今朝の信濃毎日新聞に標記の大見出しに10月の北ア遭難生還への足取り証言が載っていました。10月18日午前3時に都内をマイカーで出発して七倉でタクシーに乗り高瀬ダムを8時頃歩き出したそうです。雪山経験も渡渉経験もない二人がインターネット上の動画と登山地図アプリだけで計画を立て1泊二日で伊藤新道経由三俣山荘から竹村新道で湯又に降りる心算だったそうです。時計もスマホに頼っていたそうです。スマホの電源は順次切れルートが全く分からなくなり、視界が悪かったのでしょうか、水晶小屋を右手に見ながら水晶岳方面へ歩みを進めて、ルートミスに気が付き東沢谷へ下降したそうです。途中で相棒がろれつが回らなくなり一つのシュラフに二人で入って一昼夜体力の回復を図ったようです。この辺からは判断が的確で二人の生還につながったと思います。どなたかがモバイルバッテリーを携帯しますかという旨の日記を書かれていましたが、バッテリーさえ持っていれば、・・・違う違う紙の地図とコンパスを持っていれば、というかルート(地形)位暗記しておけば遭難を防げたのにと思いました。
反省を踏まえて山を続けてほしいものです。
写真は記事と、
玄関アプローチに植えた白樺に百舌鳥が刺した芋虫の早贄(4個目)、
快晴の爺、鹿島槍、五竜方面
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