スローハイクさんの日記「登山ではゆっくり歩くこと」を拝見して。
https://www.yamareco.com/modules/diary/348012-detail-345833
日記の内容にとても共感しました。
私は、山をゆっくり歩ける方を尊敬の眼差しで見ております。
数年前の私がまさに、スノーハイクさんの日記に言う「現代人」
今でも、私自身が、そんな「現代人」から脱皮したいと常々思っている過渡期という状況かもしれません。
ゆっくり歩くというのは、意外と難しいものです。
山を含め自然は、季節毎に、様々な声や表情をみせています。
そういう自然の声や表情に対するアンテナを持ってないと、そういった自然の声や表情に気が付いたり立ち止まったりできないものです。
「タイパ」などという言葉に代表されるとおり、効率ばかりを重視する社会に普段どっぷり浸かっていると、つい「ピーク」コレクションやスピード、SNSや雑誌のどこかで見た「あの映える景色」という分かりやすい指標に支配されてしまうのかもしれません。
「花鳥風月」の転じた意味にもあるとおり、年齢を重ねるにつれて、自然そのものがもっている美しさに知らずに目が行くように実感はしていますが、気持ちにゆとりを持って自然に対してあえて意識を向けることで、身体から少しずつアンテナが芽生えると思ってます。
そして、歩く足取りも自然と「ゆっくり」となっていく、そんなところなのかな〜と思ってます。
ゆっくり歩く山歩きこそ、まさに私の目指すところです。
「歩く」「ピークハント」以外の目的があれば良いんですよね。あの日は、古道の道幅や、元はどこと通っていたか、維持が大変だっただろうとか、石碑をみて思いを馳せたり。
ボクの場合、普通の登山ならとにかく植生について考えながら歩きます。
この地域のこの標高だとブナからダケカンバに変わるのか、とか、登っているのに灌木から樹林帯に戻ったのは冬の風の向く方向が原因か?とか。考えて写真を撮っているとのんびりになります(笑)
最近思っているのは、自分は山で「知りたい」という欲求を叶えているのだなということです。植物のつながり、生き物とのつながりを感じて考えることは、この世界の一部を紐解いている気持ちになります。
kozouさんが、植生に興味があるのは、一緒に歩くとよくわかります。そんなkozouさんを拝見して、標高のみならず地域的な差異なども踏まえて分析しながら歩かれる姿をみながら羨ましいなあ〜などと思います。それも「知」への素直な欲求なのかもしれません。
私の場合は、そういった山へのアプローチが、まだまだなのかな〜っと。普段から気が付かないものも多く、もっと様々なものに関心がもてたらな〜なんて思います。
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