槍ヶ岳(百名山-3)と西穂高独標
- GPS
- 80:00
- 距離
- 37.8km
- 登り
- 3,280m
- 下り
- 3,284m
コースタイム
上高地9:30-10:00 明神館11:00 奥穂高神社・明神池11:30-11:50 徳沢ロッジ12:50-13:15
横尾山荘14:20-14:45 一の股15:45-15:50 槍沢ロッジ16:45
7月14日 晴れ
槍沢ロッジ6:15赤沢の出会い6:40 槍沢小屋跡7:00 水場9:30-9:45 殺生ヒュッテ12:20-45
槍ヶ岳山荘13:50 14:15 槍ヶ岳14:40-15:00 槍ヶ岳山荘15:30
7月15日 風雨
槍ヶ岳山7:00 槍平小屋9:30-9:35 滝谷出会い10:10-11:30 白出小屋 12:15-12:30冒扇I冒芭
穂高平小屋 13:30-14:00 新穂高ロープウェイ駅 14:55-15:20 西穂高口 15:40-15:45西穂高山荘17:10
7月16日 曇り
西地高山荘8:45 独標10:20-50 お花畑11:00-11:20 西穂高山荘12:10-45迷い沢 13:25 丸木14:30 上高地16:00 帝国ホテル16:10-17:10 松本 18:30
天候 | 晴れ・嵐・曇り |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
|
写真
感想
妻と槍ヶ岳をめざす 激流滝谷沢の徒渉
1990年7月13日ー16日
(90年夏)
その山にいきなり裕子を連れていくことにしたのは、90年の夏7月のことであった。この山行も忘れられものの一つとなった。裕子とともに山に行けるようになった。それはなによりも嬉しいことであった。長年 願っていたことであり、前年の9月に北八ヶ岳に出かけたことがきっかけとなって、夏山シーズンの到来とともに、妻と百名山を登ろうと考えた。そして、その最初の山として、一番に実現したいと思っていた槍・穂高の縦走で、それを選んだ。
このコースを私は歩いていなかったからである。この計画を思いたった時、妻の友達で、私の小学校の同級生でもあるKさんと、その友人でもあるUさんを誘った。本格的な山をやらない二人には、穂高に登るのは無理だと思ったので、涸沢で遊んでいてもらい、私たちは槍ヶ岳から奥穂高に縦走し、再び上高地で会うという計画にした。
私たちも一日で槍ヶ岳まで登るのはシンドイと思って、槍沢泊まりにすることにした。7月の山はもうすっかり夏山で雪などないとたかをくって軽い気持ちでいた。ただ、裕子にとってアルプスは初めてであり、穗嵩への縦走が気がかりであった。万が一のためにと20mのロープを持っていくことにした。
(槍沢小屋へ)
7月13日 雨曇り後晴れ
上高地9:30-10:00 明神館11:00 奥穂高神社・明神池11:30-11:50 徳沢ロッジ12:50-13:15
横尾山荘14:20-14:45 一の股15:45-15:50 槍沢ロッジ16:45
7月13日午前4時、平和島の家を四人で出発。小雨模様であった。途中諏訪SAで休息、7時半に上高地にむかった。雨はやみかけていた。
上高地に9時半に到着。久しぶりの上高地である。マイカーの規制のない時期であったので、うまく駐車場に止められた。天気は晴れてきたが、穂高の上には雲があり、稜線は見えない。登山の支度を整え出発する。Kさんも、Uさんも元気で、みんな気持ちのよい気分でいた。今日は、我々は槍沢小屋までの行程であり、Kさんたちは横尾山荘までである。無理のない予定を組んだ。私も久しぶりの山であり、感覚は戻っていない。
森深く鳥鳴きやみてたそがるる木の間水のほの明りかも 島木赤彦
車でも走りそうな広い平らな道を我々は歩き始める。もちろん河童橋での記念撮影も忘れない。奥穂高神社でお参りをし、お守りを買ってザックに括りつける。少し早い昼食をとる。明神池は青緑の静寂な水面で、周りの木々に守られて俗さがない。
昼前に神社をあとにして、一時間ほどして徳沢ロッジに着く。またもコーヒータイム。ロッジの前庭のテーブルを囲んで休憩。
Uさんは写真が趣味で、花を撮るのを楽しみにしている。彼のザックには写真の機材が多くかなりの重量になる。Kさんは小柄だが、足は達者で元気だ。しかし、裕子とお喋りしながら歩くと途端に歩みが遅くなる。少し急かしながら徳沢まできた。軽いウオーミングアップのようなものだ。コーヒーがうまい。徳沢を過ぎると、道も少しは山の道らしくなってくるが楽な道だ。明神岳や屏風岩を見ながら一時間で横尾山荘に着く。Kさん達はここで今日は泊まる。我々はここで二人とお別れ。更に先に進む。16日に上高地での再会を約束して、手をふって別れる。
一時間ほど歩いて、一ノ股。休憩。常念岳からの道と出会う。橋を渡り、槍沢を左に、更に樹林帯をいくようになって、小一時間、間も無くではないかと思ったとき、山道の端に「もうすぐ槍沢ロッジの小さな板が目についた。一服。そこから歩きはじめたら、ほんとにすぐにひょっこりと小屋の前に出た。裕子には最後の一時間がつらかったようだ。午後5時前に着いた。
宿泊の手続きをし、部屋に上がる。中年のご夫婦と同宿する。大阪のお役人だという。穏やかな雰囲気のご主人で奥さんもおっとりしている。それでも山に慣れている様子に見えた。
山小屋で食事をするのは初めてである。私は過去の山行はすべてが、テントで自炊であった。この槍沢ロッジの食事が小屋でのはじめてのものになる。裕子との初めての北八ヶ岳のときも自炊であった。食事の支度をしないで済むのでのんびりできる。嬉しいことにこのロッジには風呂がある。それも立派な風呂場で、湯船も大きい。ゆっくり首まで湯につかる。山小屋でお風呂に入れるなんて、ほんとに贄沢なことだ。槍沢の水を沸かしているのだろう。裕子はお風呂からもどるとごろんと横になるや、朝まで寝てしまった。
私はあまり寝つくことができなかったが、階下で聞き慣れない言葉が飛び交っている。ネパール人が四人、ロッジで働いている。小屋の人に聞いてみたら、ネパールの山小屋経営の勉強のために来ているのだそうだ。なんか変な風に感心してしまった。山の世界も変わっているのだ。
二十年近い山への不在が目の前にあるように思える。私はやはり興奮している。久々の山に気持ちが高ぶっていた。横になって眼を閉じて、明日のために眠ろうとした。ネパール語の会話がしばらくするととぎれとぎれに聞こえ、いつしか寝入った。こうしてアルプスへ帰ってきた夜が過ぎる。ゴザ敷の床に引いた蒲団にくるまって裕子は一心に寝ている。そう見えた。
(槍ヶ岳へ)
7月14日 晴れ
槍沢ロッジ6:15赤沢の出会い6:40 槍沢小屋跡7:00 水場9:30-9:45 殺生ヒュッテ12:20-45
槍ヶ岳山荘13:50 14:15 槍ヶ岳14:40-15:00 槍ヶ岳山荘15:30
翌朝は5時起床。晴天。小屋の前では数人の人が自炊の準備をしている。私たちは小屋の朝食を待った。一人でいる男の人と目があって、挨拶をする。JRに勤務しているという。上田に住む。アルプスは近い。だからよく来るという。この人にお茶をご馳走になる。朝の空気はひんやりとして気持ちが引き締まる。まわりの人たちも忙しく出発の準備をしている。我々も支度だけは済ませておいた。同室の中年のご夫婦ともども小屋の朝食を食べ 6時15分ロッジの玄関先で記念の写真を撮る。
「お世話になりました」
小屋の主人に挨拶をして出発する。裕子もよく寝たおかげで元気である。
昨日と同じように、槍沢にそって山道を行く。槍沢小屋跡で一服。テント場になっていて、数張のテントがあった。丁度七時。これからいよいよ長い槍沢を登るのだが、昔この道を下っている。そんなに緊張のない道だったし、ずっと夏道を歩いてきたように思っている。だから心配はしていなかった。
中年のご夫婦が大きく沢が右折する手前の潅木の茂みで休んでいた。
「おはようございます、休憩ですか」
と声を掛けると、
「おはようございます。ここから先は雪渓ですわ」とご主人が言う。
「えっ 」と思って右にカーブしている沢筋を見る。
「アッラー、雪渓なんて思っていなかったよ」
どっかりと谷幅広く雪がつまっている。ずーと続いているようだ。
「まずかったな、アイゼン置いてきちゃったよ。まさかこんなに残ってるとは思わなかったな」
「大丈夫?」と裕子が聞く。
「 ステップを切って登れば大丈夫だよ、心配するな」と、自分に言い聞かせるように裕子に言う。
内心「まずかったかな」と悔やむ。ブランクは大きいと実感した。山の季節感が無くなっていたのだ。雪の上を歩くのは、慣れていないと滑るのではないかと神経を使う。裕子のことがまず気がかりになる。夏道を最初はひろいながら歩くが、しばらくすると雪渓につけられた踏み跡を丹念になぞるように歩く。夏の雪の上をサクサクと歩く。途中雪渓が二股にわかれて、露出しているガレ場のような中州状の一帯があり、花も咲いていたりするので、雪をきらってその中州に取付いたが、結局道を外す羽目になってウロウロしてしまった。高度を稼いでいるわりには槍ヶ岳の姿をみることができない。裕子はまだ余裕をもってついてくる。夏道が現れれば夏道を行く。途中のお花畑があちこちにあり感激しながら、9時ころになってやっと槍の尖りが見えるようになった。大曲り付近だった。
雪渓をのぼりつめれば雲うごき神のごと現れる黒い槍の尖り
9時半に天狗の池が見える位置、槍の姿もはっきりとらえられる水場で休憩する。小さい沢から冷たい 水が流れ、顔を洗って気を引き締める。水がうまい。裕子は日差しを避けて黒の長袖の薄手のシャツに、赤い帽子を被り、腰に赤いポシェットを付けている。靴は私も裕子も新調したのだが、裕子の靴は皮だが 軽装靴だ。二人ともコットンパンツで 私はTシャツに丸い登山帽をかぶり、至って軽装である。裕子は汗をかかない体質で、大汗をかいているのをみたことがない。私はまったくの大汗かきで、すぐ汗でビッショリになる。この時はまだ服装も有り合わせのカッコだった。裕子にストックを一本買った。これは何かと役にたった。そしてここまではまだ山を楽しむ余裕があった。
一息いれてから再び槍をめざして登りはじめる。天狗原が左に残雪を残して見え、滝のように落ち込む沢がある。右手は表銀座の稜線である。天気は晴れてはいるが、槍ヶ岳の上に雲がかかって、尖りが見え隠れするようになる。ペースとしてはかなり遅い。小屋跡から一時間のところを二時間以上かかっている。
雪渓にステップを刻む神経が寡黙になって槍の尖りが遠い
ここから殺生小屋までの登りは最後雪渓の詰めになり、傾斜も増して滑りやすい。慎重に行動するしかないし、裕子のことが心配で、ともかく急がないことにした。{大丈夫か」といつも声をかけて励ましたが、裕子には相当のプレッシャーだったと思う。槍ヶ岳はなかなか近づいてこない。
私は槍ヶ岳のことは若い時に登っているので、詳しく調べもしないで来たことを少し後悔した。裕子とは距離をおかないようにいつでも手がとどく間を保った。しかし遅れ気味になる。雪渓を登る裕子を写真にとった。途中二度雪渓をトラバースする。
「踏み跡をしっかりみて!」
「ゆっくり一歩一歩でいいよ、慎重に!」
「もう少しだよ!」
励ますように裕子に声をかける。10メートルほど離れてしまった。
「ストックを突いて!ゆっくりでいいぞ!」
雪と傾斜への恐さとで裕子の顔にかなりの疲れがでている。殺生小屋が見える。ともかく励まして雪渓を登りきって、小屋にたどり着かなければならない。2時間半近い格闘の末にやっと雪渓を登りきって殺生小屋への石段を上がる。階段の上から裕子の行動を見つめる。
「もうすこしだよ、頑張れ!」
ゆっくりと雪渓の踏み後をなぞりながら石段までたどりつく。
「やっと来たわ!」
「よく頑張ったよ、恐くなかったか」
よく頑張ったと裕子をほめた。手を取って裕子を引き上げる。二人ともホッとして、小屋の前の広場のテーブルにザックを下ろした。
「疲れたわ。雪渓は恐くはなかったけど急なんだもの。」
さっきまで緊張気味だった顔が少しほぐれて笑顔になったが、バテバテの様子で顔に血の気がない。周りに人影もなく、殺生小屋は黒々として大きいが、不気味な感じだ。小屋に入ろうとしたが、入口が暗く大きな戸で、なんとなく明るくない。外で休憩することにした。丁度お昼だし、用意したラーメンをつくって食べた。多少生き返った心地がする。天気はまだ青空で日差しが濡れたTシャツを乾かしてくれる。
殺生小屋はカールの底にあり、ここから電光形にきられた道を肩まで登らなければならない。もうひと登りであった。最後のガレ場を高山植物を見ながら登る。風もでてきて、ガスもかかり天気はよくない。小一時間かかって肩の小屋に到着。広場では多くの登山者が思い思いの格好で休んでいる。
「あっ、どうも。今ついたんですよ」
「私たちこれから下りますので、お気をつけて、失礼します」
「こちらこそ、お気をつけて」
ロッジで一緒だったご夫一掃がこれから下山すると言う時に出遭ったので、見送って別れた。二人は軽アイゼンを持ってきたので、早く到着していたのだ。
裕子はやっとたどりついたという顔をしていて、一段と余裕がなくなっている。
「今日はここで泊まろう。この先は裕子には無理だもん。」
「そうして。もう疲れちゃった」
と言うことで 南岳へは行かずに、肩の小屋に泊まることにした。
この小屋は二度目だ。あいかわらず人気がある。建物は昔のままのように見えた。宿泊の手続きをする。
午後2時に近い。荷物を置き、30分近く休息して槍ヶ岳の山頂をめざす。雨具の上着だけを着て頂上に向かう。
梯子や鎖場を注意深く登る。昔と違って立派な鉄製の梯子が固定されていたりして、何か風情がないとはおもったが、しかたないか。ガスは一段と濃くなっていて周りは何も見えない。いまにも降りそうな気 配すらする。途中岩陰に小さな花が咲いている。二人で顔を寄せながら眺めるでさっきまでのヘトヘトに
なった疲れは和らいでいるようだ。30分かかって頂上に立つ。
「なにもないわね」と裕子。
ガスの中の頂は小さな岩の広場みたいなもので、頂上の標識と小さな祠しかない。数人の登山者がいたが、それほどの賑わいはない。
「残念だけどしかたないね。寒くないか」
「ほら、この祠の後にでてくるんだよ。」
と裕子を北鎌尾根の見える方に連れてゆく。小槍の黒い岩峰の下、千丈沢へ切竈れ落ちて行く凄みもガスに蔽われていて、北鎌の稜線も見えない。ガスが晴れたら三百六十度の展望があるのにと思ったが、山頂の小さな祠の前で記念写真をとってもらう。
霧深く四方をとざし槍の穂に立つ 妻の手 冷たい
「寒いね、天気変りそうもないから下りるか」
「うん」
山頂にいたのは五分ほどでしかなかった。下山するにも鎖や梯子のところでは、慎重に行動する。裕子には全てが初体験なのだから。イワキョウが咲いている。裕子と写真に撮る。北鎌尾根からひょっこりと山頂にでた時のような晴天であったらどんなに気持ちのよかったことか。残念だ。そう思いながら肩の小屋に戻った。
それから小一時間たっただろうか、神様は我々の願いを聞き入れてくださったかのように、夕方の4時過ぎ、今までの雲が晴れて、常念岳から、表銀座、西鎌尾根から双六、三俣蓮華、裏銀座、笠ヶ岳、もちろん穂高岳の峰とそれへ連なる稜線が一変に現れた。雲海の上に峰々が立ちへ夕暮れの雄大なシンフォニーを奏でる。裕子を呼んで一緒に雄大な光景を楽しんだ。やはり山にもどってきてよかったと至福の時につつまれていた。
槍ヶ岳肩の小屋
西鎌の稜線のさき見遠せぱ双六鷲羽黒部五郎とつらなっていく
目の前にどっしりと笠ヶ岳 ぐいつとこの手をのばしてみる
前庭の長イスに腰掛けていると、下から外国人の大柄な若い女が数人の男と登ってくる。珍しいなと思っていたら、ケンブリッジ大学の学生で、9月までこの槍ヶ岳の山荘で働くのだと言う。槍沢ロッジから案内されてきたのだと言う。この二十年近い歳月の間に時代が大きく変わっているんだと思わされた。仕事では感じられない出来事のように思う。山荘の夕食はお世辞にも美味いとは言えなかったが、文句は言うまい。夕食後はロビーでお茶を飲んだりしてしばらくくつろいだ。夕方の天気から明日は大丈夫だと思った。
裕子は例のごとく横になってしまう。彼女には寝ているときが至福の時なのかもしれない。私も明日のキレット越えのために早く休むことにした。長い一日のように思えた。
(滝谷の出合)
7月15日 風雨
槍ヶ岳山7:00 槍平小屋9:30-9:35 滝谷出会い10:10-11:30 白出小屋 12:15-12:30冒扇I冒芭
穂高平小屋 13:30-14:00 新穂高ロープウェイ駅 14:55-15:20 西穂高口 15:40-15:45西穂高山荘
17:10
窓を打つ雨の音で眼が覚めた。マジかよ」と思った。雨降りのなか裕子を連れて大キレットは越せない。
部屋の中はまだ静かだ。蒲団の中でヘッドライトの明かりをつけて時計を見た。午前三時をまわっている。
朝までには止むだろう、止んでくれと願って眠るしかなかった。4時すぎには人の動く気配がしはじめた。
しかし雨は降っている、降り方がなぜか荒っぽい。風も強そうだ。5時には起きて、支度をする。6時過ぎロビーで小屋の人に天候を尋ねる。
「低気圧がきて午前中には回復しそうもないね。」
「今日みたいにガスで何も見えない時のほうが、キレットは恐くなくていいよ。」と、無責任なことを冗談めかして言う。そんな時に雨具を着た一団が出ていく。
「あの人たちは南岳から槍平小屋に下りる。キレットは通過しない。」と、小屋の主人は説明する。
雪渓をくだるのは登るよりも危険だし、新穂高温泉にでて、ケーブルで西穂局山荘にいき二泊してから上高地に下るようにしよう。予定変更だ。槍平への道の方が安全だ、そう判断した。
「キレットはやめて、新穂高に下ろうと思うんですけど」
「ああ、その方いいな。しかし、早くでないと滝谷の出合の沢が渡れなくなるかもしれない。 新穂高温泉に下る人は早く出た方がいい。昨夜で50ミリの雨が降っている。まだ仮橋ができていないから、これ以上降ると、滝谷の出合は激流になるから渡れなくなってしまう。チピ沢も心配だな。」とへ忠告してくれる。
この山荘の主人の守谷さんは山岳写真で有名だ。もう六十をとうに過ぎた小柄なおっさんである。
「橋がないんですか」
「たしかないはずだよ、急いだほうがいいよ」
「そうします、どうも。裕子すぐしたくして」
6時半に食事をすませ、7時には小屋をでることにする。下山の準備の身繕いをして、玄関にやってくる。
小屋の親父ざんも早く下りろとみんなに言う。入り口あたりは戦場のようにごったがえしている。
入口の戸口のガラス越しに激烈な雨と風が横殴りに吹いているのがわかる。ここをでて行くのは勇気がいる。玄関には雨具を着て、出発のタイミングを計っている人たちで騒然としている。風がガラスを叩く。
「雨具大丈夫か、きちんと着たか。」
「大丈夫よ」
「じゃっ、行くからね」
「はい」と、答えながら裕子の顔に緊張が走る。
「ご主人、では行きます。お世話になりました」
「気をうけて行ってください。午後には上がるだろうとは思うけど」と、見送ってくれる。
「行くぞ」と言って小屋の戸を開ける。
一歩外に出るとまったくの別世界が待ち受けていた。
真っ白な霧がまわりをつつみ、視界は10メートルと効かない。横殴りの風が頭ごなしに吹きつける。雨がいきなり顔をうつ。台風のなかに飛び出したようなものだ。小屋の建物にそって飛騨乗越に立つ。右は槍ケ岳槍沢への道、左が槍平への道、道標を確認する。槍ヶ岳の尖りが岩の壁のようにガスのなかにある。
昨日登っておいてよかった。風に追われるように歩き出す。ガレ場のなかにつけられている踏み跡を一歩一歩確認するように歩く。少し下ると乗越の風が少し弱まったが、あいかわらず雨は強い。
ところどころに黄色いコマクサがかすんで見える。地を這うような風に吹き飛ばされるのではないかと思えるほどだが、しっかり咲いている。高山植物はこんな過酷な状態でも負けないでいる。可憐だが強いのだ。晴れていれば・・
我々二人だけである。まわりはガスって何も見えない。雨に追い立てられるようにガレ場をくだる。風が少し弱まって、雲のなかをさまよっているかのように下っていると、目の前に動くものがある。
「雷鳥だ。裕子、ほら雷鳥。」
「ほんとだ、はじめて見たわ。」
二人の前を子連れの雷鳥がいる。雷鳥が現れる時は天気が悪い時だと、以前何かで読んだ。まさにその通りだ。こんな天気だから天敵に出会うこともない。裕子と二人で雨の中に立ち止まる。晴れていたら見られたかどうか。夏はまわりの岩に同化するような茶褐色で、子供の二羽、親のまわりをちょろちょろ歩いている。天気は最悪だが、子連れの雷鳥を見ることができて幸運であった。いつまでも立ち止まってはいられない。雷鳥に別れをつげて先を急ぐ。また雨足が強くなってきた。
吹き荒ぶ風雨のなかに雷鳥は雛つれて悠々岩尾に歩む
唇かんで槍ヶ岳をくだれば足もとにさ霧にかすむお花畑は
岩場のエリアをすぎて小さい木立ちが現れて、森林限界を越えるころから、山道が小沢のようになり、水が溢れでる。山道の土面が見えないくらいに水が沢のように勢いよく流れる。もうじゃぶじゃぶと水の中を一歩いていくしかない。鉄砲水のように水が飛び出して幾筋もの流れができている。余裕もなくただひたすら下った。裕子の靴は軽登山靴だから、こういう場面では通用しない。靴の中に水が浸水して足が浮いてるはずだ。今度は高い本格的な靴を買ってやろう、それにしても凄い雨だ。
「靴はどうだ。」
「もう水が入ってじゃぶじゃぶしているわ。」
「しかたないな、我慢して歩けよ。もっといい靴にしないとダメだな。」
「そうして。」
そんな会話を交わしながら、なにか体中が水浸しになっているような気分になっていくが、耐えるしかない。後から声がした。二人連れだった。道を譲る。無言で下っていく。早い。
「少し休むか」
「うん、いい、休まないで行きましょう」と裕子。
休みようがない雨だ、立ってもいられない。結局、二時間半休憩なしでひたすら歩き通した。少し道がゆるやかになって、樹林帯に入った。雨も少し落ち着いてきて、少しほっとしたころ、樹林がきれて残雪のある広場のようなところに出た。道標がない。雪のために小屋への道がわからない。立ち止まっていると、そこえ三人のパーティが現れたのでいっしょに探す。ガスも濃いので、こんなところで迷ったら困ってしまう。
「あっちだ」と声がした。
一人の人が 樹林の中に踏み跡を見つけた。ちょうどその頃雨が弱まって小振りになってきた。再び樹林帯に入ると、黒い小屋がおとぎ話にでてくるように忽然と現れた。槍平の小屋にたどり着いたのだ。やれやれとひと安心する。9時半。
入り口の戸を開けて中に入る。夏なのに寒々しいほどに深閑としていて玄関には誰もいない。
「すいません」と大声で小屋番を呼ぶ。奥から若い男の人が「はい」と言って現れた。
「すいません。滝谷の出合、渡っていますかね、先に行った人たちどうですか。」と、尋ねる。
それがなによりもの心配ごとであるから。
「誰も帰ってきていないからね、たぶん渡っているんじゃない。渡れない時は戻ってくるからね。」と、連れない返事。
「じゃ大丈夫ですかね。」と私。
「もしダメだったら帰って来てください」と小屋の人。
多分大丈夫なんだろうと希望的観測をして行くしかない。少し平坦になった道を急ぐ。
半時ほど歩いただろうか、突然、ゴウゴウゴウゴウというジェット機の爆音のような音がして、目の前に激流の水飛沫を沢幅いっぱいに暴れている滝谷沢が現れた。午前3時から7時の間に雨量50ミリを槍ヶ岳山荘で記録した雨は、暴れる竜となって眼の前に流れ下っている。大きな岩が飛び飛びにあるがその
間を暴れ散らすように激流が渦巻いて走る。先行していた二人と先ほどいっしょになった三人と私たち七人が、激流を前に呆然と立ち竦むのだった。
「凄い!」
「渡れないですよ。しばらく待つしかないですかね。」と年配の男の人が困ったという顔をして言う。裕子の顔を見る。顔が少し強ばって言葉がでない。
「渡るの」と小さい声で私の顔を見る。
「ザック下ろしていいよ。少し待ってな」
「凄いわね」
「凄いね」
私は裕子にザックを下ろして休むように言って、他の男の人達と一緒に流れの前でしばらく無言のままだ。みんなも処置なしという顔をしている。
「どうですか」
「いや・・・、怖いくらいね」
「むこうまで何メートルくらいありますかね」
「20メートルくらいですかね」
他の人たちと眺めている。雨は大分弱まってきていた。
対岸まで20メートルほどだ。私もしばらく様子をみていたが、意を決して、ザックの中に仕舞ってあったロープを取り出した。
「私20メートルのロープがあります。こんなかで若くて山なれた人はいますか」と尋ねた。みんなその意味
がわかった。先行していた二人組の若い男性が、
「私が行きましょう、確保してくれますか?」という。
「私が確保しますから対岸まで渡ってくれますか。」
「行きます。」
彼はロープの先端を体に巻き付け、私は岩に体を預ける形で座り込み、もう一方の端を体に巻き付ける。他の人建ちは黙って我々の行動を見守っている。
「行きます、お願いします」
「気をつけて、頼みます」
彼は最初の岩の上に立った。皆黙って固唾を呑んで彼の次の行動を見ている。激流の激しい音だけが耳に入ってくる。一瞬みんなの気がそろったかのようにシーンとなった時、
「ぱっ」と、彼が飛んだ。緊張は続いている。
彼の動きに合わせてロープを出していく。昔ロッククライミングをやっていたから、その経験が役に立つ。若者はザックを背負ったまま、岩に飛び移る。慎重に1メートル置きくらいの岩を選び、一つ飛んでは止まる。みんな彼がどう渡っていくのか黙って見守る。ゴウゴウという流れの音だけがする。容赦なく激流の飛沫が足もとを襲う。慎重に獲物を狙うように次の岩に飛び移る。対岸まであと少しというところで足場にする岩がなくなっている。彼は躊躇している。2メートル50センチくらいの間隔だ。
「行け!」と、胸のなかで叫んだ。その時、彼は覚悟をきめて一気に対岸に飛んだ。
無事渡った。
「ヤッター!いいぞ!」
緊張が一変に解けて、一斉にみんな拍手をする。
「そちらで確保してください・・・」と、大きな声で叫ぶ。
「わかった」と言うように、彼は手を振って合図する。
「一人づつこのロープを伝わって渡ってください」
みんな緊張感がとれてにぎやかになった。男性が一人、確保の補助のために渡る。
「その岩」とか「手前の岩」とか声をかけあったりして、もう先ほどのしずかな雰囲気とは打って変わって、みんな元気になった。年配の人が、この人はピッケルを背負っていたが、ロープを右手に握り、次々に岩を飛んでみんなの拍手を浴びた。
「写真!写真!」などと叫んで、この徒渉の光景を写真に撮る。私も欲しかったが、今は無理だ。
最初の若者の連れは女性だった。ベルトにロープを通してみんなと同じように岩を飛んだ。残されたのは
裕子と私である。
裕子にもベルトにロープを通しながら
「慎重に、みんなのやったように、飛べない時は沢に入っても大丈夫だからね。ザイルは放すな。思いきって行くんだよ」と、言い聞かせた。
「やってみるね」
「頑張れよ!」
緊張気味に岩にあがった。対岸では、渡り終えたメンバーが、裕子を元気づけるように声を出してくれて、緊張も少し和らぐものがある、初めてのアルプスでこんな経験をさせようとは思ってもいなかったが、まわりに人がいてよかった。裕子は順調に渡っていったが、最後のところで飛べなかった。激流の中を歩こうとした。一瞬体が傾いた。首の近くまで水の中に体が吸い込まれた。「大丈夫か」と叫んだが、聞こえない。私はひやっとした、が対岸の若者が手を差し出して、無事に流れから出て渡り終えた。
最後私の番だ。ロープを巻いたまま、岩を飛んだ。最後の一飛び、届かなくて流れに落ちた。靴の底がツルっとすべった。一瞬体が宙に浮く感じがしたが、幸い浅いところだったので、自分で起き上がり、手をかりて激流を渡った。
滝谷沢を渉一る
濁流となって行く手を阻む滝谷はその黒い巖に悪魔を棲わす
一本のザイルに綴り徒渉する 襲いかかる濁流に全身を曝す
濁流を渡りおえれば雨弱まってほの明るさをます西の空
「ありがとう、ありがとう」
一人一人握手して、無事を喜んだ。
「お先にどうぞ、一息いれてから行きますから」と言って、他の人達と別れる。一様にみな私に礼を言ってくれた。ロープがとんだところで役に立ててよかった。裕子も安心したらしく落ち着いている。足が滑ったのだという。それでもレインウェアのお陰で大して濡れていないという。とりあえずよかった。「お先に、ありがとう」と言って、それぞれ下って行く。時計をみたら10時50分だった。40分位の時間の出来事だった。最初に飛んだ若い人は岐阜県の人で小学校の先生で、連れは奥さんだった。白出小屋まで一緒に歩いた。
雨しのぐ小屋の軒にて一服の煙草を吸えば空腹おぼえる
チピ沢にも橋はかかっていないが、水も少なくて簡単に徒渉することができた。もう難所はなくなった。
山の上は雲があるが、平地は晴れてきそうな気配になった。白出小屋で二人と別れ、休憩して裕子をほめてやった。「よくやったよ」と。ここからは白出のコルに直接登る道がある。奥穂高に直接出る道だ。林道を一時間歩いて穂高平の避難小屋に着く。
雨上がれば七月のなつかしき夏の太陽この身にあびる
天気も晴れてきたので、雨具を脱いで着替える。そして遅い昼食をとった。ここからまた林道をテコテコ歩いて午後3時前に新穂高温泉に到着。すぐにロープウェイに乗り、西穂高山荘に向かう。ぽつりぽつりと雨が降ってくる。一向に天気が回復する気配などない。
(西穂高山荘)
ロープウェイの駅は観光客が大勢いたが、天気が崩れてきて雨模様になった。西穂高山荘まで1時間半ほどである。西穂高ロの駅を出たのは3時45分だった。再び雨具を着て歩く。裕子の元気は新穂高までだったみたいで、一向に足が進まなくなってきた。無理もないと思う。はじめはストックを引っ張って歩かせたが、自由がきかないので、ロープを出して、「これで引いていくか」と聞くと、「そうして」と裕子も切なそうに言うので、先ほどのようにロープを裕子のベルトに結んで引き上げるようにして歩くはめになった。
「なんでこんな目にあわせるのだ、せっかく裕子と初めて山にきて、いい思いをさせたいと思っていたのに・・・」
「山の神よ、俺はなにかしたか、こんな仕打ちをすることはないだろう。いい加減にしてくれ!」
「早く小屋よでて来い。神様頼むよ、裕子はもうくたばってるんだ・・・」
「助けてくれたっているじゃないか。せめて雨くらい止ませてよ・・」
私は裕子に繋いだロープを引き寄せるように引っ張って歩きながら、ぶつぶつと山の神様に文句を言い続けた。早く裕子を休ませたい、ただそれだけだったが、相変わらず雨は降り続く。腰を下ろして休むこともできない。
「ほら頑張って、歩かなければ小屋に着かないよ。あと少しだから」
この時ばかりは必死の思いだった。周囲は展望もなく、薄暗くなってくる。裕子は口も効けないくらいよろよろ歩く。こんなところでロープで引っ張っているところなどみっともなくて他人には見せられない。
そんなことは言っていられない。そんなに急な道でもないが、裕子にとっては疲れがピ-クに来ているのがわかっている。でも歩かせなければいけない。
「なんでこんなに苦労させるんだ、いい加減にしてよ、神さま頼むよ」と泣き言と、恨み言をブヅブツ言い続ける。
霧雨の道なおつづき疲れはてた妻の顔きびしロープに引けば
樹林帯を歩きいい加減、小屋があってもいいと思えたころ、ひょっと小屋の前にでた。もう5時をすぎていた。山では遅い時間である。西穂高山荘までの時間は私にもとても長く感じられた。ブツブツ文句を言ったけど、
「ああ、よかった。やっと着いたよ。大丈夫かい、やれやれだ。」
「ここで今日はおしまいなの。」
「そうだよ、ここで泊まるからね。」
「よかった。」
小屋の入り口にザックを置くとヘタヘタと椅子に腰を下す。雨具を脱がせ、靴を脱がせて入り口の前のロビーに上がる。
「どこからきました。」と、六十過ぎのおやじさんがにこにこしながら尋ねてきた。
「いや、ロープウェイの駅からなんですけれど、今朝、槍ヶ岳の肩から回ってきたんです。途中滝谷の出合で苦労したもんだから。」
「今日は天気が悪いからね、新穂高から登り直してきたの。まあゆっくり休んでください。今日は混んでいないから」
小屋の主人の応対は優しかった。山荘はきれいな小屋であった。泊まりの手続きをする。二階の個室を用意してもらえた。槍の山荘では空いているのに番号順に詰めさせられて寝た。それに比べ西穂高山荘の宿は旅館みたいだ。夕食も美味い。
サービスがいいから何でも良い。残念ながら裕子は部屋に入るなり蒲団を被って夕食もとらないで寝てしまった。今日の大冒険は、昨日の雪渓の詰め以上に緊張したにちがいない。ゆっくり寝かせておくことにする。
「明日上高地に下るのですが、どこか温泉に入れませんか」と山荘の主人に聞いてみた。
「**温泉ホテルによって、ここで泊まったからと言えば入れてくれるよ。」と教えてくれたが、そのホテルには立ち寄れそうもない。
「この山荘はいいですね。人気あるでしょう。」と持ち上げる。
「いや、このごろの若い人はなに考えているんだか、先日電話があって、泊まれますかっていうから泊まれますよ、と言ったら、お風呂ありますか、って言うのよ、お風呂はありませんと言ったら、駐車場ありますかって聞くんだよ、何だと思ってるのかね」
と、守谷さんの嘆き節がでて、私もつられて大笑いしてしまった。とても人のよさそうな小柄だけれどがっしりとした体格の爺さんだ。ロビー風の談話室みたいなところで、時間をすごした。明日は西穂まで行けるかどうか、せめて独標まで登って見ようと考えていた。消灯の時間とともに裕子の寝息を聞きながら私も寝ついた。天気は回復していない。夜中風と雨の音がして眠れなかった。
さ霧深く夜におちて小屋の灯り白い闇に浮いている
7月16日 曇り
西地高山荘8:45 独標10:20-50 お花畑11:00-11:20 西穂高山荘12:10-45迷い沢 13:25 丸木14:30 上高地バスターミナル16:00 帝国ホテル16:10-17:10 松本 18:30
6時に起床。6時半朝食で裕子はすっかり回復していた。食事もよく食べた。今日は亀井さんたちと上 高地で落ち合う日である。午前中に西穂高往復してこようと思ったが、小屋でのんびりしてしまい、小屋の裏の急な道にとりついたのは、8時45分、天気は悪い。ガスっていて何もみえないのだ。|時間半ほど登って独標の山頂に着く。数人の登山者がいたが、視界はまったく効かない。あとは引き換えすしかない。独標の先に薄ぼんやりと西穂高の山頂が見えているが、今日はここまで。
霧の山うすぼんやりと岩峰のするどく見えて西穂高岳かも
寂しげに霧はれぬままの山うつろに濡れるコバイケイソウ
独標で娘を連れた中年の男性と出会った。名古屋のお医者さんだそうで、娘さんは高校生だという。今時父親についてくる娘さんとは殊勝なものだ。お父さんが羨ましいと話した。こういう親子を見るととても羨ましく思えてくる。独標の直下に、コバイケイソウのお花畑がひろがっていて、しばしそこでくつろぐ。一瞬上高地が眼下に見えた。赤い屋根があった。前穂高の稜線が黒く一瞬だけ見えた。すぐガスに隠されてしまう。名残りはつきないが下山する。
西穂高山荘で昼食をとって、いよいよ上高地へ向かう。上高地まで3時間かかった。この下りが私には堪えた。途中で膝が痛み出して、裕子の後を行く。ストックを使わないと膝を痛めると思った。上高地まで休むことなく下った。田代橋を渡れば、観光地の上高地だ。バスターミナルへ向かう。午後4時到着。向こうからKとんUさんが手を振りながら出迎えてくれた。駐車場は満杯であった。相変わらずバスターミナルは人で混雑している。
薄綿雲頂きにおいて西穂の峰傾く陽をうけ輝いている
(帰宅へ)
駐車場に止めた車に荷物を積み込む。取り合えす帝国ホテルで休息しようということで、ホテルへ。二人とも無事でなにより。帝国ホテルに入るのは初めてであったが広いロビーと落ち着いた雰囲気がいい。
テイルームでお茶にする。
二人もまた大変だったらしい。横尾山荘から涸沢に行く途中、やはり雪渓があり、Uさんが難渋したのだそうだ。涸沢も雪が残っていて、おまけに天気も悪く、写真を撮るどころではなかったようだ。当然といえばそうだが、槍ヶ岳と穂高で天気が違うわけがない。お誘いして生憎だったのは申し訳ないことをしたが、それでもそれなりに楽しんでもらったようだ。雪のことだけが私の念頭になかったのが、今回の大きな失敗だった。恐い思いをさせてしまったようで恐縮。
裕子も昨日のことを2人にに話している。裕子がすすんで体験を語ることなど珍こととなので、やはり相当印象深い出来事だったのにちがいない。一時間ほどゆっくりして、松本に向かう。松本ではお城の近くの蕎麦屋に入り、信州蕎麦を食べて夕食とした。8時に松本を出て、10時半に平和島の家に帰宅する。
念願の槍ヶ岳・穂高岳の縦走はできなかったけれど、二度とないような大冒険を裕子にさせた今回の山はいい思い出になるだろう。そしてこれが裕子と行く百名山のスタートとなった。来年は縦走を実現しよう。そう決めた。
翌年の冬に西穂高山荘が火災で全焼してしまった。二人の思い出の小屋が残念だが、新築されるだろうから、再び訪れてみたいと思う。
(1998年記)
http://www.youtube.com/user/tabioyaji30#p/a/u/1/EB6TMSz3Lg8
YouTube
この記事も山岳小説みたいで面白いです。
「若くて山なれた人」は、ひとつ間違えば大事故...
その人も若さからくる自信があったんでしょうね。
今、同じ場面に遭遇したらどうされます?
こんな経験でも奥様は音を上げなかった所が凄いですね。
写真は無いんですね。ちょっと残念というか、あったら興味深いです。
昔の話をお読みいただいて恐縮です。
でも印象的な出来事で、自分も妻も若かったんですよ
妻にとって最初のアルプスで、2度目の山でしたからね。
今ではこの滝谷の出会いも台風の影響で大きく様変わりしてしまっていますが、このときはこのようでした。
実際に写真を撮った人もいましたが、私はロープで確保していたので撮れませんでしたが、正直それどころではありませんでした
この若い人、たぶん今でもこういう人はいてくれるでしょう
たぶん同じことやるでしょうね・・・
立山、剣仙人池編もありますよ
あつかましく・・・
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