新穂高から黒部五郎、薬師岳(三俣山荘―雲ノ平経由を断念)


- GPS
- 56:00
- 距離
- 44.1km
- 登り
- 3,463m
- 下り
- 3,194m
コースタイム
- 山行
- 7:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:00
- 山行
- 10:00
- 休憩
- 0:50
- 合計
- 10:50
- 山行
- 6:25
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 6:55
天候 | 雨ー霧雨ー晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
コースタイム表示としては黒部五郎岳〜北ノ俣岳の時間表示は 折立〜薬師岳のピストンや双六小屋周りと比べるとシビアな設定に感じた。 特に赤木岳〜北ノ俣岳の30分表示は標準タイムとしては短すぎる時間設定のように感じる。 コース自体はよく整備されており危険箇所も殆ど無いが、五郎の肩から中俣乗越への下りに間違った踏み跡が存在することと、赤木岳〜北ノ俣岳周辺は尾根が広く霧が出た際にルートが見えにくい点は注意を要する。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
タオル
カメラ
|
---|---|
備考 | アイゼン |
感想
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初日の悪天は覚悟していたが2日目に天候回復との情報を信じ、新穂高より鷲羽乗越、雲ノ平経由での薬師岳、折立を目指した。
秩父沢の設計はだいぶ溶けており、崩れる恐れがあるため、下部を巻くルートになっていた。
弓折岳付近の雪渓は山小屋のスタッフが整備しており安全に通過可能。
三俣蓮華岳から三俣山荘への下りは双六からの巻き道合流後、山荘への下りで、雪渓をトラバースすると思われる箇所にステップ無く傾斜もキツく、夏山装備では通過不可(7/20朝)。表面が凍っていたため、通過にはアイゼンが必須と思われた。
黒部五郎小舎から三俣山荘への巻き道も検討したが事前情報どおり、雪渓に残雪多く通行不可だった。この時点で三俣経由で雲ノ平へ行くことを断念し、黒部五郎経由で太郎平へ抜ける方針へ転換した。
黒部五郎小舎〜黒部五郎岳は稜線、カールともに夏山装備で通過可能。
黒部五郎〜太郎平〜薬師岳も同様。
悪天の為、黒部五郎岳から太郎平まで延々、雨交じりの霧に吹かれ続けかなりシンドイ山行となった。
数日前の確認では夏山装備で歩けるとの山小屋情報だったが
雪渓を歩く可能性がある以上、軽アイゼンは用意すべきだった。
また、黒部五郎から太郎平までは長い距離の間、風を避ける箇所が殆ど無いため
悪天の際は通過を避けたい。
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改めて当時のことを思い返しながら、書こうと思った。
当初の予定では、新穂高から小池新道を登り1日目を双六小屋に泊まり、三俣から黒部源流を経由して「最後の秘境」、雲ノ平へ。そこから、薬師沢、太郎平を経て折立に下山する計画だった。
2015年、7月18日から20日までの海の日三連休を使い、最後の秘境と言われる雲ノ平を目指そうと考えていた。
テレビの天気予報は台風が日本列島に近づいていることを告げていた。
しかし7/17日に上陸、7/18日には勢力を弱め日本を抜ける……。
台風一過で好天に恵まれることが期待できるし、仮に悪天でも1日目だけだろう、そう踏んで新穂高行きの夜行バスに乗ったのだった。
早朝、新穂高温泉は雨だった。低く霧が立ち込め、小雨がしとしとと降っていた。
台風は日本海へと抜けたが、そのまま温帯低気圧に変わり居座っていた。
展望が殆ど無いなか左俣林道を歩き始めた。
この年は残雪が比較的多く、秩父沢は雪渓がたっぷりと残っており、その上を超えた。
鏡平も何も見えず、足早に通過した。弓折岳手前では小屋の人が雪渓をチェーンソーで切って整備をしていた。
特に何の問題もなく、そして展望もなく、双六小屋に到着した。
宿泊客はわずかで、この大型の小屋に20人もいなかったかもしれない。
夜、風雨が強まってきて、テント泊の人も結局小屋に避難してきた。
小屋に打ち付ける風の音を聴きながら、他の泊まり客と話したところによると、どうやら台風は日本海で居座り、湿気と風が流れ込んできているということだった。
2日目から晴天の山歩きというアテが早くも外れつつあった。
翌日、炊事場で火器で朝飯を作る。
泊まる人が少なかったこともあり、1泊ながら挨拶と世間話をするような関係になっていた。槍ヶ岳へ向かう人、三俣山荘から鷲羽や水晶、烏帽子方面を目指す人、雲ノ平を目指す人、周遊して新穂高に降りる人……色々だったと思う。
ルート上の雪渓はいずれも数日前に切られ裏銀座縦走路は通行にアイゼンはいらないという話だった。
ただ、双六への直登は残雪が多く、巻き道も残雪があり、中道を使ってほしいとの話だった。
したがって双六岳はパスして三俣蓮華岳へ向かうこととなる。
三俣蓮華岳まではスムーズに着く。三俣峠へと降りるが、そこから先が道がない。
雪渓をおそらくトラバースするのだが、ベンガラもナク、踏み跡も判然としないのだった。
三俣峠付近には先に進めない人が次第に溜まりつつあった。
雪渓脇を降りれば山荘に着くのでは?という声も出る。
三俣山荘直上には三俣蓮華岳からの雪渓があり、それが山荘の水源でもある。
しかし山荘直上の雪渓ルートは、こんなにも急だっただろうか……。
そこで偵察に雪渓脇の岩稜を恐る恐る下るが、明らかに土が柔らかく、道だったところではない感触。そして途中で岩稜は途切れ周囲が全て雪渓となった。
斜度を見る限りアイゼン、ピッケルが無いと危なく、しかもこの下が三俣山荘とは限らない。
結局道が分からずに引き返し、そこにいた人の多くは黒部五郎小舎を目指すか、双六に引き返すことになった。五郎から三俣の巻き道も雪で通れず、当時はGPSアプリも今のようには無く、三俣へ確実に行く手段がなかったのである。
後で聞くに、三俣峠から三俣山荘は残雪期、迷いやすいらしくベンガラ跡を追うこととある。降り続いた雨で足跡もベンガラも流されてしまったのではないかと思っている。あの雪渓を降った先が三俣山荘なのか、樅沢だったのかは、再訪したいまも結局分かっていない。
黒部五郎小舎へ進むと天気は幾分落ち着き、霧雨も止み、遠くには青空も見えた。
小舎前でガス機器を使い昼を取り五郎の肩を目指す。
しかし、黒部五郎は正午をすぎるとガスが湧く山。
みるみる間にカールは霧で覆われていく。頂上についたときの視界は10mも無いほどになった。
ここから、長大な西銀座コースを歩いて太郎平を目指す。
頂上にはそれなりに人がおり、黒部五郎小舎に行く人、双六小屋に行く人、様々だったが、太郎平を目指す人は少ない。
それもそうだ、太郎までは4時間の長丁場、正午を回って目指すには正直遠い。
しかし戻ったところで双六から下山か、笠か槍へ行くほかない。そして私はそのどちらも行ったことがあった。であればと太郎を目指したのであった。
視界は利かず、ただ霧雨の中をひたすらに歩く。
広大な尾根を時々現れるペンキやケルンを目印に道を確かめながら歩く。こうした広大な尾根は悪天候時に道迷いが恐ろしい。
さらに風を避ける場所もない。
遅い時間もあって、人の通行は殆どない、ただ霧の中をいく。
赤木岳への登りで単独行の女性を一人追い抜く。追い越しざまに挨拶したが、薄い反応しか返ってこない。その登山者は斜面をゆっくりゆっくりと登っていた。
そのまま追い抜いてきたが、赤木岳の山頂で急に不安になる。
あの歩みでは、どう考えても日没までに太郎平へは着けないだろう。
そして、この悪天と、何もない吹きさらしの尾根ではビバークも難しい。
そもそも、反応が虚ろというのが危ない。
放っておけば高い確率で遭難、それも最悪の形となる可能性が高いことが、後になって怖くなってきたのだ。
そこで赤木岳の頂上で20分ほど時間を潰していると件の登山者が先程よりはしっかりとした足取りで登ってきた。
「何も食べてなかったことに気づき、食べたら足が動くようになった」
いわゆるシャリバテというやつで身体のブドウ糖が切れて動けなくなってしまう、そして糖を燃やして体温を維持することもできず低体温症になってしまう、その入り口だったのだろう。
そこに後ろから初老の単独行登山者が追いついた。こちらは元気そうで折立から太郎に上がっての黒部五郎のピストンで戻ってきたところだという。
時間も遅く、天候も悪い。それぞれ1人で歩くより3人が良いと、太郎まで急遽のパーティを組んで一緒に行くことにした。
そこからは3人で歩みを進め、北ノ俣を超え、太郎山には1640頃に着いた。
ようやくここで「助かった」と思うことができた。
翌日は2日間の天気が嘘のように、気持ちいい晴れに恵まれた。
女性は折立へと下山するとの話で、私と初老の男性は薬師岳へ向かった。
それぞれ単独で登って下りたのだが、偶然にも折立でまたも男性と再会し、なんと関東まで車に乗せていただいてしまったのであった。
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