30年ほど前の夏の出来事です。
屏風岩一ルンゼを2パーティー5人で登りました。
恥ずかし一番とんがっていた時代です。
下の門を越えてしまえば奥秩父の東沢東のナメより簡単ではないかという大スラブです。後輩たちはその頃流行りだしたフラットシューズを履いていたので斜面を走っています。
いくらなんでも転んだら下に落っこちて行くのではとハラハラしていました。
すると上部からブーーーンと何かが飛んでくる。
石だ。
ブンブン唸り声をあげて飛んでくる。
先行パーティーが最後のピッチで落石を起こしている。
「ばかやろー!」と怒鳴ったところで当たれば一巻の終わり。
落石ルートから必死で逃げました。
我々も最後のピッチに来ました。
水の涸れた石の詰まった小さな滝つぼと、ガラガラの滝跡と言った感じでした。
取り付くと確かに脆い。
しかし松木沢で鍛えた浮石のプロフェッショナルとしては一粒たりと落としはしない。
見事ひとかけらの石を落とすことなく、終了。
愛しい彼女、後輩1、後輩2、後輩3と上がってくる。
目も当てられない、否、耳をふさぎたくなるような落石を起こしながら上がってくる。
いくら後続パーティーがいないとはいえ酷い。
恥ずかしい。
私の背後を東壁を登ってきた幾つかのパーティーが鼻息荒く通り過ぎる。
(彼らが鼻息荒くなら私は過呼吸で気を失う寸前ぐらいでしたが。)
「これだから一ルンゼは嫌なんだよ。落石を起こすトーシローばかりなので。な。」
「売られたケンカは買うぞ。」と言いたがったが愛しい彼女をビレイしている最中。
じっと我慢の子であった。
暫く後に一ルンゼが大崩落して当分は登攀の対象にならないと聞きました。
追伸
大崩落で犠牲者が出ていたことを今確認しました。
タイトルを変更しました。
あの一ルンゼ大崩落で、何人かの犠牲者が出ていると記憶しています。詳しい人数は忘れましたが、結構多くの人命が失われたと思います。
その当時の私も、バリバリクライマー???
一度は行ってみたかったクラッシックルートでした。
それは知りませんでした。
ルート上に人がいる時間帯に起きたのですか。
少し不謹慎でした。
こんばんわ
自分のあいまいな記憶だけで、大変失礼なコメントをしてしまいました。
私も気になって、インターネット検索をしたのですがなかなかヒットしませんでした。先ほどまで調べていてやっとわかったことは、昭和62年(1987年)9月に起こった事故で、4名死亡、1名が行方不明と云う事でした。当時の山岳雑誌を調べればもう少し詳しい事が分かるのでしょうが・・・
もう古い話で、記憶に留めている人も少なくなっているのでしょう。
大変失礼をしました。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する