山を歩き始めて50年。
未だに記憶に残る山小屋(有人)について記します。
奥秩父 笠取小屋
お金のない高校生の頃はもっぱら山小屋が冬季開放中を狙って歩きました。
ところが笠取小屋に着くと暫くして小屋の親父が上がってきた。
仕方がないので450円払いました。
その代わり親父さんが近くで採った蕗を料理して出してくれました。
このおやじ前年に空腹で動けなくなったところを登山者に助けられた強者。
奥秩父 雁坂小屋
ここもあとから小屋の親父が長靴を履いて登ってきた。
私が薪ストーブを焚いているのを見て褒めてくれました。
別のシーズンにテント場でごろ寝をしていたら「寒いからこっちに来て寝ろ。」と小屋番の小屋にタダで泊めてくれた。
御坂峠小屋
ふたりの娘がまだ保育園生の頃に太宰の碑がある方から歩いていきました。
落葉が深くて子供はラッセル状態でした。
小屋では親父さんが床板を開けていろいろなものを取り出して無茶苦茶旨い鳥のもつ煮をつくってくれました。
飛騨山脈 船窪小屋
ご夫婦で運営している小屋で飯がとても美味しかったのを覚えています。
どううまいかと言うと「山の飯」ではなく普通の食事だったことです。
この時は松葉杖の単独行者が道から転落してヘリ救助されていました。
山岳救助隊では有名な女性だったそうです。
飛騨山脈 徳本峠小屋
常念から歩いてきて泊った小屋です。
改築前で小さな小屋でしたが食事をするところがとても明るく気持ちがよかったです。食事は栗ご飯と天ぷらでした。ここも船窪小屋と同じ「山小屋の飯」ではなく普通の食事で無茶苦茶美味しかったです。
山里編
親不知観光ホテル
栂海新道を降りてきておかみさんに宿泊を申し込むと「まだ海岸まで行っていないでしょう。」と咎められ仕方なく長い階段を降りて日本海の塩水にビブラムを濡らしてまた長い階段をのぼりゴールイン。
食事も美味しく快適でしたが、エレベーターはなく皆階段。堪えました。
翌日ご主人に駅まで送ってもらいました。
韮崎 増富ラジウムの手前
当時は韮崎から増富ラジウム温泉までバスでそこから金山平経由で金峰山に行きました。
何かで路線バスが途中から運休でバス道を夜とことこ歩いていると白いクラウンが止まって乗って行けという。シートには白いレースのシートカバーが掛けられていました。運転するおじさんが、山男には悪いやつはいない。こんな夜から山に入るのは無茶だ。うちに泊まっていけ。娘の部屋で一緒でいいだろう。と言う。!?!
固辞して車を降り、ビバークの後、金峰山を目指しました。
この時いやな予感が的中して耐寒訓練のつもりで素手でラッセルしていたら両手が凍傷になりました。両手が包帯でぐるぐる巻きになるとトイレが困ることが実感できました。
どの小屋にも宿泊した事はありませんが日記を拝見して船窪小屋は泊まってみたいと思いました
増富温泉も行ってみたい温泉のひとつです
山小屋の話しより最後のラッセル武勇伝に驚いてしまいました
両手ぐるぐる巻き、想像もつきません
実は凍傷か火傷かわかりません。
素手で借り物のピッケルを持っていたのですが、金属に触れていた指が冷たいので口に咥えたらば、歯に当たってカチンコチンと音を立てました。完全に凍っていました。お湯を沸かすのももどかしく慌ててスイスメタであぶってしまいました。その後大弛の避難小屋まで進みました。小屋でホエーブスのつまみを回すとその形がいつまでも指に残りました。翌日は甲武信を目指しましたが、まだオーバーシューズなど持っていなかったので膝の裏側に雪の塊ができたので、縦走を諦めて大弛林道をワカンで踏み抜きながら降りました。塩山の駅で指を見ると全部水脹れになっていました。指は濡らしてはいけないと実体験しました。
もう40年ほど前ですが、奥秩父の金峰山小屋に泊まりました。
当時はたしかまだ素泊まりだけで食事の提供はなく、自炊するつもりで一合の米を持参。
米を炊こうとすると小屋番の人が我々の分と一緒に炊くからと言うので、米を渡すと・・・
何と出してくれたのが松茸ご飯でした。
あの味は一生忘れられません。
私は高校1年生のGWに泊まりました。ツバメガスコンロで芯のあるご飯を炊き、表面だけ焦げた魚肉ソーセージを食べました。この時はまだ白蛇大蛇は健在でした。
奥秩父の小屋は知りませんが、その他、私もお世話になりました。
船窪小屋ーあのお母さんとお父さんの掛け合いが何ともいいですね。夜にはそもそもの馴れ初めまで聞きました。
徳本峠小屋ー上高地からテント泊したんですが、お昼のカレー、すごくおいしかったです。時間かかるな、思ってたら、カレーに野菜炒めが付いてるんです。野菜不足の体にすごくおいしかったです。ここの小屋の方にはすごくお世話になりました。
親不知観光ホテルー栂海新道降りてきて、四日間の汚れ、シャワー使わせてもらいました。その後、駅まで車で送ってもらったり、たった五百円かそこらで大変なサービス、いただきました。
後から、船窪小屋の親戚の方が経営してると聞きました。それで登山者に優しいんですね。
この頃は、長期縦走は、小屋泊りだな、と思うようになってきました。まだまだ頑張りたいです。
船窪小屋では遭難者の救護にあたった単独校の男性がもう一泊することになったのですが、小屋の方は労をねぎらはしましたが、宿泊費は取りませんでした。
親不知は経営を譲り受けた3代目とのことでした。「お客さんの様にゆとりを持って宿泊していただけると嬉しいのですが、皆さんお風呂だけ入って慌てて帰っちゃうんですよね。」とぼやいていました。(笑)
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する