ニッコウキスゲは、私が覚えた最初の山の花だった。オレンジ色のユリのような花は、草原と夏雲がよく似合う、まさに夏休みの始まりを告げる花といってよかった。
中学1年生の夏休み、父親が珍しく弟と一緒に志賀高原に連れて行ってくれたことがあった。多くの企業が保養所というものを持っていた時代、それを利用したのだった。その時初めてニッコウキスゲの名を知ったのだが、そのあたりの記憶は薄れ、夏山リフトで、少し見晴らしのいいところまで上がって、背丈ほどの岩に登るまねごとをしたくらいしか覚えていない。当時、中央西線は蒸気機関車がまだ運行されていたが、トンネルに近づくたびに汽笛の合図に合わせて窓を閉めなければ、車窓の景色を楽しむことはできない。名古屋への帰路、確か多治見あたりで蒸気機関車の煤が弟の目に入って、ハンカチではなかなか取れずに大騒ぎとなった。最後に、父親が意を決したように自分の舌を使って煤をぬぐい取った。近くの席の若い女性たちの見てはいけないものを見てしまったというような当惑の表情が忘れられない。
中学2年の時には、学校の林間学校の行事で、蓼科に行った。当時少年自然の家といったしゃれた宿泊研修施設はなく、キャンプ場のバンガローに3泊した。記憶にあるのは、やはり失敗談だ。飯ごう炊飯など、初めての経験である。「はじめチョロチョロ、中パッパ」などという教えはすっかり忘れ、配給された薪を盛大に燃やして、生だきのごはんができてしまった。慌てて水を足したり、火の付いた薪を取り除いたり、無い知恵を絞ったのだが、覆水盆に返らず、我慢のカレーライスとなった。それでも、皆で一緒に八子ヶ峰に登り、ニッコウキスゲの花とともに夏山気分を味わったことが、忘れられない。
しかし、そんな親しみのある夏の花も、近頃では、保護柵で守られる景観になってしまった所もあるようだ。霧ヶ峰も例外ではない。その背景には、採草や火入れが行われなくなっで樹木が草原に侵入することもあるようだが、やはり増えすぎたニホンジカの食害被害があるようだ。
昨年、ニッコウキスゲの咲く頃を狙って、その霧ヶ峰を八島湿原から蝶々深山を経て車山山頂に、帰路は南の耳・北の耳からゼブラ山経由で歩いてみた。やはり、思った以上に咲いていない。それでも、夏雲に最も似合う花は、草原に咲くニッコウキスゲと思わせるに足るものだった。実は、この年の5月初旬に霧ケ峰・ガボッチョ山の斜面で山火事が発生し、南西の風にあおられてニッコウキスゲの群生地の一つである富士見台まで燃え広がるという事件があった。車での帰路、開花への影響はどうなのだろうかと群生地に寄ってみたが、眼前に広がっていたのは、「当たり年」と言われた前の年を上回る絶景であった。自然環境のバランスのもつ脆さの一方、自然の回復力の強さを感じさせられる一日となった。
写真:山火事後の富士見台の群生地
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