今日ではありませんでした(-_-;)
(写真1)
せっかく来たのだから境内を散策
雨に濡れてしっとり
お花が綺麗♫
雨も悪くありません。
妙法院
(東山区妙法院前側町)
本尊 普賢菩薩
山号は南叡山。
永暦元年(一一六〇)に後白河上皇が新熊野神社を勧請する時に西塔本覚院の昌雲が別棟となって開創。鎌倉時代初期に尊性法親王(後高倉院の皇子)が入寺して以来、三千院や青蓮院とともに天台宗三門跡の一つに数えられた。その後の兵火で焼失したが、豊臣秀吉が方広寺を建立する時に当寺を経堂とし、その寄進を受けて復興。庫裏(国宝)は桃山時代の造営で、大棟上の他、左側屋根上にも小棟を出して煙出しを設けるなど、変化に富んだ外観を持つ。近世の庫裏が居住機能を併せ持つのに対し、庫裏本来の調菜喫飯の場のみに限定されている。他に江戸時代初期の建造物で大書院、大玄関(ともに重要文化財)がある。本尊の普賢菩薩騎象像(重要文化財)をはじめ、桃山時代の障壁画(重要文化財)、ポルトガル領インド副王が豊臣秀吉宛に書いた「ポルトガル国印度副王信書」(国宝)など数多くの寺宝がある。
(京都検定テキスト)
国宝の庫裏は見学会で工事中の建物を二度上がったことがあります。
まだ工事中です。
妙法院 五月会[文化財特別公開、講演会、国宝庫裏保存修理工事現場見学会]
https://www.yamareco.com/modules/diary/22881-detail-299699
近くの智積院へも行ってみる
(写真2,3)
智積院
(東山区東大路通七条下ル東瓦町)
本尊 大日如来
真言宗智山派の総本山。山号は五百佛山。慶長五年(一六〇〇)、徳川家康が紀州根来寺(和歌山県岩出市)の智積院玄宥僧正に根来寺再興の許可を与え、その正式名にちなんで五百佛山根来寺智積院という坊舎講堂を建立したことに始まる。その地は豊国社の坊舎の一部と、豊臣秀吉が長男の棄丸(鶴松)を供養するために建てた祥雲禅寺であった。同十八年には幕府から智積院法度が下され、豊臣氏減亡後の元和元年(一六一五)には祥雲禅寺の建物・障壁画、豊国社の堂舎・梵鐘を受け継いだ。のちに末寺の 学生僧の教学専門学寮として繁栄したが、数度の火災にあい、幕末には学寮が土佐藩屯所になるなどして講学も一時衰えた。書院前の庭園は国の名勝に指 定されており、延宝二年(一六七四)、祥雲禅寺時代の庭を修築したもので、中国の廬山をかたどったと伝えられる。また、「桜楓図」(国宝)は、長谷川等伯筆の楓図と、長男の久蔵が描いたとされる桜図で、祥雲禅寺客殿に描かれていた障壁画。智積院に引き継がれ、往時の荘厳を見ることができる。
(京都検定テキスト)
今年も6月の青葉まつり、「桜楓図」を見るのが楽しみ♫
2023年 智積院 青葉まつり
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5605034.html
その他の写真
https://blog.goo.ne.jp/corpus2247/e/970490c5d7025a19757cc5f80fa431d4
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