読了。
ヒマラヤで8,000m級の山々に挑んだ7つの記録です。
この人は登山家だけども、文章がうまいと思いました。
読みやすいけれど感情的になりすぎず、できるだけ正確に状況を書こうとしている。それでいて本人にしか書き得ないだろう細部の描写がしっかりと書き込まれていて。臨場感にあふれ、読みながらその場の状況を体験しているかのようです。
出発前に不安になったり落ち込んだりするシーンでは、うんうん、わかる、と同じような気持ちになり、死と隣り合わせのシーンでは身震いするような恐怖を味わっている気持ちになりました。
「登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。」
この一文に山野井泰史という人の山への向かい方、生き方が凝縮されていると思いました。
実際には生きて帰るためのあらゆる準備と努力をする、それは当然だけども”山で死んではいけない”とは言わず”僕に許された最高の贅沢かもしれない”と言うのが、誠実でかっこいい。
そう、「世の中では安全登山ばかりを叫ぶが、本当に死にたくないなら登らない方がよい」のです。
山野井泰史といえば、2021年にピオレドール生涯功労賞を受賞した、日本屈指のクライマー。
表舞台に出ることを好まず、自由に登るためにスポンサーをつけず自費で遠征する、ストイックで孤高のクライマーという印象の人。
あと私の中では、奥多摩で仙人のように暮らし、ランニング中にクマに襲われて大怪我をした人。
2022年に映画も公開され、機会があれば観たいと思っていたところ、友人が沢木耕太郎の『凍』を貸してくれました。
『凍』は『垂直の記憶』刊行の後、沢木耕太郎が本人に取材して書き上げたノンフィクションです。
吹雪や雪崩にあい、眼球すら凍って見えなくなる中、凍傷で手足の指の大部分を失いながらも、夫婦で生還するまでの壮絶な記録で、『垂直の記憶』では最終章「生還」にあたる部分になります。
これも読み始めたら引き込まれて一気に読了した。
ただ、ダウンウエアを羽毛服と書いたり、どうもしっくり来ないと感じる部分もありました。一般向けに書くとこうなるんでしょうか。私が紀行文(山行記録)を読み慣れているせいかな。
また『凍』の解説文では、妻の妙子氏の冷静沈着さを持ち上げるのに「女性だからか、歳が上だからか」などと書いていてうんざりしました。そんなのは妙子氏個人の資質の素晴らしさに決まってるだろうに、なぜいちいち女性だの歳上だのと、ラベルを貼らないと飲み込めないんだろう。
山野井夫妻のエピソードでは、夫婦でどちらかが死んだら木を植えることを約束している、というのが素敵でした。
泰史氏が先なら、泰史氏が好きなクヌギの木を。カブトムシやクワガタが来るように。ふたりとも自然の生き物が好きなので。妙子氏が先ならカキの木を。実って食べられるように。
ミニマムで愛に満ちた墓碑になることでしょう。いいなあ、自分もそんな風にしてみたい…。
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