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残念ながら、今や古道は十分には残っていないが、峠付近の切通は往時をしのばせるのに十分である。
私がこの峠に立ったのは、数年前、秦野駅から弘法山、念仏山を越えて大山まで歩いた時だった。つまり、峠を越えたのではなく、横切ったわけだ。御夜燈は、峠の切通を見下ろすところにあった。いや、正確に言うと、風化等でわずかにその一部が残っているといった方がいいものであった。
その解説板には、「この御夜燈は、文政十年(1827年)に旅人の峠越えの安全のために、道標として建てられました。点灯のための灯油は、近隣の農家が栽培した菜種から抽出した拠出油でした。この下に峠の茶屋が有り、その主人、八五郎さんの手により、明治末期まで点灯し続けられていました。」云々とある。
この一文を読んで、改めて思った。
峠を越える時に、峠を知らせる灯があったらなんと心強いことだろう。足元をともす提灯があったとしても、たとえ月明かりが峠道を照らしていたとしても、ありがたいものであったに違いない。
思えば、誰かが毎日、雨の日も風の日も灯し続けてくれたこそ、旅人はその恩恵を受けることができたのである。峠の茶屋の八五郎さんの日々がしのばれる。
(参考)「秦野駅から大山 〜晩秋の南尾根、最後は紅葉の下社へ〜」2021.11.26
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3783793.html
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