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笹ヶ峰という地名は、私にとって特別の愛着があった。大学生の時初めて山スキーの合宿をしたのが、新潟県の妙高高原の笹ヶ峰だったからだ。
四国の笹ヶ峰(1860m)は、どんな山なのだろうか。新居浜に引っ越してきてふた月ほどたった時、足は自然と四国の笹ヶ峰に向かった。
この時は、西条の下津池から登った。車利用だったから笹ヶ峰林道を上がっていって、標高1000mにある登山口からスタートできる。そんな思惑もあったのか、登り始めるのが昼近くになってしまった。
登山口から谷沿いの急坂を登って行って300mほど高度を上げると、杉の林の平坦地に出た。宿と呼ばれる場所だ。名前からも人の往来を連想させるが、ここはかつて別子銅山の木炭供給の集積地であった。ここから西山越(1,448m)を越えて多くの人足が馬で炭を別子の小足谷の焼鉱、溶鉱の拠点施設に運んだという。何しろ粗銅1トンを精錬するのに3〜4トンもの木炭が必要だったというから、相当の往来があったに違いない。林間には石積みが残っていた。
吉居川の上流部を渡り、ブナ林を行くと、ほどなく木造2階建ての学校の校舎のような山小屋「丸山荘」に出る。戦前から続く由緒ある山小屋だ。近くの北斜面には戦後まもなくスキー場が開設されたが、大規模な開発は行われなかったのは幸いだった。
ダケカンバやカエデの樹林帯を行くと、いよいよ笹原に出る。ここまでくれば、もう丸山荘の赤い屋根が小さく見える。スキー場の斜面の向こうに沓掛山がどっしりと姿を構えていた。桑瀬峠からの縦走路と合流すれば、山頂も近い。
山頂に着いたのは、午後2時過ぎ。笹原の向こうには寒風山、伊予富士の姿ばかりでなく、遠く石鎚山まで見渡せた。午後の日差しの中、吹く風が心地よい。東の方には、ちち山から冠山につながる稜線が見える。時間のことが少し気になったが、急ぎ足で、ちち山まで足をのばすことにした。
ちち山の山頂からは、赤石連山の全貌が見渡せ、冠山、平家平へと続く稜線がゆったりと延びていた。帰りは、笹ヶ峰とちち山の鞍部からモミジ谷経由で丸山荘に戻り、午後4時40分には登山口に降り立った。
それから、4年たった同じ季節に、今度は桑瀬峠から寒風山を経て再び笹ヶ峰を訪れた。天気さえ恵まれれば、新緑の山は実に気持ちがいい。
「登り行けば雨の逃げ道新しき道直す人のあり新緑の山」
山道は、すぐ荒れるものだ。登山道を補修する人、下草を刈る人、倒木を切る人、道標を管理する人、黙々と作業をしてくださる多くの方々に感謝しながら山を歩きたいものだ。
(下津池方面から笹ヶ峰・ちち山2002.6.16及び桑瀬峠から寒風山、笹ヶ峰2006.6.3の記録より)
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