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それは、講演者の一人に、サルトロカンリの登頂者でチョゴリザの隊員だった高村奉樹(泰雄)氏のお名前を見つけたからだった。高村氏には遥か以前にお会いしたことがあり、私が登山に興味を抱くきっかけの一つが高村氏の存在だったのだ。
お会いした(と言っても、こちらは小学校に上がる前のほんの子供だったのだが)のは48年前(ということは東京オリンピックの頃)、フィリピンでのことだった。当時、父の仕事の関係で私はフィリピンに住んでいたのだが、その父が勤める稲作研究所に、サルトロカンリに登頂して間もない高村氏が赴任?してこられたのだ。
細かいことは憶えていないが、高村氏がヒマラヤの高い山に登ってきた凄い人だということは、4,5歳の私も理解しており(ヒマラヤというものを知ったのはそのときかもしれないが)、サルトロカンリについてはだいぶ後になって知ったが、チョゴリザという名前は、当時も聞いていた気がする。また、我が家にはかつて「Himalayan」という文字が入った青いナップザックがあったのだが、私はそれを高村氏から頂いたものと記憶していた。そういう訳で、高村氏は私の中でヒーローのような存在になり、ヒマラヤの高峰の初登頂者と会ったことがあるというのは、私の自慢になっていった。ただ会ったというだけのことなのだが(チョゴリザの登頂記は高校の頃に読んだ)。
そして一昨日、高村氏は講演の中でフィリピンのことや父の話もされ、感慨深いものがあった。そこで講演後、思い切って名乗ってお話をしてみた。私のことなど忘れているだろうと思ったら、名前までよく憶えておられ、大変懐かしがっていただいて感激した。そして、お会いした当時、父母が遠出で留守にするときに私の子守をさせられたことや、私が腰におもちゃの刀を差していたこと、父との仕事にまつわる話や酒を飲んだ話、父母とフィリピンの山に登った話など、私の忘れてしまったことや知らなかったことなど、いろいろと話してくださった。京都へ帰らなければならないということで、あまり時間はなかったが、会場を移しての交流会でも、会員の方々をさしおいて色々お話をさせていただき恐縮した。
それにしても、こんなに久しぶりの再会というのは、私にとって初めての体験で、不思議な感覚だった。今の私が、当時の高村氏はもちろんのこと、当時の父よりもはるかに歳を取ってしまっていることに愕然たる思いがした。
家に帰って古いアルバムをひっくり返してみたら、高村氏と一緒に写った写真があった。その写真の私は警察のような帽子をかぶり、腰には刀を差していた。
こんばんは
そんな小さい時から山と縁があったんですね。
kennさんが山に登られているのもうなずけます。
良い再会をされてお幸せですね。
当時のヒマラヤ登頂者は今と違って日本代表チームですからね。でも僕も5歳くらいのこどもに「大きくなったらおじさんがヒマラヤに連れて行ってやる」と勧誘しまくっています。5歳のこどもが何考えているのか今の僕にはもう本当の事は分からなくなってしまったけれど、その子が40年経ってどう思い出すかはわかります。
フィリピンでの時間は両者にとって忘れ難い特別な時間だったということですね。5歳のこどもにも手抜き無しでつき合わなければ、と思います。
うちにサルトロカンリとチョゴリザの本ありますから読んでみます。
たぶん私も小さい頃、覚えてないけど登山ブームとか、海外登山華やか?な頃、繰り返し報道があったのだと思います。
考えてみたら、これまで、いろんな人と実際に出会ったり、人づてに(人の話の中で)出会ったり、本の中で出会ったりして、影響を受けてきたわけですが、結局はそれを自分のものにできていないというか、単なる思い出にしかなっていないな、という忸怩たる思いがあります。
今日、古本市で桑原武夫「チョゴリザ登頂」を見つけましたが、どこかにあるはずだし、それほど安くはなかったので買いませんでした。
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