前に父母の名を呼ぶ人…。
パーティ登山では時に気を遣い過ぎ、大丈夫じゃないのに「大丈夫」と言ってしまうことがある。もうダメだと悟った時の心情はいかなるものか。
びっくりしたのは、他の登山者の無責任さです。
遭難者を気遣う素振りもなく、山頂を目指して通り過ぎる人たち。
中には、遺体の写真を撮ろうとした人間までいたそうです。
そして、山を下りた後の、世間からの無神経な非難。
容赦ないマスコミの報道。
ある意味、遭難した人がもっとも怖れるものの一つだと思います。
実は、この「遭難シリーズ」の中で、自分から一番遠いのが「気象遭難」だと思っていました。確かに、取り上げられた例は、ほとんどが初冬から残雪の高山であり、天気が晴れであれ雪であれ私の行かないコースです。しかし、雷や強風なら常に可能性がありますし、コースの短い雪山でも、雪は雪。天気が荒れてくると、頬をビンタされてるような痛みが堪え難く、山頂では寒くて誰もまともに腰を下ろしませんでした。夏や秋でも雨に降られたことは何度もあり、濡れた道は滑りやすく、体も冷えて寒いです。自ずと足も遅くなります。
気象遭難は、思った以上に身近な危険であると、心に刻みました。
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