写真2.シンポジウムの様子
写真3.姉崎二子塚の最盛期の石枕優品
古墳時代の葬送儀礼と関係の深い石枕をテーマとする企画展とシンポジウムが、近つ飛鳥博物館で開催された。起源は恐らくヤマト王権にあるとしても、関東、取り分け群馬から常陸ー茨城県南部と房総北部の香取の海周辺の常総と呼ばれる地域で石枕と立花という得意な風習が流行した西日本では、加工しやすい凝灰岩の石棺に枕状の彫込を入れたり、あるいは嵌め込み式のものがあったりするが事例数は限られている。今回は関東を中心に栄えた石枕と立花を中心に各地の重要事例を集めて一同に帰す大変貴重な機会となり、近つ飛鳥で紹介される意味は大きい。あまり知られているとは思えない、ややマニアックなテーマのシンポジウムに大勢の観客が押し寄せ、超満員になったのには驚かされた。さすが近つ飛鳥❗
一口に石枕と言っても様々なタイプがあり、考古学の世界ではこれまで多くの研究の蓄積があり、古墳時代の上層クラスの人々の死生観、あの世観、葬送に関わる儀礼の中身と意味などを考える上で奥の深いテーマと言える。石枕と言い、立花と言ってもそれは研究者がたまたま付けた名称で、本当に枕を意味しているのか、どのような背景や思想で造られたのか?どのような儀礼と関係しているのか?知りうることはまだ少ない。シンポジウムでは、まず、房総風土記の丘の館長の白井久美子氏が、常総を中心に列島各地で出土あるいは発見された石枕と立花の概要と研究史の一端を紹介し、西日本で出現した石枕の元となったとされる事例と関東で古墳時代前期から中期にかけて流行したものを取り上げた。興味深いのは、ネズミの齧り跡の付いた事例で、もともと地上に置かれたご遺体の下やそばに枕と立花が置かれ、地上性のネズミに齧られたとすれば、ご遺体を埋める前にモガリとして、地上に置かれていたことを示すものだ。
また、大阪府立狭山池博物館の小山田宏一氏は、朝鮮半島や古代中国(特に漢帝国)の類似品を検討し、形態もその背後にある死生観も異なるものの、そうしたものの影響が全く無いとは言えないこと、中国や朝鮮半島の最上層クラスの一部で、ご遺体を玉や金で埋め尽くすのは、玉や金が、朽ちないことから、死者が甦り、暮らすのに不自由しないように日常生活物資をお墓に入れる習わしがあったが、列島ではそうした風習はなく死生観、あの世観念の違いを指摘、中国では、そうした観念は、文字資料にも表され、お墓には墓碑があるので、被葬者が容易に判明するが日本ではほとんど無いのでそうした観念がどのようなものか容易に判断できない。また、中国では魂がヒトの九つの穴から抜けていくことを阻止するためにそこに玉や鏡などを詰めて塞いだという。古墳時代の倭国の人々は何を願って儀礼を行ったのだろうか?無論、その背景にはヤマト王権による倭国社会の統一支配を目指す政治的な動きも常に絡んでいるに違いない。まだ国の形もはっきりせず試行錯誤の時代だった。そのなかでも石枕と立花というのは、面白い切口で、更なる研究の進展や新たな発見に期待したい。
コメントを編集
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する