ほくほく線で十日町までは、比較的近い。西口から六七分で博物館に出る。何回か訪問したことがあるが前回はいつだったか記憶がはっきりしない。前回も新しい博物館に入った記憶がある。
企画展は十日町や隣の津南町の河岸段丘に多い縄文時代の始まりの頃、世界的に見ると完新世直前のヤンガードライアスと呼ばれる寒の戻りともいう寒い時期と温暖な時期が行きつ戻りつする不安定な気候の時期だ。
縄文時代草創期と言えば無文土器や隆起線文土器などが出現するがこの時代を旧石器時代の終末とするのか縄文時代の始まりとするのかはたまた過渡期、移行期と考えるのか考古学者の見解は別れている。石器を見るとまだ縄文石器とはやや異なる様子が見て取れる。
今回の展示では、十日町や津南町の土器や石器の他に東京、神奈川などの同時期の土器なども並んでいる。あきる野市の前田耕地遺跡や上野遺跡第一、第二地点出土の隆線文土器等多数の遺跡の土器や石器が並ぶ。印象的だったのは、第一地点の土器が美しく素晴らしかったこと。他のほとんどが破片が多いのにこの土器他数点完形に復元されたものが出ていた。また十日町の田沢遺跡や壬遺跡の土器片も印象的、無論本木や卯木、室谷、小瀬が沢などの有名どころも出ていて、この時期の土器や石器を比較して見ることのできる貴重な機会だった。比較として、この時期の直前と思われる神子柴型尖頭器ま展示され、これらを少し小型にした木葉形尖頭器が各遺跡から出土し、また小瀬が沢などに見られる細身の尖頭器も多い。
西日本、南九州に多い磨石などはみられず、矢柄を磨いた跡のある研磨器がいくつかでていた。
新潟県域、十日町、津南町と関東や長野県域の草創期の土器や石器類をまとめて見て比較のできる希な機会であった。その後十日町駅に戻り、次のほくほく線で六日町経由で長岡に出る。県立歴史博物館までのバスが一時間後なので街を散歩して長岡の空襲に関する展示館に入る。学生相手に職員のかたが当時の空襲とその後の町の復興について熱く語っていた。その後山本五十六記念館に入り見学、この施設は前を通ったことはあったが見学は初めてで、アメリカなど海外視察をして米国の国力や海外事情をよく知る視野の広い山本が対米戦争に賛同しないまま、その指揮を執る運命にさらされ散っていった姿を知ることができた。
大手口バス停付近に戻り、コーヒーをのみバスを待つ。博物館についたら何とお目当ての信濃川の大河津分水と治水に関する企画展は明日からと気づくが後の祭り。今日は企画展開催のセレモニーを行っていた。何てこった?常設展の中でヒスイの展示もあるが小さなケースひとつ位らしいので今日は退散することにして二キロ以上離れた別のバス停まで走る。すでに二十分を切っていたので間に合わないかと思ったがバスの姿が交差点の手前からは見えず、急いで交差点を曲がるとすぐバス停があり、時間は一分過ぎているが待っていると遅れてバスがやって来た。ラッキー😆💕長岡にもどり、40分ほどあるので、下のフードコート手前のケーキ屋でアップルタルト二百円なりを買って食べ次の新幹線を待つことにした。ぽんしゅ館も覗いたが特に目新しい酒はなかったので飲まないで帰宅の途についた。
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