私の小さい頃には、冬ともなれば火鉢に木炭をくべて、暖を採った。お餅やおかき、干し芋を焼いて食べるのは、育ち盛りの子どもにとって大いなる楽しみだった。昭和30年代はじめ、木炭の生産量は200万トンにのぼり、一人当たり年間消費量は炭俵1俵（15�圈砲△辰燭箸い錣譴襦�そういえば、我が家も炭俵を1俵、2俵と買っていた。それが20年もたたないうちに、生産量は昭和30年（1955年）ごろの1.5％ほどまでに落ちた。戦後の高度経済成長の時代到来とともに、木炭が暮らしに生きていた生活は急激に失われて、家庭での暖房器具は、いつの間にか石油ストーブになり、ガスストーブになったのだった。
私が鈴鹿の山を歩くようになったのは、昭和40年代になってからだから、煙をたなびかせている炭焼小屋に出会った記憶はない。きっと打ち捨てられた炭焼小屋や炭焼窯の跡は、目についたに違いないのだが、都会育ちの若者には関心をひかなかったのかもしれない。それでも、山道はなお炭焼を生業とする人たちが町に炭を運ぶ道が息づいていて、山へのアプローチに重宝していた。
滋賀県愛知川の上流茶屋川の最奥の村茨川と三重県の北勢町新町を結ぶ鈴鹿の治田峠は、そんな峠のひとつだった。炭焼を主な生業としていた茨川が時代の波に飲み込まれて廃村となったのが、昭和40年の8月である。かつて、焼きあがった炭は治田峠を超えて三重県側の新町の問屋に運ばれていた。男は4俵、女は3俵の炭を背負ったそうである。1俵の重さは15�圓箸いΔ�ら、とんでもない重労働だ。全盛期には、強力を雇って運んだという。強力は、１日茨川・-新町間を2往復した。重症の病人が出れば、医者が新町からは歩いて峠を越えて駆け付けたといわれるから、経済的な結びつきは圧倒的に伊勢とつながっていたのだった。
相模川水系の桂川の南側に連なる秋山山稜にある穴路峠も炭焼さんが通った峠だ。昨年（2019年）4月、中央線沿線の秀麗富嶽12景ひとつ高畑山（982m）にのぼった時、鳥沢駅まで穴路峠経由で下った。峠には、山梨県林務部がたてた「峠道文化の森」の解説板が設置されていた。
かつての穴路峠の様子を知るのに、詩人の尾崎喜八が昭和の初め頃、厳冬の2月にこの峠を越えて倉岳山に登り、無生野から秋山川に沿って上野原まで旅した時の様子を記した「秋山川上流の冬の旅」（「雲と草原」収蔵）が良き手がかりとなる。
それによると「寒々とした谷沿いの細道を進むと、峠の方から男が二人炭俵を背負い、長い竹の杖を突いて転がるように下りてくる。・・・何処の者だと訊くと、無生野の者だと云う。峠の雪の様子をたずねると、自分たちの馬がかよっているからもう相当には踏めていると云う。・・・こういう炭運びの連中には峠までの間に三組ばかり遭った。お爺さんが一俵、お婆さんが二俵という愛想のいい老人夫婦の組もあった。若夫婦が仲良く二俵づつ背負って、賑やかに日当たりの坂道を下りてくるのにも出会った。最後には峠の五六町下で一人の女に遭ったが、後からやっぱり炭を背負った子供が来るから、出会ったら早く来るように云って下さいと頼まれた。・・・炭俵を三俵ずっしり背負った二十二三の若者と行き逢った。・・・『先へ行ったおっかさんが、早く来いと云っていましたよ』そう云いながら、違ったかなと思って様子を見ていると、男は無言で鷹揚にうなずいたが、やがてザックザックと雪を踏んで下りて行った。」とある。
歴史的に見て、木炭の生産で消滅した森はないといわれる。また、木炭に含まれる炭素は、炭の原料になる木が生長する過程で光合成によって大気から吸収したものだから、地球温暖化を加速するものでもない。現代生活にもっと活用してもいいのでないだろうかと考えながら、徒然なるままに思い出を書いてみた。
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