前橋市史第一巻は、残念ながらわたしはまだ読んでいないが、今から半世紀以上前に刊行されたが、その後の半世紀で考古資料などは大幅に激増した。近年各地で県史や市史などが新たに刊行され話題になっているが、前橋市ではまだその動きはない。しかし、その大幅に増えた資料から、新たに前橋市史を見直してみようと言う意欲的な展示だ。
前橋市は浅間山、赤城、榛名の火山噴火と切っても切り離せない地質学的な歴史を持つ。ここ十万年ほどの間にも多くの大きな噴火、火山活動があったが前橋市にとって特に大きいのが今から二万3四千年前の浅間泥流で前橋台地が出現した。その頃まで存在した遺跡は無くなり南関東の遺跡が増えたらしい。
ここでは主に三万年前の南九州の巨大カルデラ噴火の火山灰層の姶良丹沢火山灰層ーATと二万三千年前頃の浅間板鼻褐色軽石層ーAsPBーを主な指標としていた。前橋の旧石器編年の第Ⅰ期は、AT層三万年前以前の後期旧石器前半期の石器で講演では、内堀遺跡などが取り上げられ、展示にはないが下触牛伏遺跡の環状ブロックや、列島特有の刃部麻製石斧などを取り上げていたが展示ではこの時期の石器の展示はなく第Ⅱ期の熊の穴Ⅱ遺跡と堀越甲真木B遺跡の展示があり、熊の穴は、aSPBの下層(より古い)、堀越甲はそれより新しいー二万三千年以降ーのようだ。この時期はいくつかのナイフ型石器について述べ、第Ⅲ期では、西から国府型ナイフ型石器の技法を持つ集団がやって来たのかそうした新しいタイプのナイフ型石器も出土している。
第Ⅳ期では、槍先型尖頭器が現れ、また樋状剥離や東内野型尖頭器などの説明があった。
第Ⅴ期は、一万六千年前以降、縄文創草期の時期に当たり、一方旧石器研究では旧石器時代終末期にあたり、重なっている時期だ。展示では頭無遺跡や鳥取福蔵寺遺跡の細石刃や有舌尖頭器が出現する。また有舌尖頭器は、次第に石鏃はと向かい縄文時代の多様な石器群を構成する。
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