深田久弥大先生が選定した日本百名山(以下、「百名山」という、なお、三百名山及び三百名山の中から抜粋した二百名山も本質的には同じ類いです。)の「踏破」を目指すことは、私自身の登山スタイルではありません。むしろ私は深田百名山に対して「アンチ」なんだと思う。
その感覚的理由としては、正直申し上げると自分に嫉妬心が根底あるのではないか、と思う。特に、私のように東北地方に在住する者からすれば、東北にある「百名山」は六県に跨がる広大な土地にもかかわらず、わずか20にも満たないのである。関東甲信越にその多くが集中する「百名山」を「踏破」するには、それなりの旅費とまとまった時間が必要だ。ウチには、まだまだ未熟な息子たちがおり、独立するまでまだ時間がかかり、仕事も簡単には休めない。なので、私にはそのような「踏破」なんかしている時間がそもそもない。また、仮に今後、息子たちが独立し、私たち夫婦が仕事を引退し、時間ができても、月々の収入はたかがしれている。「踏破」のために、必要な費用など到底捻出できない。1年で10なんて到底無理だ。年齢も1つずつ増加する。その間病気や故障もするだろう。頑張れば死ぬまでに80くらいは行けるかもしれないが、100は到底無理であろう。よく「山は逃げない」というが、何ヶ月前から遠方で数日間の山行の計画を立て、それが天候や体調でダメになってしまった場合、次がいつかなんてわからない。近所の里山や数週間レベルの話ならいざしらず、大きな目で見れば、私にとって「山は逃げる」存在なのである。「山は逃げない」も究極的には、体力と時間と金に余力がある方のみ通用する言葉だと思えてくる。
要するには、私には、「百名山」の「踏破」を目指す前から、その「資格」などないのだ。しかし、一方では、「百名山」を踏破する体力、時間、経済的余裕があり踏破する「資格」を有する方がいらっしゃる。「百名山」の「踏破」をあえて目指さない。それは、感覚的には、そういう方への嫉妬心が根底にあるというのが偽ざる気持ちなんだと思う。
じゃあ、体力と時間、金があったら目指すのか?(次回へ)
tektektek2003さん こんにちは
断ちきれない想いを100名山に抱かれてるのですね。
山を始めるきっかけが「100名山」という方もいるのでその拘りも良いと思います。
ですが100峰を登ることだけが貴い訳でも無し、ネガティブな想いが付きまとったらこれからの登山人生楽しくありませんよ。
私は100名山に全く興味が無いので周囲で踏破された方の話を聞いても「へ〜」で終わってしまいます。
気が付いたら昨日登った山が100名山の一つだった、などと言うこともあるくらい。
数えてみたら3分の1くらいしか山頂を踏んでいません。
たぶんこれからも100名山を目指すことも意識することも無いと思います。
今一番の関心事は如何に体力を維持し自分の波長に合った山を辿ること。
日々老いていく時間に抗い怪我せず病気せず、そしてこれが一番大事なのですが山への情熱を失わないこと、山への見聞を広める努力を惜しまないことです。
東北の山々は素晴らしい。私は関東在住なので名にし負う山々へのアクセスでは多少有利ではありますが雄大な東北の山をあまり知りません。
でも何年か前に行った栗駒や焼石岳には魅了されました。人だらけ、山頂で記念写真の順番待ちで並ぶような山では味わえない素晴らしい世界があると知りました。
chiroさん コメントありがとうございます。
chiroさんの
「私は100名山に全く興味が無いので周囲で踏破された方の話を聞いても「へ〜」で終わってしまいます。」という百名山を全く意識しない心持ちがとても羨ましく思いますが、きっと、百名山にこだわらず、山に登り続けることによって、同じような心境になって行くのだと思います。
私は、「百名山」という括りには、全く興味なく登っているし、「百名山」を「踏破」した人を「凄い」とも「羨ましい」とも思いません。でも、一方で「百名山」を意識している・・・そんな矛盾した心境なんだと思います。
「百名山」「踏破」にマイナスなイメージを口にする方は、きっと私と同じような矛盾した心境なんだと思います。
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