若かりし頃、八ヶ岳の地獄谷と赤岳沢を分ける天狗尾根というところを
2月に後輩と二人で上がりました。
ここは時間はあるけれどお金がない貧乏学生にはもってこいのルートでした。
2355に揺られて小海線の始発を待ち、清里で降りる。
改札を通ると遠回りなので線路に降りて少し戻り踏切から清泉寮に向かいます。
そのまま突っ切るとやがて地獄谷への小道にぶつかります。
つまりアプローチにバスがいらないのです。
そんなわけで赤岳沢を3回登り、天狗尾根を3回登り1回降り、地獄谷を1回降りています。
この天狗尾根は森林限界のあたりで毎回踏み跡が最後にはバンドになり、垂直に近い八ヶ岳独特の小石交じりの岩場を数メートル登る羽目になります。
これを権現岳の稜線から歩いて来た登山者に「天狗岳の壁を単独で登るなんてすごい。」と驚嘆されたことがあります。
確かにバンドの下は地獄谷に落ちる垂直に近い壁でしたが、実際は数メートルのホールドスタンスだらけのやさしところなのですが、遠くから見ると大岩壁を登っているように見えるようでした。
加藤文太郎を気取り「それほどでも」とのけぞったものです。
さてこの時もまた壁に行きつき、後輩と二人ノーザイルで二つの岩場を乗越ました。
最後の天狗基部をトラバースして赤岳に通じる主稜に出て一安心。
腰を下ろしてザックを下ろしました。
ん?振り向くとザックがない。
反対側の立場沢に消えていました。
テントもシュラフも火器も食料も財布もまとめて消えました。
その日は絶望の中、行者小屋まで下り事情を話してタダで泊めてもらいました。
山盛りの塩辛と海苔の佃煮と梅干だけの夕食でしたが、旨かったことはいまだに忘れられません。
そこの従業員が事情を聴いて1万円でザックを回収してやると持ち掛けてきました。
こいつに取りに行けるなら我々だって取りに行けると気が付きました。
翌日は回収です。
幸いにも主稜からの斜面にテントのポール数本が突き刺さり
近くにザックの天蓋に挟んでおいたザイルが落ちていました。
まずは斜面に散乱するポールとザイルを回収しました。
ザイルを結び、ピッケルを支点につるべ(式)落としでどんどん沢を
ルンゼを降りて行きます。
門のところで見上げると気分はエベレスト南壁。
俺たちカッコいいなーと後輩と自画自賛。
谷底まで難なく降りれました。
傾斜のなくなった雪面にザックは見つかりました。
幸いにもザックのフタは空いていませんでした。
ザックのサイドに着けていたテントのポールもすべて回収できました。
無くなったのはピッケル止めに着けていた茶色い琺瑯のマグカップだけでした。
革製のピッケル止めのバンドごとザック本体から千切れてなくなっていました。
気温も上がってきたので沢を登り返すのはやめて、すぐそこに見えた
キレットに向かいました。
できる限り岩場を選んで登りましたが、意外に遠かったです。
キレットを登り返し、赤岳を超えて今の赤岳展望荘に着きました。
当時は赤岳石室といったと思います。
見るとわずかに雪の中からのぞく屋根の下に小窓が見える。
お、開いた。
もぐりこんで一夜の宿とさせていただきました。
懺悔
小屋の中にあったアルマイトのボールを持って雪取に外に出ようとして
窓の外の雪面にボールを置いて、「あっ!」ボールは烈風とともに見えなくなってしまいました。
はい、お金を持てるようになってからは冬期営業をしている展望荘には泊るようにしています。
もちろんちゃんとお金を払って。
こんばんは!
日記の途中まで拝読させていただいたところで、「お、早速取りに行っちゃおうかな!」と思ったら…
ちなみに、私は貧乏人なのでまだ営業小屋には泊まることが出来ないでおります(^^;)
いつも大先輩の日記、楽しみに拝読させていただいてます。
borav64m先輩は心身ともに屈強であられ、アルパイン精神がカッコいいと憧れています!
次々に現れる障壁を「へ」でもなくクリアされるのが流石だといつも脱帽です!
はっはは。
のけぞるのけぞる。
ちこうよれ。
コラ、セクハラじゃ。
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