若かりし頃、後輩たちを夜行で幕営地を確保すべく奥又白に向かわせ、私とサブリーダは朝の列車で悠然と奥又白へ向かいました。
ヘッデンが必要な時間になり、ふと気が付くと聞き覚えのある後輩たちの声。
振り向くと左手後方の尾根のシルエットに後輩の頭数のヘッデンが蠢いている。
後輩の名前を次々と呼ぶと全員から返事。
お前らこんな時間に何やってんだ。
2355で爆睡して長野から戻ってきたら、こんな時間になってしまいました。
全員寝過ごしたのか。
食堂車が付いていたので厨房の中で寝ていたら、静かだったもので。
先輩たちこそどこ登っているんですか。
奥又白に決まっているだろう。
私たちが歩いているところが中畑新道ですよ。
・・・・。
それから後輩たちの蠢く光の上部を狙って奥又白沢を大トラバース。
岩登り、木登りを繰り返してやっと奥又白に後輩たちとほぼ同時に着きました。
その後、数パーティーに分かれて前穂に何度か登り、後輩たちは槍までの縦走。
我々は屏風へ。
後輩たちに一切合切を奥又白に揚げさせたのだから、今度は後輩たちのいらなくなった登攀具を全部担いで降ろしてやった。
キスリングにはよく入る。
背負うと気持ちよく重い。
50キロぐらいあったと思います。
中畑新道を降り始めて後悔しました。
むちゃくちゃ急。
岩ゴロゴロで段差が大きい。
横尾に降りてキスリングを降ろすと体が急に軽くなり気分は宇宙遊泳でした。
borav64mさん、こんにちは。
「キスリング」を担いでいたんですね〜。山の本で読んだことはありますが、見たことはありません。
私も学生時代に山登りと出会っていたら・・・などと思うことがよくあります。
これから少しでも遅れを取り戻そうと、躍起になっているところです。それではまた。
はい、昔は皆キスリングでした。
私は今は無き池袋西口小川スポーツオリジナルでした。
キスリングは横に横に詰めて、そして平たく皺なくパッキングすることが山屋の第一歩でした。
両側のポケットにはホエーブスと2Ⅼポリタンを詰めると角ばってかっこよかったです。
帆布のキスリングは雨が吹き付けても繊維の目が詰まり、防水性にも優れていました。
実際にキスリングを背負ったまま滝壺に落っこちても、中には水が入りませんでした。
しかし、10年ほど前に収納スペースの逓減により廃棄してしまいました。
人生で捨てたものの後悔の筆頭です。
いや〜、山岳部の世界ですね
borav64m 先輩の若かりし頃の雄姿が目に浮かびます
しかし、borav64m 先輩って、後輩に意外と優しいのかな(笑)
もっと、昔は厳しい先輩で後輩に恐れられていたのかと思ってました
はい、優しい先輩でした。
夜いきなり下宿のドアがガラガラと開き「先輩、山行こう。」
「馬鹿言ってんじゃないよ明日はバイトだ。」
「いいいじゃん、バイトなんて辞めちゃえば。」
「金あんのかよ。」
「はい、先輩の分もあります。」
「山から帰ってきたらバイトをクビになっていて一文無しだぞ。」
「はい、その分も計算してあります。」
「よっしゃ行くか。」
という感じで後輩の山に付き合ってやる優しい先輩でした。
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