前回、自分があえて深田百名山を目指さない正直な気持ちとして「嫉妬心」があると書いた。
では、体力と時間、金があったら深田百名山を目指すのか?やっぱり目指さないのではないか?いや「目指したくない」というのが本音だ。
その理由は、一言でいうのは難しい。
ただ、それを言う前に問いたいのは、「百名山」「踏破」を目指す方が、なぜ目指すのか?という理由である。
物事を行う以上、何らかの理由があるはずだ。ましてや「百名山」の「踏破」は、日本全国に点在する山ヘ登るための莫大な時間と費用が必要だ。それだけの投資をするには、それなりの理由があると思うが、それを明確に述べた意見にこれまでに出会ったことがない。
そこで、「百名山」に登った登山レポに「日本百名山 ◎/100」などと書く方に対し、なぜ百名山を目指すのか是非とも教えていただきたいのである。例えば「定年後に仕事から解放されて何かを成し遂げたいから」という方がいらっしゃるが、それは百名山踏破への「契機」であって、あえて「百名山」を選んだ「理由」はわからない。あくまでweb上の記述に過ぎないが、百名山の踏破を目指す動機や契機は書かれている場合が殆どであって、「なぜ百名山なのか?」についてはほぼ触れていない。田中陽希さんのグレートトラバース3を面白く見せてもらっているが、彼の著作をみても、なぜ目指す対象が「百名山」(その亜流としての「二百名山」「三百名山」なのか?)については明確な回答はなかった。「百名山を目標とすることでモチベーションをUPさせる」とか、「自分の行ったことのない地方でもいい山があるのでそこに行ってみたい」という理由っぽい記述もたまに見受けられるが、これも、なぜ他の山ではなく、あえて「百名山」なのかについての回答にはなっていない。ましてやなぜ「踏破」「完登」「コンプリート」・・・なのか?これがどうしても私には理解できないのである。(※このあたりについては、朝日文庫「山を考える」本多勝一著にも鋭い考察があるが、私としては生の声を聞いてみたいという思いである)
他人の行うことだし、他人がどのような価値観で山を登るかなんて、結局自己満足の世界なんだから余計なお世話だし、気にする必要もないのであるが、やはり気になってしまうのが私のサガだ。
そこで考えてみると、おそらく日本人にとっては、「百名山」が「登るべき対象」であることは「自明の理」もしくは「当然の前提」となっているのだと思う。自明のことだから理由など考えたこともないのではないか。そして、登山を始めたばかりの初心者にとっては、「百名山」の「踏破」は「憧れ」なのだ。そして「憧れ」であることも自明なので、やはり理由などを考えたこともないのではないか。結局、なぜ「百名山」が「登るべき対象」であり、かつ「憧れ」なのかについての明確な回答にいまだに出会えないままだ。もしかしたら、「百名山」「踏破」は日本人の間の最低限のステータスと位置づけられていて、これを完遂してこそ、自他ともに一人前の登山者として承認される「指標」となっており、それが山に関係する多くの日本人に共有(もしくは誤解)されている、というものなのではないか。まさに「百名山」の「踏破」が日本で登山をする者にとってのデフォルトなのである。
だから、もともと「百名山」が意識の外にある方は別として、「あえて『百名山』なんか目指していない」という日本人は、異端であり、例外であり、少数派であり、変わり者であり、「アンチ」などとしてレッテルを貼られる存在となってしまったりするのではなかろうか。
以下、つづく
tektektek2003さん、はじめまして
私は深Qより深キョンのほうが気になってるんですけどww
100山目指さないものが異端とか変わり者とか思っていませんが、
知らない土地に行って、
とりあえずどっか登ろうと思った時の
マストアイテム的存在なんだと思います。
登山道が整備されており人も入る山なので情報も入手しやすいとなると
不安なく登ることできますので重宝ですよね。
私はコンプリート欲がないので目指してないのですけど、
プロフィールにはいろいろ挑戦中で貼ってあります。
名刺代わりにもなるし、次に行きたい山決めるのに
都合がいいからなんですけどね。
いろんな考え方あると思いますがピークに立つと
単純に気分いいですよねww
tektektek2003さん、こんにちは。
> 「百名山」に登った登山レポに「日本百名山 ◎/100」などと書く方に対し、なぜ百名山を目指すのか是非とも教えていただきたいのである。
> 結局自己満足の世界なんだから余計なお世話だし、気にする必要もないのであるが、やはり気になってしまうのが私のサガだ。
私を含めて(ご指摘の該当項目がかなり多いw)広くご質問のようですので、少しでも「気になってしまう」ことが解消されるならと思い、コメントさせて頂きます。質問事項が多岐にわたり、丁寧にご回答するのが良いかとも思うので長文になります。(これでも言葉足らずになるかと危惧しておりますが)
なお、100名山を目指す方にもかなり多くのバリエーションがあるので、一例(マイナーな意見)と思ってください。
(本当は「忠実に同じ季節・同じルートで登ってみたい」とも思いますがそれは到底無理なので・・・・)
>「百名山」が意識の外にある方は別として、「あえて『百名山』なんか目指していない」という日本人は、異端であり、例外であり、少数派であり、変わり者であり
→ 古くは私も意識の外でした。イイ山は良いし登りたい山に登っているだけ(アルプス主要ルート全部とか、百高山の方が目標として明確でした)。
そのうち、「深田氏個人の意見だよね?」とアンチになり、その後「まあ、それぞれの考え方で登れば良いんじゃない?」になり、「定年過ぎてから登るか〜」になり、「あれ?年取ったらこの山には行けないかも・・・」になり、粗方登ってしまったら「まあいつもまでもモタモタしているのもな・・・」となって足掛け50数年で昨年「完登」しました。100に入っているか否かに関わらず登りたい山が大半なので、100高山同様、ある程度は「なり」で行ってしまいます。
時間が掛かり過ぎという見方もありますが、陽希さんは別格として、スピード達成やワンデイを目指す方とは相容れません。山は楽しむものであり、深田氏個人の意見だとしても万人がある程度理解できるものがあり(時代が変わって趣が無くなって仕舞った山もありますが・・・)、登ってあまり損は無いと思っています。簡単に言うと「外れる確率の少ない山」ということかと思います。ただ、それでは「全部」登る理由には不足しますね。
なので、全部やるつもりはありませんが、200や300名山や地方の100山などもゆるゆるやって行くつもりです。一度登った山にも登りますよ。来月も登頂済みの100名山2座に遠征する予定です。
一方、○○名山至上主義ではなく、自分が棺桶に入る時にfireboltの100名山を思い出せれば良いな。その時、深田100を登っていなかったからその山を外すというのは気分が良くないな・・・というのが動機です。そうです、絶対視されているような深田氏とは違う意見を持ちたいというのが大きいかもしれません。
百名山を目指す理由を一言で述べろ、と言われると上記が答えになります。
> 「踏破」「完登」「コンプリート」・・・なのか?これがどうしても私には理解できないのである。
→ 制覇という表現は自分的に不適切と考えるので、他の表現を使います。上記の3つはどれも使ったと思います。自己満足の表現として、目標を設定して「達成した」ことを表現するのに不適切とは思いません。「制覇」は山に失礼ではないかとの認識ですが。tektektek2003さんは目標達成した時にどのように表現するのでしょうか?
「日本百名山 ◎/100」としたのは7割くらい行ってからじゃないかと思いますが、重要でないので調べません。入れたり入れなかったりあるかもしれません。
デフォでもなければやらない人がマイナーでもないと思っています、どうでも良いことではないでしょうか? なぜtektektek2003さんが拘るのかが逆に分かりません。
私は出来る事なら世界中の全ての山に登りたいですが、時間・金の他、体力や技術の問題もあるので当然一部に限られます。その中でどれから優先にするかはいちいち理由や文句をつける必要もないと思いますが。
前回、やや自己批判的なことも書かれていたようで気になりました。
> レッテルを貼られる存在となってしまったりするのではなかろうか。
むしろ、百名山を理由なく(?)楽しんでいる人たちに対して、上から目線でレッテルを貼ろうとされていませんか? 自分は超越していると。
私はワンデイ派の価値観は相容れないと書きましたが、「非正統派」などとレッテルを貼る気は毛頭ありません。やむを得ずやっている方もいますし、自分も正統とか何とかの概念は無いので。
長文失礼しました。
追伸
「「日本百名山」という妖怪〜」という表現には大いに賛同します。でも戦う必要は無いと思います。
tektektek2003さん、こんにちは。
誰が百名山に拘ろうと、拘らないことに拘ろうと、結局、他人のことだし…が今の私の意見です。
ただ百名山を登ってこそ的な考えを押し付けてくる方が多いのは嫌ですね。私は山頂標識の写真を撮るのが好きじゃないんですけど、「百名山、登った証拠にならないよ!」と写真撮影を推されて「興味ないです」と言い返してしまったことがあります。
私はつい最近「日本百名山」を「挑戦中の山リスト」に入れました。
理由は簡単で、自分の住む地方以外の山に行こうとした際の選択肢として、「日本百名山」の山は登山道および登山口までの公共交通機関(私は車を運転できません)が他の山よりも整っていることが想定されるから、です。
ですので山を選択する際の指標であって拘りはそれほどありません・・あっ、そんな人は回答の対象外でしたでしょうか、すみませんでした(;´▽`A``
tektektek2003さん、こんにちわ。
スタンプラリーはスタンプを押すことに
意味があるのであって、
一つ押したら次、そして次も押したくなる
のが、人間の本能みたいなものなのでしょう。
関西には金剛山1万回登頂みたいな
スタンプもありますし、
百名山もスタンプラリーみたいなものです。
最近はヤマレコにも○○県百名山
みたいなものもありますね。
経済力、体力、休暇の程度に合わせて、
選んでいるだけでしょう。
最大のスタンプラリーには
ヒマラヤ8000m峰とか。
誰もできないからやる人が少ないだけ。
百名山は初級者が初めて中級者に
ステップアップするのにバランスの
いいリストなんだと思います。
なぜ、百名山なのかというと、
それがいい山(とお墨付きがついている)だからです。
tektektek2003さん こんにちは
深田久弥の「日本百名山」というのは、巨人・大鵬・卵焼き、みたいなものです。つまり、初心者向きガイド本です。
私の場合、20代に始めた本格的登山の対象は、アルパインカレンダーに掲載された絶景写真と同じ景色を自分の目で見ようとして選んでいました。例えば、北穂高岳から撮影した槍ヶ岳の写真を見て、同じ所に行きたいと思って、穂高・槍を縦走しました。また、荒川岳から撮影した赤石岳の写真を見て荒川・赤石・聖を縦走しました。結果として百名山を幾つか踏破しました。
それから50年が過ぎ、今では、どの山を登るかは、各人の好みの問題だと思っています。経験を積むに従い、自分自身の好みが出来てきて、好きな山は繰り返し登るようになりました。例えば、白山は高山植物が美しいので毎年のように行っています。滋賀・福井県境のブナ林の繁る山にも良く行きます。
「日本百名山」は、深田氏が自分好みの100山を選んだものに過ぎないから、それに拘らず自身の好きな山を楽しく登ればよいのです。と言えるのも、私が経験を積んだからであって、初心者にとっては登山対象を選択するに際し、何らかの情報なりガイダンスが必要でしょう。深田久弥の「日本百名山」がその役割をしているならそれで良いと思います。
ただ、「日本百名山」の100山全山踏破自体を目的とするのは、理解できません。登山バスや山小屋で、百名山のうち何座踏破したかその数を自慢する会話を聞くことがあります。そのような人達は、深田氏という他人の価値観に支配されているだけなのです。
tektektek2003さん、初めまして!
前回日記も含めて、確かに「百名山という妖怪」に拘って(拘り過ぎて)おられるように感じます。
>まさに「百名山」の「踏破」が日本で登山をする者にとってのデフォルトなのである。
>「あえて『百名山』なんか目指していない」という日本人は、異端であり、例外であり、少数派であり、変わり者であり、「アンチ」などとしてレッテルを貼られる存在となってしまったりするのではなかろうか。
最後の文章は完全な思い込みでしょうし、妖怪のなせる業のような気がします。山で会った人、SNSで知り合った人などの感触からは、感覚的には百名山(日本、ローカル)を目指さない人の方が多数派だと思います。
私自身で言うと、登山は就職直後から年数回、初級者向きの手ごろな山に登っていましたが、定年前に図らずも単身赴任となり、暇つぶしにほぼ毎週登れる環境を得て、目指したのが某県百名山と日本百名山でした。
理由は単純で、どなたかもコメントで書いておられましたが、次に登る山を選ぶのに手っ取り早いことと、ガイドブック、山行記などの資料が揃っていること、いくつかの例外を除けば登山道、山小屋などが整備されていて安心、などでしょうか。実際、登ってみて感動することも多かったです。勿論、気に入った山はその後何度も登っていますし、山頂からの展望で気になった山も目指したりします。
結局、自分なりの登山スタイルを持って楽しめば、他人の行動、思考に気を取られる必要はないのではないでしょうか。勿論、マナーとかエチケット、違反行為などは百名山云々に関係なく駄目なものはダメですが。
Take It Easy !
はじめまして。
いろいろな方がさまざまなコメントを寄せられていて、この問い掛けが「ひとはなぜ山に登るのか」にも通じるものがあるようにも思えました。
朝日文庫版「日本百名山」に、今西錦司が「名山考」という解説文を寄稿しています。普通、解説文などはその本の内容を褒めちぎるものですが、「名山考」は「けしからん本が出版されたものだ」と一刀両断にしています。
文化人類学者で「山の哲人」とも呼ばれた人物の文章には、並の登山家には書き得ないものがあります。興味がおありなら、ぜひ読んでみてください。
皆さんから思った以上のコメントをいただきました。他人がどのような気持ちで登ろうと余計なお世話だろう・・といったコメントが多いかと思ったのですが、皆さんのコメントをみて、皆さんの暖かさを実感しました。一つ一つのコメントに返信する余裕がなくて、本当に申し訳ありませんが、いろいろと示唆に富むコメントをいただきまして、ありがとうございます。
なるほど、「百名山」にこだわっている(というよりも「『百名山』にみんなが拘っている」ことに拘っている)のは、むしろ私の方であって、基本的に皆さんは百名山なんぞに拘っておらず、単に山へ登る際の参考資料としているに過ぎない、ことがわかりました。そして、多数の方は、百名山を「踏破」することなどについては、なおさら拘っていない、こともなんとなくわかりました。いちいち他人のことなんか気にして山に登るのも馬鹿馬鹿しいし、もっと自分の気持ちを解放して登ることの大切さもわかりました。
特に私が本文の後半で書いた部分は、私自身の偏見で満ちた部分であり、全体として私の偏見に異存する部分が多いかもしれません。好きで百名山へ登っている人に対し、どういう気持ちで登っているかを勝手に決め打ちしている(上から目線という表現もありましたが・・・)側面があったかもしれません。それは大変失礼致しました。
確かに、私が山に登る時には、特に百名山に拘っている人や百名山のうち、「完登した」とか「もう80登った」なんて自慢する人に会ったことはありません。「百名山」の「踏破」が当然の如く考えている傾向があるというのは、私が勝手に夢想した都市伝説なのかもしれませんね。
それでも、あえて、私は、「百名山」は、もっともっと相対化して欲しいと思っています。そういった意味では、ヤマレコが、いろんな視点からスタンプラリー的に、挑戦するモードを持っていることは、とてもいいことだと思っています。百名山であろうとなかろうと、雑音を気にせず、思いっきり山を楽しむこと大切だということが、皆さんのおかげで実感することができました。
改めてありがとうございました。
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