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私は住んだことのないここに本籍があるのは、一昨年亡くなった母の実家があった所だから。母はこの地に大正15年に生まれている。大学に入るために神奈川から北海道に来た父が、結婚に際してここに本籍を移したようだ。
20年ほど前だったか母が一時、自分の生まれ育った昭和初期の桑園の地図を作るのだと言って、同窓会や知り合いに取材したりして何だか熱心にやっていた。母らしく(私にも受け継がれた資質)これは結局完成しなかったようだが、つくりかけのものや資料が残っていたので、これを参考にして現地に行ってみた。
近くにはまだ平屋の家も残っていたが、母の家があったと思われるところは駐車場になっていた。子供の頃はこのあたりで遊んだのだろうな。
この母の生家は両親のアルバムには出てくるが、私は行った記憶がない。私が生まれる前には既になかったのかもしれない。父ももう憶えていない。
そう言えば、祖父(母の父)は戦時中に亡くなったので勿論会ったことはないが、私が幼い頃に生きていたはずの祖母(母の母)についての記憶もほとんど無い。親戚一同で一緒に写った写真がある程度で、父方の祖父とは大違い。その頃、日本にいなかったこともあるが、それ以外にも何か事情があったのか、どんな会話が交わされたのか、今となっては想像するしかない。
本籍って、なんか自分のルーツのような感じがします。
ウチの本籍は中央区大通です。
生まれ育った家は、取り壊す前に母と兄と一緒に見に行きました。(父は亡くなっていました)
ものすごく大きな家だと思っていたのに、
余りにも小さくてビックリして、なんか可笑しかったです。
5歳ぐらいまでしか住んでいなかったけど、兄や母にとっては、思い出深い家だったようです。
札幌の街もすっかり変わってしまいましたね。
母が嫁いだ頃、大通りの家から円山のすそ野が見えたと
言ってたのを思い出しました。
kennさんこんにちは
おお、すぐ近くの北五条西十四丁目の「木の実」というぼろい居酒屋、学生時代に女子寮の女友達が交代でバイトしていた店で、今も健在。時々札幌で集まる時行く店です。関係ないですけど。
お母様、大正15年生まれなら、北大山岳部と同い年です。植物園の近くで、一九二六年はすごく良い眺めだったことでしょうね。図では市電の記号があるのでしょうか。この図はいつの時代のものでしょうね。
僕も父母の生まれ故郷を元気なうちにと一緒に訪ねたことがあります。母は北部満洲の小さな鉄道駅のまち、満鉄の社宅が今も残っていました。父は京都壬生寺の新撰組屯所近く。駐車場になっていました。十年ほどまえ祖父が死んだときに聞いておけばよかったと思ったことがたくさんあったので、お年寄りで話がしっかりした人に会うとなんでも聞きたくなるくせがついています。
私も最近まで本籍地は親父の田舎でした、小学校1〜2年の頃迄は何回か行った記憶があり、
当時は子供心にすごい田舎だと思っていました、
書類がいる時は役場から配送してもらっていたのですが、何かで行ってみたくなり、住所を頼りに出かけましたよ、
すると、すぐ此処だとわかりました、多少は道路が良くなってはいましたが、風景は小さい時のままでしたよ、
もう40年以上離れていたのに私の記憶にはない人達が親父や私達の姉弟の事を昨日のように覚えていてくれていたのにはビックリ、
田舎と言っても成田の少し奥ですが交通の便が悪く、新しく越してくる人もいないんだと思い帰ってきました、
今は何かの時にはと思い、現在の住所に本籍を移動しました、
(余談ですが本籍地は皇居だろうと、刑務所でもイイらしいように聞いた記憶があります)
marikkaさん
大通ですか。何丁目でしょう?かなり街中の方だったのでしょうか?
今度は小学1年のときに半年あまり借家住まいしていた麻生や、生まれたときに住んでいた北24条を訪ねて写真を撮ってこようかな、とも思っています。
円山といえば、この間も書いたのですが、頂上からはテレビ塔を捜すのがかなり至難の業になっています。ビルの谷間に埋もれてしまって。
yoneyamaさん
http://r.tabelog.com/hokkaido/A0101/A010105/1018027/
ああ、この店、北5条通を走ると必ず目につきますよね。ホントにぼろい。今度行ってみようかな。
この地図は昭和初期のもののようですが、北5条の市電はオリンピック前まであったはず。そこから桑園駅に延びる盲腸線はそれよりかなり前に廃線になったようですが。
私の父は小学校、旧制中学校は神奈川ですが、祖父が海軍だったために、それまであちこち移ったみたいで、生まれは長崎です。この地に対する思い入れはないようですが(その後住んだ群馬県太田〈中島飛行機=現・富士重工があった〉は十数年前に訪ねていたようですが)、母方の祖父が長崎の西彼杵郡三重村(現在は長崎市)出身のようですし、我が家の墓は、もはや誰も親戚のいない佐賀の東多久というところにあるようなので、一度(できれば父も一緒に)併せて行ってみるかと思っています。
naiden46さん
はじめまして。何十年ぶりの場所を再訪するのは不思議な感覚ですよね。何だか脳みそがピクピクするような。全然変わらない、昔のまま、ということもあれば、すっかり変わってしまって面影もない、という場合もありますし、端から憶えていない、ということもありますが...。
こちらが憶えていないのに、向こうがこちらのことを憶えてくれているというのも名状しがたい感覚です。うれしいような...。
これからは、そんな出会いを期待して、いろんなところを再訪してみたいと思います。
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