昨日の夜中にようやく電気が復旧して、今日初めて地震や津波の様子を見ました。手回しのラジオはずっとつけていたのですが、映像は初めて。改めてすごい揺れと津波だったのですね。当事者としては、とりあえずロッカーなど必死に押さえていて、長く、しかもどんどん強くなってくる揺れに、もうダメかもしれないと本当に思ってしまいました。揺れが収まり、5時に職場を離れて、一人でいる母が心配で仙台から50キロ自転車で帰りました。真夜中に着いたら、真っ暗な部屋のベッドの中で私を待っておりました。足元には倒れてきた箪笥が母のベッドの下3分の1のところを直撃していました…相棒さんは、東京出張中で、その帰宅もまた大変でした…
あれから6日、まるで夢を見ているように過ぎました。沿岸部にいた知人たちの無事が少しずつわかり、今日最後まで安否不明だった義兄が電話をくれました。たくさんの涙を見ました。きっとこれからも。
ご心配おかけしたユーザーの皆さん、メッセージをいただいたヤマレコ仲間の皆さん、ありがとう。生活は厳しいですが、まず気持で負けないようにしなくては。被災された宮城、岩手、福島、東北地方の皆さん、長期戦になるけど、めげないで助け合って勇気を持って生きていきましょう。
kiyoshiさん、ご無事で何よりです。
電気が戻った様でちょっと安心されたと思います。
まだしばらくは不自由な生活が続くと思いますが、一日も早い復興を祈っています。
私の親類も仙台(若林)で被災しましたが、幸い家は無事だったものの、生活物資が厳しいために週末に私の実家に一時避難します。
ご無事で何よりでした。お母上もご無事で本当に良かったです。
kiyoshiさん、心配していました。
ご家族皆さんご無事でよかったです。
ここに戻って来てくれてありがとうございます。
kiyosiさん、無事で良かったですね。
日本のみならず、世界中の人達がと共にいます。
気持ちを強く持っていて下さい。
応援しています。
MATSUさん、ありがとう。なんとか頑張ります。津波被害にあわれた方のことを思えば、なんてことはないです。でも一時こちらを離れられる方もお気持ちもよくわかります。MAtSUさんの日記もtanigawaさんの日記も携帯で時々読んでましたよ。どちらも私にとっては、役に立つ情報でありがたいです。
ainakarenさん、ありがとうございます。消息のわからないユーザーさんもおられるので、日記アップしていいのか、ちょっとわかりませんでした。母は88でして、地震後依存度が高まってきて(私がいつもそばにいるから)これからちょっと心配です。
sakusakuさん、ありがとうございます。
yamarecoはいつも大好きですよ。山歩きは当分できませんが、みなさんの日記や記録は励みになると思います。
daikokuさん、優しいお言葉、ありがとうございます。私などより長い期間援助が必要な方々がたくさんおられるので、そのことをどうぞ心に留めておいていただければ幸いです。このあと最悪の事態になっても、取り乱さず賢く生きる選択をしなくてはと覚悟しています。
ご家族の皆様が全員無事で何よりでした。
あの吹雪の中を必死にご自宅まで自転車を走らせるのは大変だったでしょうね。
同じ宮城県人でも沿岸部と内陸部でこれ程運命を分けたのには愕然としております。
とても一つの県では避難民の対応は不可能でしょうから、日本全国の手が必要になってきますね。
今後の生活が大変そうです。
まさか宮城沖地震をはるかにこえる地震と津波が来るとは、誰にも想像できませんでしたね。今でも信じられないです、これは本当に現実なのか。もし夜中に起こっていたらと思うと…
お互い、頑張っていきましょう。生活はゆっくりと回復すると信じます。それまで生き伸びないと。昨日まで7時就寝でした。今日はつい遅くまで。電気の無駄遣いでしたね。そういえば地震以来ずっと服を着て寝ていますよ。ではおやすみなさい。
kiyoshiさん無事帰還ご苦労様でした(`∇´ゞきっとこれからの方がなん万倍も大変でしょうが登山家魂のガッツで乗り切って僕等に勇気と感動を下さいm(_ _)mそして早く大好きな山に帰れるといいですね(^_^)
御無事でなによりです。
夜中、自転車を走らせている最中のkiyoshiさんのお気持ち・・
痛いほど伝わってきます。
お互い勇気を持って生きましょう!!
kiyoshiさん、私は昨晩、福島で農家の跡を継いだ2人と電話して、泣き泣きの話になりました。りんごと米は、先がもう・・・。幼児が心配で息子夫婦らはとにかく遠いところへ送り出しています。
予断を許さない状況。
現場の頑張りにすべてがかかっています。放射能レベルがさらに急にあがりだすと、今度は敷地内ではいままでと異なる水準に上がって行きます。
その発表は遅い可能性がある。でもその前に、現場の退避があるはずです。
いまの食い止める活動で新しい局面が開けないかと願っています。
福島市の母校の高校の様子、体育館の様子を、まさか、こんな事態で見ることになるとは思いませんでした。避難民の方がた、風向きによっては、注意が必要です。
現場近くのの双葉高校は、野球の好敵手でした。
teteteさん、おはようございます。
本当にこれから長くなりますが、いつまでも被災者の方々を忘れずご支援くださいね。報道される以外にも実に多くの方が復興に向けて昼夜問わず働いておられます。山仲間の消防士さんもずっと泊まりこみです。本当に頭が下がります。
mjunさん、おはようございます。
うちは一番揺れた地域(震度7くらい)だったので、何はさておき飛ばしました。ビジネススーツとコートで帽子がなかったので厳しかったです。靴下が小さくて途中暗くなっていたコンビニを覗いたら、靴下だけ売ってくれました。少し暖かくなったけど、途中で一緒になった女性が足が冷たいとおっしゃったので、その靴下あげちゃいましたよ。つまらない話でごめんなさい…
今はこれ以上悲劇が続かないように祈るばかりです。
tanigawaさん、おはようございます。
いつも注目して読んでいます。アドバイスは心にとめています。最後のエクソダスに向けて、それなりの準備はしています。でも逃げ出すのは最初じゃないと決めています。動けない被災者たちが沢山いるので…
今回の被災地域、どこも山歩きしていました。福島は新地や相馬の鹿狼山や毘沙目木、懸の森を昨年歩きました。石巻の上品山と牡鹿半島の大六天山はこの1月に。陸前高田の氷上山は昨年。本当に美しい東北の海と山でしたね。胸が一杯ですよ、本当に。
kiyoshiさん、ご無事で何よりです。
盛岡は被害が少なく、沿岸の被災地域の方々に
申し訳なく感じてしまいます。
知人の実家(宮古)も流されてしまいました。
出来ることから、少しずつやっていくしかないですね。
常に被災地のことを心にとめながら、生活していこうと思っています。
被災者の方に申し訳ないという気持、私も分かります。これから長く支援が続くと思うので、災害をなんとか免れた方が助けてあげる番ですね。助けてくれる人がいる、というのは、被災者にとっても小さな希望だと思います。私も含め、被害のなかった(小さかった)地域の人たちがまず落ち着くことが一番です。落ち着いたら、北国の春の訪れ、美しい写真でまたご報告くださいね。
kiyoshiさん、otohと申します。
この度のご被災、心よりお見舞い申し上げます。
まだまだ安否不明の方も多くあり、原発災害も現在進行形であるだけに、前を向いていきましょうと言うにも早い気がしますが、地道に前進されることを願ってやみません。
まだまだ生活支障も続くこととは思いますが、どうぞお体にはお気をつけください。
私自身、神戸での経験もあって、地震と聞くだけで心が落ち着かなくなってしまいます。
同郷の方と気がつき、思わずお声がけいたしました。失礼しました。
by otoh
othoさん、おはようございます。
暖かいお言葉ありがとうございます。
私の方は揺れは強かったものの、現在は平穏に暮らせています。被災者の方々の苦しみを思うと本当に心が痛みますが、これからできる支援を長く続けていければと思っています。余震は少しずつ減って、今では2時間に1回程度になり、昨夜は初めて2階に上がって着替えをして眠りましたよ。
富山の新湊出身ですが、高卒後こちらにきてもう40年近いです。母はいまだに富山弁をしゃべっておりますよ。
kiyoshiさん、otohです
少しずつでも、生活が回復されているとのこと、喜ばしく思います。
私は、地元(富山)を離れてまだ30年未満です。加えて親は地元に残っているので、様子を見に行くこともあります。今でも言葉は使い分け状態です。
近年、関西が最も長い状態になりました。関西弁の影響は、やはり受けやすいと思いました。
当面は、私は遠方で募金したり祈ることしかできませんが、被災された方々のことを気遣い続けたいと思っております。
では、どうぞお元気で。
by otoh
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