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目次を見ると”「田端の壁」初登攀”とあります。
ああ、年代は同じだなと思い永田藤一郎なる人物は全く知りませんでしたが、年金暮らしの掟を破りポチしました。
そのころ海外遠征経験のある知人に誘われて82年に遠征しようと旅券をとったりしていました。当時は口座にある程度のお金がないと旅券が取れないとかでバイト仲間に100万円入金してもらい通帳に印字したらすぐにATMで返金して事なきを得たことがあります。そんな仲間内に田端の壁や常盤橋も話題になり誘われていましたが、常盤橋は行きましたが、田端は行かず終いでした。
読み進めれば釣りに通った赤谷も出てきてへーと思いました。
利尻島で落差500m滑落しても軽いけがで済んだ話は阿弥陀の南稜で7人が300m滑落して3人は生還し、4人が雪に埋もれて亡くなったように雪に埋もれるか否かで生死を分けるのだなと思いました。
サブタイトルの”80年代ある東大生の輝き”はない方がよかったかな。
文章は読みやすく、藤原氏の生い立ちも垣間見れるし、懐かしく読めました。
詳細は米山さんの日記に譲ります。(笑)
https://www.yamareco.com/modules/diary/826-detail-293760
写真は左は「酔いどれクライマー永田藤一郎物語」
中は今日大王山葵農園で開催されていた矯正展で購入したコの字型の大小の台と1段目が格納できる踏み台。我が家で最も優れた木工品となります。
右は鋼鉄でできた重量のあるバーベキュー用コンロ。(串焼き用?)
かみさんはこんな素晴らしい木工が学べるなら私も刑務所に入ろかしらと言っていた。
どれも3千円台です。
常盤橋公園って、日本橋にあるのですね
田端の壁(近所です)を見に行った時の日記に、guchi999さんからコメント頂きました
80年代には、平山ユージさんたちも登りに来ていたとか?
そう言えば、昔はパスポート取るのに通帳残高見せた記憶が蘇りました
そうですね。堀を渡って日本銀行でした。
ある時石垣が崩れるので登らいようにと看板が立ち、整備事業が始まりました。
人が登って崩れるくらいならとうの昔に崩壊していたと思いますがね。
当時は橋はなかったと記憶していますが、今は整備されて常盤橋がかかっています。
「こんな素晴らしい木工が学べるなら私も刑務所に入ろかしら」にウケました。
海外を歩いている際に聞いたのでしたが、無茶苦茶にドラッグを摂取する東大生海外放浪者の話を思い出しました。
さすが私につい来る自慢できるかみさんです。
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