和紙の原料の一つである三椏は、人の暮らしに近い灌木という印象が強い。中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地というから、大昔に日本に伝わってきたとしても、天然自然の山中に自ずと生い茂る群生地があるというイメージは、私にはなかった。
思えば、私がはじめてミツマタの花を見たのは、何と東京の虎の門だった。昭和40年代末の頃の話である。今の虎ノ門界隈は、当時の面影は失われてしまったが、金刀比羅宮の脇の歩道をしばらく歩いていくと、虎の門病院の裏手に大蔵省印刷局の地味な建物があった。その建物の道路沿いの植栽に、お札づくりに欠かせない木として三椏の木が雁皮や楮(こうぞ)と一緒に植えられていた。春を告げる黄色い花は、なんとも愛らしく、昼休みのホット一時を味会うことのできる散策路だった。
さて、本題の丹沢大山の不動尻の三椏群生地の話である。
三椏の花が咲き匂う時期に初めて不動尻を訪れたのは、2021年の3月であった。当時八菅山修験大山峰入りの道に関心を抱いたので、あれこれ山行記録を調べていて、不動尻に三椏群生地があるのを知ったのだった。その時は、広沢寺から不動尻を経由して大山三峰山を往復した。不動尻の旧キャンプ場に近づくと渓流沿いに三椏の花が見られるようになり、石垣が残る管理棟跡地の陽当りのよい広場を中心に周囲の杉林の斜面一面に三椏の黄色い花が見事に群れ咲いていた。
「寒さゆるみさえずりのどかに聞こゆ谷四方を埋めけりミツマタの花」
「下りきてまた巡り合ふミツマタの鮮やかさませり午後の日差しに」
このときの三椏の花のあまりの見事さに感動して、次の週も不動尻に行った。今度は清川村の煤が谷付近の道の駅から大山三峰山を越えて不動尻から谷太郎川沿いに周回し、不動尻の春を満喫したのだった。
「風そよぐ芽吹きの枝はさみどりに水音ひびく不動尻の春」
「岩根越えマメザクラの路下りきて三椏の花をあかず眺める」
その時頭に浮かんできたのは、昔ここ辺りは三椏を栽培していたのだろうかという疑問であったが、ネットで調べてみると、どうやら県立の不動尻キャンプ場が廃止され、管理棟の周囲に植栽されていた三椏が、管理棟撤去に伴い十分な陽当りを得る生育条件を獲得し、キャンプ場として比較的管理の行き届いていた周囲の杉林へと急激に生育範囲を広げていったということらしい。
三椏の樹の寿命は、10年から20年といわれ、更新が早い。良好な生育環境が整えられると、土の中で眠っていた種が芽吹き、根をはり、枝を伸ばし、花を咲かせていくらしい。しかも、木全体に若干の毒性をもつので、鹿の食害に会うこともないという。
不動尻キャンプ場が廃止されたのは、2002年7月。その後、ロッジの管理棟や12棟あったキャビンもすっかり取り壊された。つまり、三椏にとって、20年程天与の好環境が継続したことが、群生地を発展させたと言えそうである。私自身は、キャンプ場廃止の前年の6月初めに飯山観音から巡礼峠を越えて、広沢寺温泉経由で不動尻から大山に登り下社へ歩いたのだが、残された写真に不動尻キャンプ場の様子を写したものはなく、残念ながら何ら印象に残っていない。
なお、ネットで調べてみると、全国の三椏群生地にはある共通する景観形成の要因があるように思われるが、いかがなものであろうか。
三椏の花を楽しむのは、早春の山歩き、里歩きの楽しみである。考察が不十分なところについては、是非ご教示願いたい。
(参考)
森林総合研究所関西支所 研究情報No.109 Aug 2013No.109 Aug 2013の記事
「ミツマタ‐作物から園芸種 まで幅広い用途 」森林生態研究グループ 山下 直子
https://www.ffpri.affrc.go.jp/fsm/research/pubs/joho/documents/research-infomation109.pdf
「千万町ミツマタ群生地黄金郷誕生〜山里の復活再生物語〜」
https://zemanjogakko.com/yamazato-no-miryoku/mitsumata/
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