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紅葉の見頃になっても、残念だが山に登る体力には未だ自信がない。
細々と、身の回りの本と古雑誌を整理していたら、ロベール・ドアノー(Robert Doisneau)の写真集として編纂された古いカレンダーが出て来た。
月捲りなので12枚の写真が掲載されている。
表紙と8月の写真は、1950年に撮影されて話題になった、『パリ市庁舎前のキス』である(画像)。
東京都写真美術館の一階外壁に大きく掲げられて御馴染の一枚だが、後に演出写真だったことが判明している。
その事実は兎も角として、実に良い写真である。
この写真が撮影された1950年、日本は未だ敗戦後の混乱が残り、ainakaren少年は山登りの魅力も知らず、勉強もせずに音楽ばかり聴いていた。
数少ない、ラジオの音楽番組を逃さず聴いた。
電蓄が普及する前であるから、手巻きゼンマイの蓄音機(チコンキと呼んだ)でクラシックからポピュラーまで、SPレコードを借りてきては聴き漁っていた。
現在、シャンソンの分野は下火のようだが、当時は エディツト・ピアフ(Edith Piaf)の歌う『ばら色の人生』(La Vie en rose)と1950年公開の『愛の讃歌』(Hymne a lamour)が大ヒットし、シャンソンが世界的に流行していた。
歌い手のピアフは、大戦中のレジスタンス運動家としても知られる。
占領下に人気歌手の立場を最大限に使い、ドイツ軍高級将校クラブと連合軍捕虜収容所に出入りして諜報活動をしていた。
終戦後、その事実が明らかになって彼女の名声は更に高まる。
もう、30年も前のことになるが、六本木の『ピギャール』というシャンソン・バーに通っていた頃がある。
シャンソン専門のカラオケ・バーであったが、店内にピアノが有って伴奏に使うのだが、壁には『演歌お断り』の張り紙も有った。
客にはピアノの弾き語りができるレベルの人も多く、自分も相客の伴奏で悪声を披露したことがあった。
一所懸命に憶えた La Vie en rose であったが、今にして思えば誠に恥ずかしく赤面の至りだ。
![](https://www.yamareco.com/uploads/smil3dbd4d75edb5e.gif)
![](https://www.yamareco.com/uploads/smil7eeafacc86ed084f521e9ab461823577.gif)
同じ頃、四谷にも『蟻ん子』というシャンソン専門のライブハウスがあった。
常連だった居酒屋Kの今は亡き女将に誘われ、彼女の甥子さんのシャンソン・リサイタルを何度か聴きに行った。
日本では日本語で歌われることの多いシャンソンだが、その歌詩は原典とは全くの別物である。
ワンフレーズに単語が一つか二つの日本語歌詩に対し、3〜6単語が入る程に内容の濃い原典を、そのまま翻訳すれば歌える曲にならない。
日本語のシャンソンを聴くなら、先ず原典の翻訳詩を読んで其の情景を知り、声とメロディを楽器のように叙情的に聴くと味わい深いだろうか。
La Vie en rose〜
多分、人が世を去るその刹那に、そう想い回せば、それが『ばら色の人生』なのだろう。ainakaren
*Hymne a lamour
*Robert Doisneau http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%BC
*Edith Piaf http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%95
ainakaren さま
まいどです(と言ってもそんなに頻繁ではないですが
結婚する前(もう30年以上でしょうか)よく通ったシャンソンスナックがありました。
新宿3丁目、厚生年金会館の前あたりのビルの地下。
戸川昌子さんなんかも歌ってました。
シャンパーニュ
シャンソンの話題なつかしく思い出して、もう無いだろうなと検索したらまだ健在
ムッシュ矢田部さんは亡くなってますが、音大の声楽家の訓練の場。
http://www.champagne-live.com/index.htm
毎回ステージ始まる前、初めてのお客さんの名前を入れた一曲がぼのぼのした感じで好きでした。
77ms1ksbさん、こんばんは。
コメント深謝です。
シャンソン専門のスナック、未だ在るのですね。
情報有難う御座います。
『蟻ん子』や『ピギャール』も在るかも知れませんね。
検索して見ましょう。
日本のシャンソン界は、大御所は神棚に上げて、若い人には上手な人も居て、今は下火でも根は深いですね。
でも、やはり旧き好き時代の歌であり、現代のラップ攻勢には敵いません。
それを見ても昭和は既に遠くなっていることを感じます。
さて〜『ばら色の人生』やってますか?
シャンソンは大人の味。
私はサッチモを聞くと安心します。
先日は別の方の日記がきっかけでスタイル・カウンシルを聞きました。
https://www.youtube.com/watch?v=uAdal53PKmk
shiremonoさん、こんばんは。
コメント深謝です。
実は少年の頃、ラヴィアンローズを薔薇の名前と思い込んでいた時期が有りました。
後年、サッチモのラビアンローズを聴いても確かに薔薇の花は思い浮かびませんね。
嗄れ声のラヴィアンローズはジャズソングとしての傑作ですね。
私も大好きです。
*https://www.youtube.com/watch?v=8IJzYAda1wA
私は少年時代に大人の味を味わっていたのですね。
それも『ばら色の人生』の欠片かも〜
確かにエディツト・ピアフの唄は凄いですね、シャンソン自体興味のない私ですが、それでも歌い方の迫力には圧倒されました、今では彼女のシャンソンは我がパソコンに入っています、
ainakarenさんの好きなジャズやシャンソンの日本で輝いていたのは、間違いがなければ戦後から30年代初めにかけて一番流れていたと思いますが、昔亡くなった姉がラジオから流れいたのを良く聴いていましたし、私が中学生の頃にジャズやシャンソンの良いとことを聞かされていましたが、歌手や曲など知らないので覚えていませんでしたよ、
シャンソンは夜家でお酒を飲みながら静かに聴いているのが一番ですね、
naiden46さん、こんにちは。
コメント深謝です。
昭和30年迄にはマジックアイ付きの5球スーパーラジオとレコードプレーヤー、そして電蓄が普及して音楽鑑賞が最も盛んな頃です。
この頃から労音活動も盛んになり、クラシックのライブも手軽に聴けるようになりました。
急速に盛んになったプレスリー、ビートルス、エレキバンドなどとは別にシャンソン系ポップスが分岐します。
昭和40年頃のシャンソン系ポップスの大流行曲が〜 https://www.youtube.com/watch?v=NaxNEw2n5ik です。
聞き覚えがあるでしょう?
またお邪魔しますね、シャンソンとは知らずにシルヴィー・バルタン最近良く聞いていますよ、コニー・フランシスやニール・セダカなどは私らの時代の唄ですから、この頃の歌は母国語と日本語の両方でレコードを出していましたね、
また日本の歌手も同じようにいろんな歌手が英語のを日本語で歌っていましたから、今の唄と違いこの頃のメロディーはいいですね、
naiden46さん
バルタンの歌はシャンソンというよりポピュラーソングなので、シャンソン系ポップスに分類されますね。
1964年リリースですから、昭和39年ですね。
私が所帯を持って3年後の頃です。
当時、家のテレビは白黒でした。
仕事が忙しくて余り音楽を聴く時間がありませんでした。
この頃主に聴いていたのは、LPのジャズとクラシックでしたね。ren
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