記録ID: 7226554
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トレイルラン
中央アルプス
中央アルプス縦走🐟
2024年09月12日(木) [日帰り]


体力度
8
2〜3泊以上が適当
- GPS
- 10:59
- 距離
- 24.7km
- 登り
- 3,369m
- 下り
- 1,579m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 10:09
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 10:54
距離 24.7km
登り 3,369m
下り 1,579m
13:01
天候 | 曇り☁️のち晴れ☀️ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
[ロープウェイ&バス]C日程(片道2,200円/大人1人) |
コース状況/ 危険箇所等 |
・池山尾根の痩せ尾根での滑落注意 ・熊沢岳~大滝山の区間は思ったより足場が悪い |
その他周辺情報 | [温泉]こまくさの湯(700円/大人1人) https://maps.app.goo.gl/xfbHioBTJKTMfbz96 [ご飯]明治亭 駒ヶ根本店 https://maps.app.goo.gl/WNA39QMqjxtr9GE88 |
写真
池山登山口。ここまで車で入れなくなったので、空木が遠くなったと知人が言っていた
https://www.city.komagane.nagano.jp/gyosei/sangyo_business_kanko/kanko/tozanjoho/4108.html
https://www.city.komagane.nagano.jp/gyosei/sangyo_business_kanko/kanko/tozanjoho/4108.html
空木岳から標高差350mの激降り。木曽殿山荘と東川岳(百高山)
[木曽殿越]
・空木岳と東川岳の間の標高2497mの鞍部
・平安時代の1180年(治承4年)に、武将木曾義仲が越えたという伝説あり
・コル近くに「木曽殿の力水(義仲の力水)」と呼ばれる水場→干天時には涸れる
[木曽殿山荘]
宿泊料金 ※税込金額です。
素泊まり : \7,000
1泊夕食のみ :\10,000
1泊朝食のみ : \9,000
1泊2食 :\12,000
弁当(要予約): \2,000
[木曽殿越]
・空木岳と東川岳の間の標高2497mの鞍部
・平安時代の1180年(治承4年)に、武将木曾義仲が越えたという伝説あり
・コル近くに「木曽殿の力水(義仲の力水)」と呼ばれる水場→干天時には涸れる
[木曽殿山荘]
宿泊料金 ※税込金額です。
素泊まり : \7,000
1泊夕食のみ :\10,000
1泊朝食のみ : \9,000
1泊2食 :\12,000
弁当(要予約): \2,000
東川岳山頂より
[東川岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E5%B2%B3
山名は木曽川の支流で伊奈川の支流に東川と云う川があり因んで付いている。東川岳の東西は対処的に違い東側(伊那側は岩陵帯)、西側(木曽側は這松帯)となっている。
木曽殿越
東川岳と南側の空木岳の鞍部(コル)に「木曽殿越」と云う地名があり、平安時代の治承4年(1181年)に木曽義仲は中央アルプスを超え平家方の笠原平五頼直を破たっとの伝承がある。 木曽殿越から木曽側に少し下った処に木曽殿の力水(義仲の力水)と云われる水場がある。
[東川岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%B7%9D%E5%B2%B3
山名は木曽川の支流で伊奈川の支流に東川と云う川があり因んで付いている。東川岳の東西は対処的に違い東側(伊那側は岩陵帯)、西側(木曽側は這松帯)となっている。
木曽殿越
東川岳と南側の空木岳の鞍部(コル)に「木曽殿越」と云う地名があり、平安時代の治承4年(1181年)に木曽義仲は中央アルプスを超え平家方の笠原平五頼直を破たっとの伝承がある。 木曽殿越から木曽側に少し下った処に木曽殿の力水(義仲の力水)と云われる水場がある。
熊沢岳山頂。ここから先、伊那側にカールっぽい地形があるな〜とは思ったけど、やっぱりカールだったのネ→池の平カール
[熊沢岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E5%B2%B3
中央アルプス主稜線の登山道を縦走する際に通過する場合が多い。これを含む周囲の五つのピークを熊沢五峰と呼ぶことがある。山頂には大きな花崗岩の尖った岩があるが、三角点はない。東側斜面は、天竜川の支流の太田切川の本谷源流となっていて、池の平カールがある。山頂付近は、森林限界のハイマツ帯で、高山植物が見られる。
南北に細長いピークを持ち北西と西側、南西と木曽側に張り出した尾根がどっしりと三ノ沢岳から観ると空木岳・赤梛岳・南駒ヶ岳と重なり熊澤岳の存在感を感ずる。
古くは西熊澤岳(熊沢岳)、檜王岳(檜尾岳)、濁澤岳(濁沢大峰)を総称して「前駒ヶ岳」と云った。
[熊沢岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2%E5%B2%B3
中央アルプス主稜線の登山道を縦走する際に通過する場合が多い。これを含む周囲の五つのピークを熊沢五峰と呼ぶことがある。山頂には大きな花崗岩の尖った岩があるが、三角点はない。東側斜面は、天竜川の支流の太田切川の本谷源流となっていて、池の平カールがある。山頂付近は、森林限界のハイマツ帯で、高山植物が見られる。
南北に細長いピークを持ち北西と西側、南西と木曽側に張り出した尾根がどっしりと三ノ沢岳から観ると空木岳・赤梛岳・南駒ヶ岳と重なり熊澤岳の存在感を感ずる。
古くは西熊澤岳(熊沢岳)、檜王岳(檜尾岳)、濁澤岳(濁沢大峰)を総称して「前駒ヶ岳」と云った。
檜尾岳。右奥には立地抜群の檜尾小屋。小屋は2022年に有人化し、名称も「檜尾避難小屋→檜尾小屋」に改称されたらしい。
[檜尾岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%9C%E5%B0%BE%E5%B2%B3
木曽川の支流の伊奈川及び天竜川の支流の太田切川の源流となっている。古くは「檜尾澤岳」・「檜王岳」とも云われた。 山体は木曾駒花崗岩の中粒花崗閃緑岩で構成され、周辺では周氷河地形と南側では線状凹地の二重山稜の地形が見られる[3]。山頂付近は、森林限界のハイマツ帯で、高山植物が見られる。山頂には、三等三角点(点名が「梯子樽」)がある[1]。
[檜尾岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%9C%E5%B0%BE%E5%B2%B3
木曽川の支流の伊奈川及び天竜川の支流の太田切川の源流となっている。古くは「檜尾澤岳」・「檜王岳」とも云われた。 山体は木曾駒花崗岩の中粒花崗閃緑岩で構成され、周辺では周氷河地形と南側では線状凹地の二重山稜の地形が見られる[3]。山頂付近は、森林限界のハイマツ帯で、高山植物が見られる。山頂には、三等三角点(点名が「梯子樽」)がある[1]。
三ノ沢岳。今回は行けなかった💦摺鉢窪カールに次ぐ高山植物の群生地らしい。 ※現在、摺鉢窪カールは百間ナギ崩落のため立ち入り禁止。
[三ノ沢岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%8E%E6%B2%A2%E5%B2%B3
麓の木曽谷の上松町[5]、木曽駒ヶ岳や宝剣岳などから、端正な三角錐のその美しい山容を眺めることができる[6]。木曽川の支流の滑川及び伊奈川に挟まれた稜線上の山で、それぞれの川の支流の三ノ沢の源流となっている。この三ノ沢の源頭部の山であることが山名の由来である[5][7]。山頂には、三等三角点(点名「三ノ沢」[1])があり、大きな岩が乱立する展望台となっている。
三ノ沢岳の西側に続く山脈は中三ノ沢岳を経て奇岩の萩原沢岳山塊(蕎麦粒岳)で尾根が北西の風越山山系と南西の糸瀬山山系に分かれ共に木曽川迄続く。三ノ沢岳の西側には登山道はない。
[三ノ沢岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%8E%E6%B2%A2%E5%B2%B3
麓の木曽谷の上松町[5]、木曽駒ヶ岳や宝剣岳などから、端正な三角錐のその美しい山容を眺めることができる[6]。木曽川の支流の滑川及び伊奈川に挟まれた稜線上の山で、それぞれの川の支流の三ノ沢の源流となっている。この三ノ沢の源頭部の山であることが山名の由来である[5][7]。山頂には、三等三角点(点名「三ノ沢」[1])があり、大きな岩が乱立する展望台となっている。
三ノ沢岳の西側に続く山脈は中三ノ沢岳を経て奇岩の萩原沢岳山塊(蕎麦粒岳)で尾根が北西の風越山山系と南西の糸瀬山山系に分かれ共に木曽川迄続く。三ノ沢岳の西側には登山道はない。
宝剣岳山頂〜。空木岳からここまで5時間。長かった〜。
[宝剣岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%89%A3%E5%B2%B3
古くから信仰登山の対象であった。1795年(寛政7年)に麓の宮田村の小町谷文五郎と唐木五郎右衛門が山頂に不動尊を奉納した[2]。
天保八年の記録「錫杖嶽(宝剣岳)の東に少し平らか成草原あり、是駒飼原(千畳敷)といふとぞ、かかる厳窟の間に草原も又珍敷見事成」
由来
山名は、山岳信仰によるものとされている。江戸時代後期には、絵図で「錫杖嶽」と書かれ、その後「剣ヶ峰」とも呼ばれていた[3]。1811年(文化8年)に、下諏訪の寂本法師が山頂に重さ7貫目(約26kg)の錫杖を奉納したことから「錫杖岳」とも呼ばれる[2][4]。明治時代の地図には『寶剱嶽』の文字が使われている。 名称は時代と共に変化をする。剱ヶ崟(剣ヶ峰)、錫杖嶽(錫杖ヶ岳)、剣ヶ峰、寶剱嶽(宝剣岳)
[宝剣岳]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9D%E5%89%A3%E5%B2%B3
古くから信仰登山の対象であった。1795年(寛政7年)に麓の宮田村の小町谷文五郎と唐木五郎右衛門が山頂に不動尊を奉納した[2]。
天保八年の記録「錫杖嶽(宝剣岳)の東に少し平らか成草原あり、是駒飼原(千畳敷)といふとぞ、かかる厳窟の間に草原も又珍敷見事成」
由来
山名は、山岳信仰によるものとされている。江戸時代後期には、絵図で「錫杖嶽」と書かれ、その後「剣ヶ峰」とも呼ばれていた[3]。1811年(文化8年)に、下諏訪の寂本法師が山頂に重さ7貫目(約26kg)の錫杖を奉納したことから「錫杖岳」とも呼ばれる[2][4]。明治時代の地図には『寶剱嶽』の文字が使われている。 名称は時代と共に変化をする。剱ヶ崟(剣ヶ峰)、錫杖嶽(錫杖ヶ岳)、剣ヶ峰、寶剱嶽(宝剣岳)
撮影機器:
装備
個人装備 |
防寒着
レインウェア
救急セット
ツェルト
水
行動食
モバイルバッテリー
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感想
前から行きたいと思ってた中央アルプス縦走。なかなかやる気が起きず敬遠していましたがついに‼️
前日は夜遅くまで雨が降っており、山行日の午後も雷雨のリスク…。当初は0時出発で駆け抜ける予定でしたが、0時はまだ雨が降っていたので2時スタートに変更。ちゃんと戻って来れるのか不安もありましたが、無事に下山。コイキングの帽子について、いろんな人に声かけてもらえました🤣
水は、ダカラ600ml4本持参。池山避難小屋までに1本消費し、水汲み。→実質、3Lきっちり消費。
三ノ沢岳に行けなかったのは悔しいけど、まぁいいか。
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