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この林道は、秋の季節が素晴らしい。
「車とめ七色の屏風ながめゐる汝は麗しき瓶が森林道」
しかしながら、この林道ができてからは、修験の山でもあった瓶が森(1897m)に至る東之川や西之川からの道はあまり使われなくなってしまった。かくいう私も、ついに瓶が森の山深さを全身で味わう機会を逸してしまった。
瓶が森は2度登ったが、2度とも林道の登山口からだった。一度目は、新居浜生活の1年目の秋に土小屋から石鎚山に登る偵察をかねて旧寒風山トンネルから面河渓谷までドライブした時に登った。山頂から見晴るかす瀬戸内の海もよかったが、対面する石鎚山は霊峰を感じさせる神々しさだった。山頂から西側に大きく広がる氷見二千石原の笹原を瓶が森ヒュッテの方に下って林道沿いの駐車場に戻る。土小屋から面河渓谷への石鎚スカイラインからの三角錐形の石鎚の山容も印象深い。
二度目は、2003年10月の中旬である。大学時代の山仲間が私の勤めていた学校に南極の氷を携えて講演しに来てくれたので、久闊を叙すためにシラサ峠の「山荘しらさ」に泊まり、早朝の瓶が森に登った。
出発は仕事が終わってからだから、旧寒風トンネル南口から瓶が森林道を走る頃には日はとっぷり暮れ、紅葉の景色を見ることはかなわない。シラサ峠に着いた時は、すでに午後6時半を回っていた。
夜半にふと外に出ると、満天の星空である。久しぶりに見る無数の星々をしばしあかず眺める。
翌朝は、同宿の写真撮影グループの影響を受けて午前4時に起床。車で瓶が森登山口に戻り、御来光を拝みにヘッドランプをつけて山頂へむかう。
空には、煌々と下弦の月がかかっていた。放射冷却ですっかり冷えこんだ笹原は一面霜が降りている。風も冷たくヤッケを着ても寒いほどだ。6時近くになると空がしらしらと明けはじめ、20分もすると朝日が昇ってきた。
「有明の月あかりの道のぼりきて石鎚の峯明け立つをまつ」
その光が石鎚山に届くころには、瓶ヶ森の山頂からの景色は、息をのむほどの素晴らしいパノラマとなった。
「しらしらと霜の笹原あけさりて澄みわたる空に石鎚の峯」
この日は、友とともに紅葉の筒上山、手箱山を巡り、秋の山を楽しんだ。
fengsan こんにちは。
私は石鎚山、瓶ヶ森の麓に近い新居浜市に、トータル30年超住んでいて、瓶ヶ森は馴染みの山です。
1980年代までは、瓶ヶ森林道は一般車両通行禁止だったので、麓の西の川か東の川から登るのが一般的で、ロープウエーが使える石鎚山より、かなり大変でした。
1991年だったか?瓶ヶ森林道が一般車両通行可能となってからは、私も含めて多くの人が、林道を使って8合目まで行き、瓶ヶ森はハイキングの山となりました。2軒あった山小屋も潰れてしまいました。
でもまだ、麓から登る人もそこそこおり、東の川ルートはまだ健在です。
8合目駐車場からハイキングするにしろ、麓から汗だくで登るにしろ、頂上からの石鎚山や瀬戸内海の雄大な眺めは変っていません。良い山です。
bergheilさん、こんにちは。いつも訪問してくださり、ありがとうございます。
私も新居浜に5年住んだので、bergheilさんのレコは、なつかしかったり、行けばよかったと残念な気持ちになったり、楽しませていただいています。
私が四国の山に登ったのは、50代。若い時と違って山行記録をとる習慣もすっかり忘れてしまっていたので、当時どこに行っても作っていた拙い短歌とわずかな写真をたよりに、近頃「短歌でつづる四国の山」シリーズと称して思い出話をヤマレコ日記に書いています。
瓶が森の項を書いてて初めて知ったのですが、初めの頃は石鎚スカイラインの終点の土小屋から瓶が森まで有料道路だったそうですね。瓶が森から旧寒風山トンネルまで当初一般車両が通行できなかったことは、今回教えていただきました。
なんだかもう少し書き続けてみようかな、という気になりました。
それから、私は佐賀にも3年いたので、bergheilさんの故郷が佐賀だとは奇遇です。天山の山並みと広々とした佐賀平野が大好きです。幼かった我が子が初めて登ったのは有田の黒髪山でした。
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