今テレビで第一次大戦の記録フィルムが流れていました。
この大戦で塹壕が普及したようです。
塹壕。トレンチ。そこで着る外套がトレンチコートですね。
長い塹壕戦で足は常に湿り寒さに晒されます。
その結果、足の指の神経が刺すように痛みます。
その痛みが一か月から二か月づきます。
これが塹壕病です。
24歳の時だったと思いますが、3月の北鎌尾根を歩きました。
穂高駅で降りてバスに乗って葛温泉で降り
あとは歩いて出来たばかりの高瀬ダムを直登して酷い目にあいました。
ロックフィルダムの積み上げられた岩の大きさが分かっていなくて
雪の下の岩の隙間に落ち込みました。
この山行では湯俣で雨に降られ、翌日は快晴でしたが停滞。
一日雪崩の音を聞いて日向ぼっこをしていました。
三日目にはp2まで上がりました。
早くからテントに入って寝ていました。
出始めたばかりのゴアテックスシュラフカバーの中に二人で入っていました。
すると何かがおかしい。
シュラフカバーの中から周りを見ると5センチぐらい雨がたまっていました。
借り物のダンロップテントでしたがナイフで底を切り排水。
軽量化のためにフライを持参せず、雨がストレートに防水のない天井から降り
10センチくらいの側壁を持つ防水の効いたグランドシート溜ったわけです。
これでは松涛明だと思いました。
翌日はp5までトレーをつけて帰幕。
雪崩の音を聞いて過ごしました。
5日目は独標基部で幕営。
この日はp5の斜面に1メートルの深さの底雪崩の跡を見てからは
アンザイレンで進みました。
独標基部では視界が利かず千丈側も雪の付き方が半端で
コース取りをためらわれました。
夕方になって晴れてきて、目の前が独標であることが分かり、
正面の雪の詰まったルンゼに1本の灌木があり、
そこにビレイを取れば楽勝で岩稜に乗れるとわかりました。
翌日、6日目は快晴無風。遠くに富士山を眺め、赤く染まる独標を越え、
ほぼ稜線通しに歩くことができました。
パートナーは結婚前のかみさん。
軽量化のために周りの反対を押し切りバイルを持たずにピッケル一本でしたので
垂直に近い雪壁を乗り越すときは苦労しましたが、
落ちても確保するパートナーが反対斜面にいるので安心でした。
最後の大槍は背中に千丈の谷底と小鑓が見えていましたので、
ずいぶん右に回り込んだようです。
ベルグラ状態でピックとツァケは効いても、手で支えるホールドはツルツルで
頼りなかったです。
当然山頂には我々二人しかおらず、槍に登るなら冬の北鎌からと決めていた
私は感無量でした。
ザイルをほどいて、さてあとは一般ルート。
降り口を見てびっくり。
びっしりベルグラ。雪壁。
ちっとも一般コースじゃないじゃないか!
もう一度ザイルを出してパートナーにダイレクトビレイをしてもらい下降開始。
するとすぐに雪の下に鉄の梯子があるのに気が付いて、
そこを掘り出し支点に懸垂下降で降りました。
肩の小屋の冬期小屋には期限切れのデポ品がどっさり。
1か月は暮らせるなと本気で考えました。
さて計画では明神か西穂経由で下山予定でしたが、中岳直下降をやってしまい
3日間南岳の避難小屋で期限切れのデポ品で暮らし、痛みの引くのを待ちました。
しかしながら予備日も使い果たしてしまうので
敢無く南岳から西尾根を下ることになりました。
立つのもやっとの両足捻挫でアイゼンをつけて大斜面のトラバース。
シリセードで降りたい誘惑に打ち勝ち、真面目に歩きます。
水俣川から千天出会いまでで灌木をもなぎ倒して押し寄せたデブリを見てきたので、
灌木帯に入るも安心できません。
デブリの中を、時々ワカンをつけた足が雪を踏み抜き悲鳴を上げたものです。
鎮痛剤を最後には1時間おきに飲み続けました。
白出小屋に入れるかと思ったら入れず、テント泊。
翌日、足を引きずりながら加藤文太郎よろしく槍見館まで行くも休業中。
戻って名前は忘れましたが感じのいい温泉宿に泊まりました。
翌日は私だけでなくパートナーも足が痛いということで、
旅館のスリッパを御厚意で頂き、友人のいる金沢まで遠征。
汚い山の恰好にスリッパで足を引きずりながら兼六園を歩くカップルとなりました。
そろそろ予備日に入るので東京に連絡を入れると東京では大騒ぎ。
前のパーティーが雪崩にやられたことを知っていましたが
後続パーティーも帰ってこないとのこと。
登山届から我々のパーティーに連絡をしてきたそうです。
天候と雪の状態、後続は確認できなかったことを報告しました。
さて登山靴を脱いてから気が付いたのですが、足のつま先が刺すように痛い。
一週間経っても痛いので二人で東大病院に行く。
二人別々のブースに入り診察を受ける。
パートナーは「トレンチ病」
私は「塹壕病」と診断される。
特段、何も処方されず廊下を歩いていると
後ろから私を診た医師が声をかけてきました。
「あなたかがたはご兄妹ですか。」
「ひょっとして遺伝性のものかもしれない。」
あけましておめでとうございます。
私も高瀬ダムが出来た当初の冬に、硫黄尾根目指した事があります。ロックフィルダムの正面を道が折り返しながら登っていくのを見て、直登すれば速いんでないの?っていう誘惑にかられました。でもよく見ると1個の石が大きいので、これはハマるな、と思って止めました。私の時は正月だったので、まだ雪が多くなかったので分かったのでしょう。
足は正確に言うとトレンチ フット、塹壕足ですね。低温火傷に対する高温凍傷みたいなものですか。気温が零下にならなくても、濡れた状態で長くいると起こる足の血流障害ですね。
塹壕病っていうとシラミが媒介する病気のことをいいます。時として塹壕の中で長く砲撃に耐えているうちに、精神に異常をきたしたことをいうこともあるそうです。
あけましておめでとうございます。
私が行ったときは真っ白な大斜面で直登しかないでしょうという感じで登りだし、
途中から落ち始めて悲惨でした。
東大の医者は確か塹壕病と言っていたような気がしますが、今調べてみたら
確かに「トレンチフット、塹壕足」でした。
というか昨晩のテレビのナレーションでも塹壕病といっていました。
それを聞いて北鎌を思い出したわけですから。
しかし正しくは塹壕足なのですね。
ありがとうございます。
タイトルを修正します。
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