|
|
元々全五巻出版の予定が著者小笠原孤酒氏の死亡により未完なのは承知していましたが、出発前の明治35年1月20にから始まり、210人からなる青森歩兵第五連隊第二大隊の遭難色が色濃くなった1月25日で終わりました。ここまでは健さんが演じた弘前歩兵第三十一連隊福島小隊の指揮官陸軍歩兵大尉福島泰蔵は後に指弾を受けるような民間人に吹雪の中の斥候を命じたり、用済みと判断すると疲労困憊する道案内人を山中に取り残すような仕打ちは行っておりません。
著者は四肢を凍傷で失うも昭和45年2月5日まで国立箱根療養所で生き抜いた雪中行軍生存者元陸軍歩兵伍長小原忠三郎氏との聴き取りに始まり、兵隊の家族構成、当時接した集落の人々、その郷土の特性、従軍記者の記録など膨大な資料を収集したようです。それらをすべて新田次郎に提供したようです。
本書ではそれらの資料を登場人物に語らせる形で再生しています。
また、当時うたわれていた軍歌も歌詞を全て再掲して当時の日本の煽動状況を示します。形式は小説ですが、風景描写は「吹雪は猛然と吹きまくり、積雪量も次第に多くなっていった。大木の軋む音が、烈風とともに不気味に聞こえてくる。」といった記述の繰り返して記号化しています。しかしながら厳しい冬山を経験した人には十分情景が再現されると思います。
ここで少し長くなりますが第二部の記述された福島隊が宇樽部から戸来に向かう途中で出会った郵便脚夫のところを再掲けさせていただきます。
しばらくすると、荒れ狂う吹雪の中から、郵便脚夫が、頭に菰をすっぽり被り、真っ白な姿で現れてきた。この郵便脚夫は、戸来から来たもので、これから休屋まで行く途中であった。
この郵便脚夫は、山本ハル君の顔見知りの者で、天候が荒れると、時折山本君宅に泊まることもあった。
福井見習士官が、脚夫に向かって「こんな悪天候に、しかも、一人で歩くなんて危険ではないのか。もしも、行くも帰るも出来なくなって、長時間立ち往生でもせにゃあならなくなったら、どうするんだ」と、訊ねた。
脚夫は笑いながら「兵隊さん方は、ひどく寒そうな格好をしているが、私はこの通り、ちっとも寒くありません。天気が荒れて、長い時間立ち往生しなければならない時は、吹き溜まりの固い雪のところを選んで、横穴を掘り、そこで何時間でも、何日でも、天候が回復するまで、じっと我慢することです。徒に歩き回りますと、道に踏み迷うばかりではなく、却って疲労を早めますから」と、答えた。
たまたま偶然に尋ねたことが、福井見習士官の担当事項である。疲労度の研究に非常に参考になったので、急いで手帳にそのことをメモした。
すると今度は、宿営方の研究を担当している千葉見習士官が「そのまま二日も三日も雪穴に寝ていて、果たして生き延びられるのか」と質した。
脚夫はいかにもからかう様な仕草で「私は今でも忘れませんが、三十二年の大吹雪に、丁度どこの地点で、四日間雪穴にじっとしていたんですよ。この格好でですよ。兵隊さんたちには信じられないでしょうなァ。これこんな格好だけで」と答えた。
千葉見習士官は、さらに「その四日間は一睡もしないのか、それに普段どんな食料を携帯しているのか」と、質した。
脚夫はにこにこ顔で「ぐっすり眠りましたよ。食料は、ほとんど米飯は持参しません。携帯する食料は、蕎餅、炒り豆、唐辛子、にんにく、またたび等ですが、これらはすべて肌に直接つけて携帯します。この方法は、食料が凍結しない為です。大酒のみの私でも、道中酒は一切持参しません。特に冬期の道中での飲酒は厳禁です。寒いというのは、冷たい風が肌に触れるかなんですよ。だから、問題は、肌に風が触れない方法をとればいいわけです。冬道は特に、背中、腹部、足を寒さから守ることが大切です。私の背中と腹は、熊の毛皮で被っています。足部は、ぼろきれと油紙の間に唐辛子をふりかけて包みます。炒り豆は、水分が少ないので、ほとんど凍結しません。にんにくは風邪の予防と体力の増進にきわめて実効性がありますから、絶対に欠かすことはできません。またたびは、疲労の恢復と、腹痛、特に下痢には効果てきめんです。よく昔から”猫にまたたび”と申しますが、その効力は絶大です。先程私が、頭からすっぽり被ってきました菰は、野宿する場合の夜具、要するに布団代わりですよ。こうして袋になったものを二枚持参しているのですが、一枚は下に敷きもう一枚は、足部を入れて寝るんです」と、説明すると、そそくさと吹雪の中に消えていった。
※山本ハルは映画の中で秋吉久美子が演じていたと思います。
2冊とも良く入手できましたね。ネットではプレミア価格で手を出す勇気がありません。
まだ八甲田の茶屋があった当時訪ねた事がありましたが、この本には気付きませんでした。今思うと残念です。その後も真実本が幾つか出版されていますね。案内人達が凍傷の後遺症で苦しんでいるので、保障を求めて連隊を訪ねて行っても追い返された様な話もあります。
新田版では福島隊を美化してますが、まあ小説なので仕方がないでしょう。でも映画ではもっと美化して、村に着いたときハル演じる秋吉久美子を、隊列の後ろにやらないで先頭を歩かせていたのを憶えています。
幸畑にある八甲田山雪中行軍遭難資料館を訪れた時、ボランティアガイドの方が、弘前隊は青森の人間で構成され、青森隊は青森県人以外が多かったので、冬山の怖さを知らなかったので遭難した様な事を得意げに言っていました。遭難者の出身地を見ると、豪雪地で有名な場所もあるので、少し身内贔屓だなと思ったものです。
一昨年仕事の関係で青森市に行った時、再び資料館を訪れましたが、平日のためかガラガラでした。階級によって大きさの違う墓碑を見ていたら、なんか悲しくなってきました。
マタギ関連の本の中で、何故登山者が雪山で死ぬのか理解できない、雪穴を掘って天気が回復するまで待てば良いだけだ、との様な事が書いてありました。登山者の場合マタギと違って、予定通りに下山しないと、仕事が待っているために焦るのでしょうね。
ankotaさん
こんにちは
私は新刊本でない場合は図書館、日本の古本屋、オークション、アマゾンの順で検索します。
今回は図書館が休館で本も自主出版なので日本の古本屋で検索しましたら一部、二部セットで5,000円でしたので購入して読みました。
文章はとても読み易く早く読めて仕舞い時間単価は高くつきました。(笑)
しかしこの遭難に関する書籍が随分あるのですね。
本書が最も一次資料に近いのではと手に取りましたが、未完成で終わったので出典が明示されず残念です。
川口泰英という郷土史家が弘前隊が通過した三本木の村史を書いていたので信用できると思ったのですが、その後出版された地元の麻酔科医松本明知の著書にかみついたようなで、喧嘩両成敗で両方の本を注文したところです。
そのあと映画を見て最後に新田次郎の作品を読んでみます。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する